Articles

2017年度リスクコミュニケーション実習による福島調査

2017.10.31

2014年度から継続するCoSTEPリスクコミュニケーション実習で、今年も2017年9月23日から25日まで福島県川内村を拠点に現地調査を行いました。

今回は北海道大学工学部、農学部、文学研究科、医学院の学生や社会人など、あわせて10名のCoSTEP受講生が参加しました。学生らは原子力工学や放射能が専門ではなく、様々な分野からリスクコミュニケーションを学びに来ています(この実習は本科も選科も履修できる選択実習です)。

6年ぶりに運行が再開されたJR常磐線浪江駅(福島県浪江町)

原発周辺市町村では今も放射能リスクと復興・生活再建という二律背反な状況に置かれています。学生たちは 様々なステークホルダーや専門家、地域住民に聞き取り調査を行い、リスクコミュニケーションのための対話の場作りやコンテンツ制作等につなげることを目的として取材を実施しました。

CoSTEP受講生による取材の様子

取材に関してはCoSTEPでの実践教育をベースに、 各受講生が「ディレクター(事前調査とインタビュー担当)」「ビデオカメラ」「写真撮影」「音声収録」「メモ、記録」という5つの役割分担を決めて、聞き取り調査にのぞみました。担当を決めることでそれぞれの取材に対する責任感と集中力を高めてもらう狙いがあります。

■復旧の進む様子を見る

原発事故から6年がたち、JR常磐線も残る不通区間は浪江駅から富岡駅の20kmを残すのみとなりました(実習中は浪江〜竜田駅まで)。

今回も国道6号線の帰還困難区域、浪江町、富岡町の空き地や道沿いなどで空間線量の計測を行い、毎時1マイクロシーベルト以下から数マイクロシーベルトに渡ってリスクの根本原因となっている放射性物質の存在を学生たちが確認しました。

除染の進行に伴い、除染を終えたと思われるエリアから年々、放射線量が下がっている様子が伺えます。また富岡町では、複合商業施設「さくらモールとみおか」が2017年4月にオープンし、住民たちの帰還へ向けた環境整備が進んでいました。

津波の被害が大きかった浪江町・請戸(うけど)地区では、がれきや被災住宅の撤去が進み、刻々と復旧工事が進んでいます。そんな中、請戸小学校の校庭の時計は津波が到来した時刻を指したまま止まっていました(現在は立入禁止)。

福島県・浪江町立請戸(うけど)小学校前にて

NPO「元気になろう福島」の本田紀生さんからお話を聞く

しかし、このように目に見えて震災の影響を受けた風景はどんどん減っています。これからは、語り部の方にお願いして、震災の記憶や教訓を伺う必要があると感じました。

■川内村・毛戸(もうど)地区での取材

毛戸地区の新聞受けが並んでいる場所からさらに車で山奥に入ったところに、突然、集落が現れます。川内村東部の毛戸地区は、 福島第一原発から20km圏内に位置するため、避難指示解除準備区域となった後に、2014年10月 に避難指示が解除された地域です。遠くに福島第一原発を見ることもできます。

川内村・毛戸地区の秋元通さんと一子さん

毛戸地区で生まれ育った秋元通(とおる)さんと、その妻の一子(いちこ)さんに被災当時の状況や放射能リスクが生活にもたらしたことなどに関してインタビューを行いました。

秋元さんは自宅を農家民宿用にリフォームし、周囲の山林を自然公園風に整備するなどして、この地区の魅力を伝えようとしています。すぐそばの森の中には沢もあり、林床にはランなど様々な山野草が自生していて、個人の住宅や土地とはとても思えないほど広大で豊かな自然です。

子どもがいる若い世代はどうしても放射能のリスクに敏感にならざるを得ないところがあります。しかし、線量も少しずつ下がり、時々お孫さんたちも遊びに来てくれるようになったと笑顔で話してくださったことが印象的でした。

秋元さんご夫婦に様々なお話を聞いたことで、生まれ育った土地、自然への強い愛着を知ることができました。次は新緑の頃にぜひ泊まりに来たいと受講生たちは口々に話していました。

■野生キノコの採集

2日目の朝、川内村の中心にそびえる弥宣の鉾(ねぎのほこ)という山で野生キノコの収集を行いました。この時期にどのような食用キノコがとれるのか、山林内の放射線量はどの程度なのか、地元の方に案内してもらいながら、2時間半ほど山林の斜面を歩きました。

予想以上に斜度がきつく、楽しいキノコ狩りと甘く見ていた受講生は、斜面からずり落ちそうになったり、息を切らして急斜面を登りながら必死で探し回りました。

その結果、ハナイグチ、コガネタケ、ムラサキアブラシメジモドキなど10種類程度のキノコを採集することができました。

中でもこの時期、数多く地面を彩っていたのが、紫色のキノコ。採取した瞬間から色が褪せていくそうで、山を降りて袋を見ると見るも無残に崩れていました。しかし、落ち葉の中にまるで紫の宝石のようにキノコが顔を出しているのは印象的な光景でした。

ムラサキアブラシメジモドキ(フウセンタケ科)と思われるキノコ

野生キノコの採取にあたっては、地元の方の立会いのもと、ゴム手袋、防護メガネ、服装などで安全管理した上で実施しています。また食用のための採取ではなく、放射能検査のための試料採取が目的です。採取したものは川内村で指定された方法で廃棄しています。

■遠藤きのこ園の取材

その後、菌床によるしいたけ栽培に取り組んでいる遠藤雄夫(たけお)さんに、栽培のプロセスを詳細に説明していただきながら、福島での第一次産業の現状についてお話を伺いました。

遠藤きのこ園の遠藤雄夫さん

出荷前のしいたけの放射性セシウム濃度が100ベクレル/kgをこえないよう、移行係数をもとに原木・ほだ木の安全基準は50ベクレル/kg、菌床は200ベクレル/kgという基準があります。菌床栽培の場合は放射能に関して厳しくチェックしたおが粉によって栽培するので、汚染のリスクは非常に低くなりますが、それでもかなり気を遣って二重三重のチェックをしていると伺いました。

チェルノブイリでの事故以降、キノコには放射性物質を吸収するという生理的特性があることが知られています。野生のキノコの場合、日常的に大量に食べるものではないとはいえ、今回の事故によって広範囲に山林が放射能汚染を受けていてリスクはあります。

野生や露地栽培のキノコに対するこうしたリスク認識が薄く広くあることから、工場で栽培されているキノコに対しても、風評被害といえる状況はありました。しかし、遠藤さんのような若い経営者による経営努力によって次第に風評被害は克服されつつあります。とはいえ村や個別の経営努力ではなかなか難しい情報発信とコミュニケーションに関して、我々のような外部の人間にどのような貢献が可能なのか模索していきたいと思います。

■川内村住民の皆様とのバーベキューによる交流

今年も川内村にあるいわなの郷という宿泊・研修施設にお世話になりました。ここのコテージはベッド、冷蔵庫、洗濯機、お風呂など完備していて、周りを森林に囲まれた素晴らしい環境です。コテージに隣接した体験交流館前の広場でバーベキューができます。昨年同様、川内村の婦人会の方や長崎大学の方など、川内村で生活されている方にお越しいただきました。

いわなの郷で用意してくださったお肉や新鮮な野菜、養殖しているイワナに、遠藤きのこ園でいただいた新鮮なとれたての椎茸も加え、さらに婦人会の皆様が準備してくださったお漬物や食事をいただきながらの、本当に楽しい交流の時間でした。

実は、こうした非公式なコミュニケーションは、公式なインタビューに劣らず、今回の実習ではかなり力を入れて実施しています。まずは村の方と仲良くなって、地域の実情を知り、福島を身近に感じ、東日本大震災で起きたことを忘れない。そして何か課題があるならば、自分たちに何ができるのかを村の人たちとともに真摯に考える姿勢を持つことが、我々のような県外の人間にとって最も大事なことだと考えています。

振り返りでは長崎大学の福島芳子先生にレクチャーしていただきました

■放射能測定所での聞き取り調査

弥宣の鉾周辺でとれた野生きのこを、川内村の高山食品検査所で測定していただきました。ここで、猪狩安博さんに様々な放射能測定の手法や放射能リスクに対する村民の意識などについて伺いました。

最初は同じ村民であり、放射能の専門家でもないのに、厳しい口調で様々な質問を受けて非常に戸惑ったこともあったそうです。また 川内村には古くから山できのこをとって食べるような里山文化が根付いていたのですが、そうした文化が今後どうなってしまうのかといった点に不安があるとおっしゃっていました。

猪狩安博さん

放射能検査について次第に縮小はされていくだろうが、風評被害がなくなるまではやめられないのではないかと猪狩さんは言います。しかし、現状では川内村に帰ってきているのはみな高齢者で、家族がバラバラになってしまったことが本当に悲しい問題だということ。そして個人的には若い世代が戻ってきてもらえるような対策に予算を使ってほしいとおっしゃっていました。

■農研機構・農業放射線研究センターでのディスカッション

測定所を出てから、福島市の農研機構・東北農業研究センター・農業放射線研究センターに行き、信濃卓郎先生(農業放射線研究センター長)をまじえて、取材結果の報告とディスカッションを行いました。

農研機構・東北農業研究センター・農業放射線研究センター長の信濃卓郎先生

さすがにこれだけ時間がたつと、昔のままの福島に戻すことは難しい、震災や原発事故がなくても否応なく高齢化と過疎は進むのであって、これからは外部の視点も入れながら、福島の伝統や生活を見つめ直し、積極的に情報発信をしていく必要があると信濃先生はおっしゃいました。

また原発事故から時間がたつにつれ、放射線リスクの伝え方については様々な難しい問題をはらんできています。「調べて公表していること」自体が、放射能リスクについてあまり考えたことのない消費者や小売業者に不安を生むのではないかという懸念です。また、既に放射能が出ないと分かっている検査を過剰に繰り返すことも、コストをかけた割には実質的な安全の向上につながらず、また消費者の安心にもつながらないのかもしれません。

生産者が安心感を生むための取り組みと、消費者の安心感にずれが生じてきていて、それはどこかの段階で見直す必要があるかもしれないと信濃先生は指摘しました。とはいえ、科学的に正確な数値をきちんと公表することは何よりも重要であり、悩ましい問題です。原発周辺の他県に比べての不公平感もあると感じました。

また基準値である100ベクレル/kgを少しでも超過し、その原因が分からなかったりすると、社会に与えるインパクトが大きくなってしまいます。本来、年間摂取量をもとに逆算した数値なので、瞬間的数値の幅を過剰に不安視する必要はないはずですが、今後、そうした科学リテラシーをどうやって社会の中で育んでいくのかも考えていかなければなりません。

■まとめ

リスク評価のための科学的思考はある程度は書籍からも身につけられます。しかし、福島では時が経つにつれ、放射能の問題よりも、家族関係や健康問題、雇用の問題がいっそう大きくなってきていることが、現地でお話を聞くことによって実感することができました。


巨大科学技術がもたらした矛盾と葛藤にどう向き合っていくべきなのか。CoSTEPリスクコミュニケーション実習ではこれからも考えて続けていきたいと思います。

本実習は、文部省科学研究費補助金(科研費基盤C)「リスクコミュニケーター養成手法の開発」(課題番号:16K01000 代表:早岡英介)の支援によって実施しています。また環境省・原子力災害影響調査等事業(放射線の健康影響に係る研究調査事業)「地域保健活動における放射線リスクへの対応のあり方に関する研究」(2017.4-2020.3代表:山口一郎)による支援も受けています。