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「人工冬眠」への挑戦

2010.6.29

著者:市瀬 史 著

出版社:20090400

刊行年月:2009年4月

定価:903円


 数年前のことですが、脳に致命的な損傷を受けた人を低体温療法によって生還させたという、日本大学板橋病院のドキュメンタリーを読んだことがあります。そのときの驚き、感動を、本書『「人工冬眠」への挑戦』を見て思いだしました。『「命の一時停止」の医学応用』とサブタイトルにあったからです。  著者は現役の麻酔科医で、もっと多くの命を救うため冬眠の持つ力を医療の現場に応用しようと、人工冬眠を研究しています。自然界の冬眠や睡眠そして最新の医療技術を人工冬眠と対比させ、最新の研究成果を紹介しながら、その実現の可能性を探っていきます。

 

 

 冬眠する動物は、外気温の低下とエサ不足に適応して、体温を下げて無意識に眠ります。最近の研究から、その眠りが呼吸を減らしてエネルギー消費を抑え、心拍数を下げて血流を低下させるなど、基本的な生命現象の極端な抑制であるとわかりました。飲まず食わず、排泄もしないで冬眠するクマは、栄養やエネルギーを体内でリサイクルし、心筋が動くメカニズムさえ変化させているのです。そして春には何事もなかったかのように冬眠から醒めます。この様に冬眠は、低体温に耐え、代謝や呼吸、血流をコントロールしている特殊な生理状態なのです。冬眠とは単なる「長い睡眠」ではないのです。

 

 

 睡眠の研究は、夢を見るレム睡眠の大切さを明らかにしました。ほ乳類はレム睡眠中に、高度に発達した脳を整理し、その機能を保護しているのです。実際、冬眠中でさえリスは2週間に一度あえて冬眠を中断して睡眠することで、レム睡眠不足を解消しているのです。冬眠中のクマの脳波は睡眠にかなり近いとわかってきました。つまり睡眠と冬眠とは質の異なる「眠り」なのです。

 

 

 では、現代の医療技術は人工冬眠にどこまで近づき、なにが残る課題なのでしょう。人間が冬眠することは可能なのでしょうか。

 

 

 現代の医療技術のひとつに全身麻酔があります。これは無意識な眠りという冬眠の状態にあたります。現在の技術でも何日間も何週間も麻酔で眠らせ、覚醒させることはできます。しかし、麻酔は無意識の眠りであり夢を見ません。そのため人工冬眠を目指す長期の麻酔には、脳を保護するレム睡眠が必要だと著者は言います。また、長期間麻酔薬を使い続けたときの安全性は確かめられていません。

 

 

 超低体温循環停止法もあります。この技術は、基本的生命活動の抑制と無意識、つまり冬眠と非常に似た生理状態を作り出すことができます。この状態では心肺を停止しても臓器が保護され、心臓や脳の複雑な手術ができるようになりました。でも、脳に後遺症を残さず心肺を停止して眠れるのは、まだ30〜 40分と短時間でしかありません。

 

 

 そこで今、医療の現場では、理想的な「冬眠」を人工的に実現しようと、様々な試みが行われています。例えば、脳に障害を残さないよう、超低温まで急速に体温を下げる方法で、大型ほ乳類で効果が確認でき、臨床実験が始まったものもあります。残された課題は、低体温、心肺停止からの安全な覚醒です。

 

 

 このように課題はあるのですが、人工冬眠は数年以内に実現すると著者は予測します。それは「急速強制冷却と全身麻酔と筋弛緩と人工呼吸の併用」によって行われるもので、まさしく「命の一時停止」の医学応用なのです。人工冬眠の研究技術と方法論はすでにそろっていて、遺伝子情報など生命科学の進歩を考えれば、人工冬眠実現は必然の結果であるとも著者はいいます。

 

 

 人工冬眠が完成して仮死状態から生還できるようになると、人の生死感さえ変わってしまうでしょう。もし、自分や家族の命が人工冬眠を必要とするとしたら、あなたは望むでしょうか。

 

 

池田順子(2009年度CoSTEP選科生,札幌市)