2015 CoSTEP10周年
CoSTEP私史|杉山滋郎

1. 立ち上げる16.
「市民」への期待

CoSTEPに社会人を受け入れようと考えた背景には「市民」への期待もあった。ここでいう「市民」とは、「その道のプロではない人たち」というぐらいの意味である。科学技術コミュニケーションを、トップダウン的なものでなく双方向的なものとするには、そういう「市民」の発信力・発言力を高める必要があるのではないか、と漠然と感じていたのだ。

CoSTEPの採択が内定したあとのことであるが、一冊の書を読んで、科学技術コミュニケーションに「市民」が参画することの重要性に確信を深めた。2005年5月に発売された、『シビック・ジャーナリズムの挑戦』(日本評論社)という書である。河北新報社の論説委員である寺島英弥氏が、2002年にアメリカに留学して見聞してきた、同国の地方紙に広がる「市民とつながる新聞づくり」を、豊富な具体例とともに紹介していた。

そこで私は2005年の秋、名古屋大学で開催された科学技術社会論学会の場に寺島氏をお招きし、蔵田伸雄氏(文学研究科)とともにオーガナイザーとなってワークショップ(シンポジウム)を開催した。

テーマは「科学コミュニケーションの双方向性をいかに実現するか〈シビック・ジャーナリズム〉に学ぶ」とし、提題者は次のとおり。

シビック・ジャーナリズムの挑戦 ~コミュニティーとどうつながるか、新聞の現場から~ 寺島英弥(河北新報社・論説委員)

「担い手」と「場」の創出 ~患者向けがん専門誌がなしえたこと~ 難波美帆(CoSTEP)

ウエブログは科学コミュニケーションのツールになるのか ~市民と科学者が対等に参加する新しいコミュニティをつくるブログ~ 栃内 新(北海道大学 理学研究科)

大手メディアと市民ジャーナリズム 隈本邦彦(CoSTEP)

その当時の私の「思い」の痕跡として、少し長文になるが、予稿集の一節「本ワークショップのねらい」をここに転載しておこう。

1.  本ワークショップのねらい

「科学(技術)コミュニケーション」が、我国においても、にわかにクローズアップされてきた。その科学技術コミュニケーションが、〈欠如モデルを脱却した、双方向的なもの〉であるべきことは、科学技術社会論の分野でつとに指摘されてきたところである。しかし、その具体的姿がどのようなものなのか、またいかにすればそれが実現できるのか、などについてはあまり議論されていない。本ワークショップは、〈シビック・ジャーナリズム〉の視点や実践例から学ぶことをとおして、こうした点について議論を深めようとするものである。

寺島 英弥 氏は近著『シビック・ジャーナリズムの挑戦』で、「コミュニティとつながる米国の地方紙」の実例を豊富に紹介している。そのなかに、たとえば次のような記述がある(27頁)。

ほとんどの新聞記者は大学教育を受けているが、米国の読者の半分以上は大卒の学歴がない。それは、新聞の人間がはじめから読者の見方とちがった目で世の中を見ていることも意味する。「だから私たちは読者と話すよりも、ニュースを提供してくれる人たち(役人や企業関係者、政治家らエリート層)とたくさん話している。みずからの限られた経験に縛られた犠牲者といっていい」とバックナー[シビック・ジャーナリズムのパイオニアの一人]は語る。エリートである記者が同じエリート層を、同じレベルの関心で取材し、エリート層向けの記事を書く。そこに気づかず、疑問も持たずにいる……

だからこそ、読者と新聞を近づけ、つなぐ、市民の声を聞く〈シビック・ジャーナリズム〉が必要だというのである。こうした〈シビック・ジャーナリズム〉の発想・手法には、〈双方向的な科学技術コミュニケーション〉に共通するものが数多くあるのではないだろうか。

もちろん、〈問題点〉も共通するように思われる。〈シビック・ジャーナリズム〉では、たとえばジャーナリズムの批判精神、あるいは客観性はどうなるのか、という疑問が生ずる。〈双方向的なコミュニケーション〉においても同種のことが、たとえば「科学的内容の正しさはいかに保証されるのか」といった形で現出するように思われる。

本ワークショップでは、寺島氏からまず、〈シビック・ジャーナリズム〉とは何か、どのような可能性をもつのか、といった点について報告して頂く。つづいて、難波氏から、科学技術コミュニケーションにおける〈シビック・ジャーナリズム〉的な事例の紹介があり、栃内氏からは、ブログがもつ〈シビック・ジャーナリズム〉的な可能性について報告して頂く。そして最後に隈本氏からは、〈シビック・ジャーナリズム〉への「警鐘」をならして頂く。その後、これら4つの報告をふまえて議論を深めていきたい。