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科学は誰のものか社会の側から問い直す

2017.8.9

著者:平川秀幸

出版社:日本放送出版協会

刊行年月:2010年9月

定価:740円


科学はだれのものか――こう問われたとき、あなたはどう答えるだろうか。

新しく開発された医療技術を実際に使うかどうか、効率よく農作物を栽培できる遺伝子組換え技術を食卓に並ぶ食品に使っていいか、それらを判断するのは誰だろう。高エネルギーの物質から電力を効率よく取り出せる技術が生まれたとして、それを普及させるかどうか、普及させるのであればどこに施設を建てるのか、誰がどう決断するのだろうか。

今や科学は、我々の生活になくてはならない存在となっている。一方で、我々はその科学技術のことをどれだけ知っているだろう。今ではエンジンの仕組みなど知らなくても自動車免許が取れる。科学技術が高度化する傍ら、その本質はブラックボックスに入れられ、ほとんどの人には見えない。「知らなくても使える」―確かにその通りだ。しかし、「専門家でないと結論なんて出せるわけがない」「すべて専門家に任せるしかない」、それは本当にそうなのだろうか。

本書の著者である平川氏は、科学技術社会論という分野の研究者だ。自身の専門について平川氏は「科学技術と社会の境界線上に立って、両者を橋渡しする見方や考え方、方法論を探るための学問」だと本書で述べている。平川氏がこの分野で大切だと考えているのは「『社会の側から科学技術にアプローチする』ということ、そしてそれを通じて、科学者や技術者たちの世界である科学技術の『内側』とその『外側』の世界を橋渡しし、とくに『外側』の人々が、科学技術に関わる社会の問題の舵取りに躊躇なく取り組めるようにお手伝いすること」だという。『内側』『外側』という表現は、科学技術、ひいては科学が科学者や技術者のものだけになってしまっている現状を示唆しているのかもしれない。

しかし先述の通り、我々の生活と科学との間には密接な関係がある。実験室や研究所の中ではその科学技術を最も理解している専門家であっても、ひとたびその技術が社会に出れば、途端に想定外の問題が発生してくる。その問題を著者は「科学なしでは解けないが、科学だけでは解けない問題」と呼ぶ。専門家だけに判断をゆだねることは不適切であるし、過去それによって起こった問題も多々ある。そもそも専門家というのは、その科学や技術の分野においては専門家でも、科学技術の社会への応用は専門外なのだ。

そのことをきちんと理解し、専門家だけでなくさまざまな人が関わり、科学技術の舵をとっていくことが、これから重要になってくると平川氏は主張する。政府や自治体などに加えて、民間企業やNGO、ボランティアの個人やグループといった幅広い人々が、対等な関係で協働したり競い合ったりしながら社会における科学技術の問題を議論し、解決に向けていく「公共的ガバナンス」が必要とされているのだ。しかし、科学者や技術者の多くが持つ「科学は政治性などの社会的要因から独立しているべきだ」という考え方や、科学の専門性により専門家以外の人の理解が難しいことから、解決も難航しているのが現状だ。

これを読んでいるあなたは「一般人」だろうか。それとも「専門家」だろうか。この書評の筆者である私は大学院生なので専門家に近いかもしれないが、一般人と専門家の間のような存在でもある。そんな私だからこそ、一般の人にはもちろん、研究に携わる専門家にもこの本をお勧めしたい。一般人にとっては科学技術との関わり方のヒントが得られる本、そして専門家にとっては一般人からの研究の見え方や社会からの科学技術のイメージを掴める本だ。そして、ある分野で専門家である人は、他分野では一般人。そんな二つの視点からもこの本を読んでみてほしい。

中谷操希(CoSTEP13期本科ライティング)