2025年11月30日、紀伊國屋書店札幌本店インナーガーデンにて、第145回サイエンス・カフェ札幌「コロナの『あの日』を棚卸し-公衆衛生の視点で考えるこれからの暮らし」を開催しました。
今後、カフェの模様を動画で公開していきます。

「COVID-19」とともに過ごした数年間を、公衆衛生という観点から振り返る今回のカフェです。ゲストに札幌市保健福祉局 医務・保健衛生担当局長の西條政幸さんをお招きしました。
COVID-19の流行期、多くの人がニュースや行政からの要請を通じて、「公衆衛生」という言葉に触れました。しかし、その現場でどのような人たちが、どんな葛藤を抱えながら対策を動かしていたのかは、十分には知られていません。感染症とは、コロナとは、そして一人ひとりにとっての「あの日」とは--40名程度の参加者のともに考える時間となりました。
「COVID-19」と「SARS」の関係
西條さんは函館市出身。旭川医科大学を卒業後、小児科として勤務、その後に国立感染症研究所にて感染症対策に携わってきました。転機になったのは、ザンビア大学で1年間取り組んだウイルス研究です。ポリオや栄養失調の子どもたちを前に、「検査や研究が、目の前の苦しんでいる人にどう役立つのか」を強く意識するようになったといいます。

その後、国立感染症研究所に移り、約25年間にわたってSARS、新型インフルエンザ、エボラ出血熱、新興ウイルス感染症などの調査・研究に関わりました。2021年からは札幌市保健所に移り、公衆衛生行政の立場からCOVID-19対応の指揮をとってこられました。
COVID-19を理解するために欠かせない SARS(重症急性呼吸器症候群) が取り上げられました。SARSの原因ウイルスは「SARSコロナウイルス1型(SARS-CoV-1)」です。

2002〜2003年、中国・広東省で謎の肺炎が発生し、香港のホテルを起点として世界各地へと広がりました。香港滞在者の移動を追うと、ベトナム、シンガポール、カナダの医療機関で、同様の重症肺炎と院内感染が起きていたことが明らかになりました。最終的には世界で約8000人が発症し、そのうち約800人が亡くなっています。致命率は約10%。
中国の動物市場で、ハクビシンがコウモリからSARS-CoV-1に感染し、その間で感染が広がり、ハクビシンからヒトがSARS-CoV-1に感染したことが分かりました。そして、ヒトからヒトに感染が拡がりました。生きた動物を市場で買い、その場で処理して食べるという生活様式が、ウイルスが人間社会へ飛び出す条件を形づくっていたのです。
実は、新型コロナウイルスの正式名称は、「SARS-coronavirus-2(SARS-CoV-2)」。西條さんは、「 私にとってCOVID-19は、SARSとは別の“新しい”病気というより、『SARSがもう一度起こった』出来事だと感じています。」と言います。

会場で「SARSとCOVID-19が地続きだと意識していた人は?」と尋ねると、手が挙がったのはごく少数。 ニュースで断片的に知っていた「SARS」と、自分ごととして経験した「新型コロナ」が、一本の線で結び直される時間となりました。
COVID-19は“全身の病気”:ワクチンが効いた科学的な理由
続いて話題は、COVID-19の病態そのものへ。胸部CT画像を示しながら、西條さんは肺の表面近く(胸膜直下)に現れる特徴的な陰影を説明します。さらに、亡くなった患者さんの病理検査では、肺だけでなく 甲状腺・膵臓・精巣・食道・子宮内膜など多くの臓器でウイルス増殖が確認されているという研究結果も紹介されました。

これらの研究を示した上で、西條さんは「喉や気道で増えたウイルスが、血液中に入り、全身の臓器へ運ばれます。 私はCOVID-19を、単なる呼吸器感染症ではなく、『ウイルス血症を伴う全身感染症』として捉えています。」と指摘します。

この“全身性”こそが、ワクチンが重症化予防に大きな効果を発揮した理由でもあります。ワクチンによって血液中に抗体がつくられることで、ウイルスが各臓器に達する前に感染性を失わせることができるからです。
札幌市のデータでは、ワクチン接種がなされる前では、60歳以上の患者では 5人に1人 が亡くなり、70歳以上の患者では 3人に1人 が死亡していた時期もあったといいます。一方、高齢者の間でワクチン接種率が上がるにつれて死亡者数は反比例するように減少し、デルタ株による新型コロナ流行期には、死亡者数が大きく減少しました。
これらのことを踏まえ、西條さんは「“mRNAだから特別に効いた”というより、『ワクチンという手段が有効なタイプの病気だった』 と言えます。」とワクチン効果について説明しました。
公衆衛生の現場の葛藤:数字の裏側にある一人ひとりの生活
さらに、「スーパースプレッディング(super-spreading)」についても触れられました。

山形県で行われた調査では、東京から来た1人の感染者から多くの人に感染が広がる一方で、別の感染者からはほとんど広がっていないことが分かりました。感染した人が、等しく他の人の感染源になっているわけではなく、「感染性のあるウイルスを排出し、多くの人の感染源となる人(スーパースプレッダー)」と「そうでない人」に分かれることが、コロナの特徴のひとつといえます。
実は、SARSでも同じ特徴が知られており、「少数のスーパースプレッダーが流行全体を大きく動かす」という性質が、COVID-19でも確認されました。
一方、そんな中、2021年に札幌市の公衆衛生を担当する責任者として業務にあたってきた西條さんは、日々の電話相談や入院調整に関わる中で、たくさんの“顔の見える困難”に向き合うことになりました。たとえば--
● 子ども3人を抱える母親が陽性になり、自宅療養で限界に近づいている
● 介護者が感染し、要介護者をどう支えたらよいか途方に暮れている家庭
● 親が入院し、子どもだけが自宅に残されてしまうケース
という、「感染者数」という数字の裏側にある一人ひとりの生活。それぞれの電話の向こうで語られる不安や焦りに、一つひとつ対応していく毎日。このような日々を振り返り、西條さんは「流行全体の数字を見ることも大切ですが、目の前の一人ひとりにどう貢献できるかも、公衆衛生の大事な仕事です。」と語りました。これらの経験は、国立感染症研究所でデータやウイルスと向き合ってきた25年間とはまた異なる、現場ならではの重さと難しさであったのでした。

一人ひとりが振り返るコロナの「あの日」
西條さんのお話を聴いた後に、参加者一人ひとりにとってコロナの「あの日」を振り返る時間を設けました。配付した「振り返りカード」には、次の2つの問いが記されていました。

「書きたくないことは書かなくてよい」「話したくないことを無理に共有しなくてよい」という説明もあり、参加者はそれぞれのペースでペンを走らせます。

続いて3人1組のグループに分かれ、お互いのカードの内容を共有します。ここでのポイントは、「話す」よりも 「じっくり聞く」こと に意識を向けること。


共有をし終わった後、カードを預けてもよい人の分はスタッフが回収し、会場後方に貼り出しました。


色とりどりのカードには、この数年間に経験した不安や怒り、感謝や気づきが並び、「同じ札幌で暮らしていても、こんなに違う“コロナの記憶”があるのだ」ということを、静かに物語っているようでした。

【「あの日」の振り返り(一部抜粋、全内容は本ウェブページ下部に掲載)】
●北海道の緊急事態宣言・在宅勤務・病院や施設での面会制限
●いつ終わるのか分からない不安・働き方改革の大きな転換点(オンライン)・「会いたいのに会えない」という深い悲しみ
●母親の初めての入院の際に感染症対策で面会できなかったこと
●テニスの試合が中止され、再開後はポイント後のハイタッチがラケットタッチに変わっていったこと
●世界が変わってしまったのなら、自分(のライフスタイル)も変えるしかない。変わることに慣れていない人(母、父)へのケア、なかなかしんどい!
●幸い、家の大黒柱の職場は続いたので、経済的なことで困ることはありませんでしたが、日々の暗いニュースには心が痛んだし、大変なことを経験しているのだ、という不安感(先が見えない)は常にありました。
●楽しみにしていた高校生活が訪れず、ひたすら犬と近所を散歩していた。
●コロナを同僚にうつしてしまい、白い目で見られた。 うつしたことは申し訳ないけど、自然現象だし本当はあんまり自分は悪くないと思っていた。でも、少し申し訳なさそうにふるまった。
●パンデミック初期にBCGのCovid19予防効果が指摘され、その原因を考えていたことを思い出します。それが、2022年に証明され、論文になったことが印象的です。
●2020年、アイルランドへ引っ越してすぐにロックダウンとなり、お店はほぼ閉店、移動可能範囲は5km圏内、外での散歩は推奨されていても人との接触は禁止。クリスマスの夜、街には誰もいなくて静かでホラー映画のようでした。毎日増える感染者数を見て悲しく、家族や友人の無事を祈るばかりでした。当時は買い物した商品は全てアルコールで拭いていたことを覚えています。
●ほぼ1日1人ですごす ・さみしい
●当時、地方都市にいました。その地域で初めて感染者が出た時に「○○地域の△△で働いている✖✖らしい」とウワサが飛び交っていた。職場で、小さな子どもがいる高齢の親してる職員が優先で在宅ワークをすることになった。
●パンデミック中の生活はとても不自由でしたが、そんな中でも夫と家で過ごす毎日や記念日、家族や友人とのビデオ通話が今まで以上にとても大切な時間に感じることができました。この今、生きている命には限りがあって、いつ何が起きるか分からない。自分の本当に大切な人と時間を過ごし、やりたいことには挑戦する。一期一会を胸にこの人生を生きていきたいと思います。最後にコロナで亡くなられた方へお悔やみを申し上げますと共に、コロナと闘ってくださった医療・研究関係の皆さんに感謝を申し上げます。
●孤独だとは思ったが、きっと長くは続かないだろうと、当時(2020-21年)に思っていたので、会えるようになったら何しようとかどこに行こうと思ったが、思いの外(まさか2023年(まで))続くと思わなかった。
●(当時、青森八戸市在住。高1の終わり頃にコロナ禍がはじまりました)感染の拡大で怯える空気があった中で、市内初めての感染者(県内でも初)とうとう出た時、一気にその方たちを非難する雰囲気になった 地方、それも感染のひろがりが遅い地域特有の空気も感じましたが、当時は自分も同じような怒りの感情をもっていました。(Twitterで怒ったり…)
これから気をつけたい感染症:SFTSと治療薬開発の物語
コロナのことを振り返った後は、「これからの感染症とどう付き合うか」を考えるため、西條さんからダニ媒介感染症である 「SFTS(重症熱性血小板減少症候群)」 についてお話をいただきました。

SFTSは、中国で最初に見つかった感染症で、日本でも西日本を中心に患者が報告され、致命率は25〜30%に達します。2025年には、北海道でも初の患者が確認されました。
ウイルスは自然界で、シカやタヌキなどの哺乳類と、マダニの間を行き来しながら維持されています。人は、感染したマダニに噛まれたり、病気になった猫からの濃厚接触で感染することがあります。

西條さんは国立感染症研究所に勤務していたころから、このウイルスの研究チームを率いてきました。製薬会社と協力し、抗インフルエンザウイルス薬「ファビピラビル(T-705、商品名アビガン)」がSFTSウイルスにも効くのではないかという仮説のもとで動物実験を実施。免疫不全マウスでは、感染するとほぼ100%死亡するところ、アビガンを投与すると100%生存したという結果が得られました。

このような1つ1つの積み重ねが、社会実装につながる。公衆衛生全体のプロセスを概観しながら「新しい病気を見つけるだけではなく、治療薬を“社会に届けられる”ところまで持っていくことも、公衆衛生の大切な役割です。」と西條さんはお話されました。
もし自分や身近な人がSFTSにかかっても、いまは治療の選択肢が存在する――このこと自体が、一つの「備え」になっていると感じられるお話です。
おわりに:患者を責めない社会へ ― 感情ではなく、意思としての優しさを
カフェ締めくくりで、西條さんはエボラ出血熱の流行地で出会った看護師の話を紹介しました。 家族全員をエボラで亡くし、自身も発症しながら生き残った看護師。感染症は「患者数」という数字だけでは語れず、その一人ひとりの背後には家族やコミュニティの物語があることを、強く実感させる出来事だったといいます。

「どんな理由であれ、感染した人が非難されず、 むしろ包み込まれる社会にしていかなければなりません。 それは“感情”の問題ではなく、『そうありたい』と選びとる意思の問題だと思っています。」
私たちが経験した「コロナ禍」から、どんなことを学び、そしてこれからどうありたいのかという意思--。そこには、科学的な知見と、一人ひとりの経験や感情を同じ場で照らし合わせていくことが大切。そう、一人ひとりが感じられる時間となりました。

ご参加くださった皆さま、運営に協力してくださった皆さまに、あらためて心より御礼申し上げます。

一人ひとりの、「あの日」。
カフェ当日、またそれ以前にもご記入いただいた「あの日」の振り返りカードについて、ご共有します。ご記入の協力をいただいたすべての皆さまにも、この場をお借りして深く御礼申し上げます。
「あの日」振り返りカード(クリックいただけるとご覧いただけます)

