1. 立ち上げる6. 寂しい記者会見
2005年8月26日、CoSTEPが開講するに先だち、記者会見を行なった。
私にとって、生まれて初めての記者会見。今にして思えば、「申し訳ございませんでした」と頭を下げる会見でなかっただけ「よかった」という気もするが、それにしても寂しい記者会見だった。
ことの経緯は、次の通り。CoSTEPの開講にあたって最大の不安事項は、「はたして何人の人が応募してくれるだろう」ということだった。そのこともあって、受講を検討している人を対象に説明会を開催することにした。その準備を進めていたときのことである。
10月1日に着任予定の隈本邦彦さんから、「広報戦略の一環として、9月3日(土)の説明会にメディアの人に取材に来てもらってはどうか」という提案があった。それはいい考えだと衆議一決し、道の教育関連記者クラブ(道庁舎2階)で8月26日(金)に記者会見したい、と申し込んだ。
当日は、難波さん、岡橋さんといっしょに、受講生募集用のポスターをくるくる丸めて持ち、歩いて記者クラブに向った。暑い日で、道路からの照り返しが厳しかった。
会見場(というか、記者のたまり場)に着く。だが、だーれもいない。あれれ、と思っていると、毎日新聞の田中 泰義 記者がどこからか現われ、話を聞いてくださることになった。
たった一人の記者を前にしての会見。バシャバシャっとフラッシュを浴びながらの記者会見を想像していただけに、拍子抜け。受講生募集のポスターをテーブルのうえに広げながら、「科学技術コミュニケーターとは……」などと説明したように記憶している。
タイミングが悪かったのだ。駒澤大学附属苫小牧高校が、8月20日の甲子園決勝で57年ぶりの大会2連覇を達成したのみならず、22日夜には野球部長が部員に暴力を振るっていたことが発覚して、「駒大苫小牧」がニュースをかっさらっていた。記者クラブの人たちは皆、苫小牧に出払っていたのだ。