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モジュール4-4 「ELSIから考える科学技術の社会実装と『倫理』」(11/8) 稀哲先生講義レポート

2025.12.13

石河 拓哉(2025年度 選科A 受講生)

科学技術と社会との接点で生じる課題を整理する上でELSIというキーワードは、これまでたびたび講義や実習で使われています。

新しい科学技術を研究開発し社会実装する際に生じうる技術的課題を超えた課題を、倫理的課題(E)、法的課題(L)、社会的課題(S)と区分し検討する枠組みをELSI(エルシー:Ethical, Legal and Social Issues)と呼びます。この枠組みは「技術的にはできるけど…」と続いていく疑問を当てはめていくものと言えるでしょう。

モジュール4-4の講義は、課題を整理していく上で不可欠なELSIについて、哲学・倫理学の実践的役割を軸に、哲学者として、またデータビジネスに携わる社会人として活躍されている朱稀哲先生(大阪大学社会技術共創研究センター)にお話いただきました。

ELSIへの注目と多角的対応の必要性

ELSIはヒトゲノム計画を発端として、生命研究の影響を検討する枠組みとして生まれました。現在ELSIは、生命分野や医療に留まらず、AI、自動運転など社会実装が検討中・進行中のあらゆる科学技術を対象としています。

近年、ビジネスではELSIへの注目が活発です。特に欧米の場合、ケンブリッジ・アナリティカ事件の発覚と、EUの一般データ保護規則(GDPR)施行が大きな転機となりました。企業活動における炎上リスクへの備えや、法令遵守を超えた信頼確保といった競争戦略にELSIが求められています。

ELSIは技術的課題を超えているため、哲学、法学、社会学といった人文科学が重要な役割を果たします。日本のイノベーション政策では、人文科学と自然科学の連携が不可欠であり、そのために人文科学の発展も必要であると強調しています。

講義では具体的事例が紹介されましたが、その中でも私が「科学技術課題を含まない」という点を理解できたのが、選挙ポスター掲示板の事例でした。

私自身はこの問題がELSIではないと認識していました。しかし「掲示板ジャック」の動機を生んだ背景にはアテンションエコノミーがあり、これを創出したのはデータビジネス(データサイエンス)という技術である。したがってこれはELSIだ、と説明されました。このように「科学技術の社会実装」を安易に矮小化しないためには人文科学の視点が不可欠なのだと納得できました。

倫理・法・社会の関係、ELSIにどう取り組むか

倫理、法、社会は、いずれも人や集団に対して規範として作用します。それぞれの作用と特徴をみてみましょう。

倫理:人びとが社会に依拠していくに当たり従ったり尊重したりしている規範です。ある程度の安定性・恒常性がありますが、明文化されておらず、曖昧さのある規範でもあります。
:明確に規定された実体をもつ強制力のある規範です。明確な規定のため、新たな技術や課題に適用しきれない点が多く、社会変化や技術展開に応じてアップデートしていく必要があります。
社会:世論や炎上といった人々の活動によって可視化されることで、個人や組織に秩序だった行動を促す規範的作用を持ちます。社会的課題はニュース性の強い事件・事故や新奇性のある商品や表現などに傾きやすく、移ろいやすい性質を持ちます。

これらの特性をみると、倫理だけが、他の影響や調整を受けないことがわかります。このことから、倫理的取組みは主体的な企業戦略として倫理規定の制定や、CEO(最高倫理責任者)の設置など積極的に推進されています。

では、ELSIという枠組みの中で、倫理はどのような位置を占めるのでしょうか。倫理の位置づけを理解するためには、社会、法との関わりを理解する必要があります。実例として参考になるのが、先に述べたGDPRの制定経緯です。法制化のきっかけは、企業による情報独占から市民のデータ主権の回復を主張するMyData運動という社会的動向でした。EUでは市民運動の主張や批判から市民感覚や習慣を掘り下げ、普遍的価値観を洗い出していきました。この普遍的価値観を明らかにし、法制化という法的動向につなげる過程が、倫理的課題の抽出です。そうして抽出された普遍的価値が法の理念となり、立法化が進められました。

このように、ELSIにおいて倫理は、単に検討・行動面での主体性という特徴だけではなく、社会的要請と法の理念を結び、規範の実効性を高めるという重要な役割を担っています。

倫理のボキャブラリー

ELSIにおける倫理的課題とは、普遍的価値観の抽出であるということがみえてきました。つまり主張や批判の中から共通にあらわれる倫理のボキャブラリーを見出す作業です。

ここで倫理(Ethics)とは…哲学の議論では様々な定義がされますが…習慣・気質・性格を表すエートス(Ethos)を語源とする、集団・文化の持つ感覚・価値観・行動様式を意味します。そして、倫理のボキャブラリーとは、「正義」や「公平」といった普遍的価値を表す言葉や言葉遣いを指します。

「倫理的課題を話し合う」と言われると、「正義とは何か」「何が公平に適うのか」など難しい話し合いになりそうですが、実際のところはそうではありません。問題にある「モヤモヤ」や「気持ち悪さ」を掘り下げ、それらに沿う普遍的価値を表す言葉を見出し、適切な言葉遣いに変えていくことが話し合いなのです。

新しい技術の違和感から倫理のボキャブラリーを見出すには、主体性の発揮という点で自分たちの習慣、言語をもとにした方がよいのですが容易ではなく、先行する欧米の状況を参考にすることが考えられます。ただし、日本と欧米では、倫理的という言葉遣いに大きな差異があります。

講義では、具体的なデータとして、日本において「倫理的」とは「努力義務」であると考える人が半数近くいることが示されました。一方欧米では誰もが守るべきものと考える人が圧倒的だといいます。この違いは重要で、欧米で謳われている理念に基づく倫理的規範を参考にしたり、日本での倫理的取組みを紹介する際には、特に注意が必要です。

哲学とビジネスの両輪

哲学もデータビジネスも、その対象は人間の活動の場である、という点で非常に幅広く、普遍的だといえます。それゆえ朱先生の講義内容は濃く、プライバシーの論点や、「テクノ封建制」と言われるデータ独占と国家支配など、興味の尽きないものでした。他にも、倫理のボキャブラリーを引き出す実例も紹介され、倫理的取組みの魅力や、正義や尊厳といった「正しい言葉」の鮮やかな使い方が示されたように思います。ただ、これらは、朱先生の深い哲学的洞察と、豊富な企業経験に裏付けられたもので、付け焼刃の真似事は危険でもあり、身近なところから訓練していく必要があると感じました。

最後に、両輪の活動をふまえ強調されていたのが、技術的取組みとそれ以外、特に倫理的取組みとの「協働」です。技術がアクセル、倫理がブレーキといった考え方は非効率な分業であり、倫理は技術による恩恵を最大限引き出すため、障害を避けた道筋を示すガードレールの役割を果たすという主張です。安全管理やクライシスコミュニケーションにも通底する考え方ですが、人間の生命・身体の保護という原始的な目的から科学技術の恩恵というより目的に適用されていることに、感銘を覚えました。