“魔法の時代”の科学・技術コミュニケーション
最近は“魔法の時代”だ。スマートフォンのSiriなどのアプリケーションは魔法そのものだ。その基本原理を知っている利用者はほとんどいない。基本原理を開発する人と利用する人の間にある“溝”の存在が見えなくなっている。
某大学・大学院で、科学・技術知識の具体的な使い方などを教えている。将来、社会人になった時の実際の仕事では多様な科学・技術知識が必要になると伝える講義だ。最近は、例えばパソコンなどの記録機械のHDDの記録原理の説明の仕方が難しい。以前はレコードなどの比喩が直感的に仕組みを理解させる手がかりだったが、最近はフラッシュメモリーの記録媒体しか知らない学生が増え、比喩の足場がなくなっている。
同様に、科学・技術動向を伝える記者にとって、科学・技術体系の説明の仕方は年々、難しくなっている。科学・技術の進展を伝える記事は、実際には第一線の現場記者が書いた科学・技術の進歩を伝える原稿をデスクが書き直す。最近はいくつかの専門分野にまたがる内容が増え、デスクが複数、必要になってきた。重要な原論文を読んでおかないと、中身の価値判断ができないケースも多い。デスクが科学・技術分野の識者に時々会って、知識を更新しておく必要も当然高い。
読者の科学・技術の知識レベルをいくつか想定し、速報と解説などで、その想定知識レベルごとに中身の書き方を変える必要性が高まっている。情報を発信するメディア側の一番の問題は、日ごろの科学・技術分野の情報収集コストをどう確保するかになってきた。
魔法的技術に満ちあふれた現在、大学・大学院までだけでは、仕事に必要な科学・技術知識を学ぶことはできない(編集記者も同様)。仕事をしながら、科学・技術知識をどう学び続けるのか、大きな課題になっている。これは、現行の大学・大学院が知識の重要な与え手としての役割のあり方をどう進化させるかという課題でもある。