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<現実>とは何か 数学哲学から始まる世界像の転換

2020.7.28

著者: 西郷 甲矢人、田口 茂
出版社: 筑摩書房
刊行年月日: 2019年12月15日
定価: 1,600円(税別)


一つに縛られない自由な思考への誘い

本書のタイトルを見た時、何を思い浮かべただろうか?「現実」は存在して当然のものであり、それについて特に問うべきことはないように感じる。しかし本書は冒頭で、当たり前のものだと考えているものが、ある種のフィルターを通したものではないかと問う。本書は、フィルターを取り外した先にある現実について考えることの本質を追求していく。

本書が生まれる契機となったのは、数学者と哲学者である著者二人が9年に渡って行ってきた現実についての対話である。数学は現実離れしたものの代表格のように思えるが、著者のお二人には対話の初めから「数学が現実に即した思考である」という確信があったという。

本書はその確信の根拠を探り当てていくことから始まる。最初の手がかりとして、物理の現象が考察され、物理学が明らかにする現実の姿から、数学の変数の考え方が立ち現れる。次に、数学とは何かを突き詰めると、それが現実のイメージに通じていくことが描かれる。ここから導かれるのは、数を数える、普遍的に成り立つ法則を証明する、といった、数学的な行為の過程と、我々が見ている現実の基礎をなす「時間」や「空間」の考え方との繋がりである。つまり、数学の行為的側面と現実の構造がつながっていく。

現実と数学の繋がりが確かめられたものの、その二つに共通しているものが何であるかは、まだ不透明である。それを明らかにしようと、現実に「現れる」ことを追求する現象学と、「数学的活動の数学」とも呼ばれる圏論を用いて、「共通する何か」が掘り下げられていく。結果それが、私たちが現実をどのように見て考えているのかを示す思考の原理として、目に見える形で提示される。さらにそこから、「なぜ他人を殺してはいけないのか」「真の自由とは何か」といった問いに答えながら、原理の射程が私たちの生き方にまで及ぶことが考察されていく。

本書で一貫して語られる「思考の原理」とは、私たちが普段どのようにものを見て考えているかを示すものである。それは、一つの見方を大切にすると同時に、それに固執せず他の見方にも目を向けていく思考である。これは単に「視野を広げよ」と言っているだけにも聞こえる。しかし、具体的な意味は曖昧なままに用いているその言葉と同じではない。思考の原理で提示されるのは、「視野を広げる」ことの真のあり方や具体的なプロセスである。そしてそれが、数学や科学と哲学の繋がり、及び思考の自由と絡めて描かれるのだ。

ゆえに、本書は広い意味で哲学の本ではあるものの、通常の哲学の本ではない。そこにあるのは、原点に立ち返る中で科学と重なっていく哲学である。それは、数学と哲学の話をただ並べるのではなく、「どの一文も、二人で共同して書いた」という著者お二人の本書に対する姿勢に表れている。

そのようなスタイルで書かれた本書は、内容は決して簡単ではないが、論調は非常に丁寧だ。さらには、繰り返し言葉を変えて説明されたり、節目で簡潔に要点がまとめられていたりと、読者が難関な箇所で振り落とされないよう細やかな配慮がなされている。読みごたえは抜群である。

本書と格闘した先に待っているのは、これまでとは少し違う現実である。少し大げさであるが、目の前に確かにあると思っていたもの・ことが、見方・考え方の変化に応じて変容していくダイナミックなもの・ことへと変化する。例えば私は、いくつかの科学的知識について、それらが絶対に確かなものだと思っていた。しかし、そのようにある種の知識を確かなものだと思っている時点で、自分がすでに一つの見方に縛られていることに気づかされ、はっとさせられた。それは思考の凝りがほぐされ、思考の幅が広がっていく体験であった。そんな思考が自由に広がっていく体験を、本書は届けてくれる。


関連図書

  • 『圏論の道案内』西郷 甲矢人、能美 十三 著(技術評論社 2019)

数学の一分野である圏論は、数学界ではもちろん、数学以外の科学の諸分野においても注目を集めている。本書は、そんな圏論の初歩を解説してくれる入門書である。著者お二人による会話調の文章で、西郷氏が能美氏に圏論について教えるという形で、圏論の初歩や基礎が解説される。圏論の概要と大枠を捉えることができる。

  • 『現象学という思考』田口 茂 著(筑摩書房 2014)

哲学の一分野である現象学。フッサールの現象学を基礎に置きながら、筆者が考える現象学が、筆者自身の言葉により展開される。「確か」とは何か、「物」とは何か、「同じ」とは何か、「類似」とは何か、「自我」とは何か、「他者の気持ちがわかる」とは何か。それ以上答えようがないようにも思えるこれらの問いを掘り下げて考察し、当たり前の裏にあるものが暴かれていく。

 

細谷 享平(CoSTEP16期本科ライティング・編集実習)