あの頃みんな若かった(いやまだ若い)
蔵田 伸雄
北海道大学大学院文学研究科教授
2015.3.18
2004年の10月のある日の午後、理学部の杉山さんから電話がかかってきた。「杉山ですが、今度科学コミュニケーションの教育プログラムを北大で始めないか、という話が来ています。蔵田さんも関わってくれますか?」。その前に文学研究科の新田教授を代表とした「科学技術振興調整費・科学技術政策提言・『科学技術倫理教育システムの調査研究』」(2002–2004年)というプロジェクトのもとで、杉山教授とともに全学教育で「模擬コンセンサス会議」を実施したりしていたので、その流れである(詳細は内緒)。
そして当時、私と同じ倫理学講座に所属していた石原助教授(現在東京大学)が、あれよあれよという間に予算の積算の書類を含む申請書を作成し、2005年春に科学技術振興調整費が無事採択されてCoSTEPが立ち上がった。難波さんが着任し、若手ファシリテーターとして着目していた三上さんが着任し、隈本さんと石村さんが採用され、大津さんが加わり……いろいろあって……10年たちました。
大学時代からの旧友の松王さんが10年後にCoSTEPの代表になるとは当時は思いもしなかった。北海道庁主催のコンセンサス会議(2006–2007年)とか……いろいろありましたね(遠い目)。サイエンスカフェのノウハウをもとに文学部で「人文学カフェ」も始めちゃいましたし。
書きたい話は他にもありますが(「セクスィー部長宮入」とか、「サイエンスフェアリー」とか、関西弁サイエンスカフェ・ナノテク編とか)、適切な科学コミュニケーションでは内輪ネタを使ってはならないと思うし、10年後に20周年記念論集が出るでしょうから、続きはまたその時に書きましょう。