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モジュール5-2 「中国SF過去現在未来」(11/29) 山本 範子(立原 透耶)先生講義レポート

2025.12.22

早河 輝幸(2025年度 選科B 受講生)

最近ではサイエンスコミュニケーションを考えるうえで、SF(サイエンス・フィクション)の手法を活用する機会もあります。既存・未知にかかわらず「こんな技術があったら、いったいどんな人に・どんな影響が起こるのだろう?」と考えるきっかけになりうるからです。これはモジュール5のテーマ「多様な立場の理解」にもつながる技法です。本講義「中国SFの過去・現在・未来」では、研究者・翻訳者・作家の山本範子(立原透耶)先生(北星学園大学文学部教授)を講師にお招きし、SFが世間に与える影響について、中国SFを例にご紹介いただきました。

中国SFは紀元前に遡る

授業では過去から現在に上る順序で、中国における小説やSF作品が、多くの図版とともに紹介されました。最初に紹介されたのは『山海経(せんがいきょう)』、戦国時代(前4世紀頃)に執筆された“地理書”です。自分たちのいる場所は世界の中心だが、その周りにはどんな国や風習があり、どんな生き物がいるのだろう──それを大量に想像したものが描かれる書籍です。戦いに負けて首をはねられたものの、乳首を目、ヘソを口にして腹に顔が出てきた「刑天」、しばしば氾濫する川を暗示するような蛇や龍をモチーフとする「女媧」、など多くの妖怪が描かれており、当時の地理認識を垣間見ることができました。

エピソードからキャラクターへ:小説スタイルのうつりかわり

時は下り六朝(りくちょう)時代(3〜6世紀頃)、「志怪小説」が登場するようになりました。知識階級の人々が奇怪な話を著したものですが、当時は事実を記録することに重きが置かれていたため「これは聞いた話を書いているわけで、想像で書いているわけではないのだが」というまえがきが加えられていたとのこと。ですので、私たちがイメージする「小説」とは異なり、キャラクターや物語がつくり込まれているわけではなく、不思議な出来事が淡々と書き記されているのだそうです。

その後、さらなる小説スタイルの移り変わりが紹介されました。唐代では六朝時代とくらべてキャラクター性や物語性が強くなった伝奇小説が登場します。宋代では『太平広記』のような作品集が、明代には『三国志演義』『封神演義』といった現代でも馴染み深い長編小説が象徴的な作品として紹介されました。清代の『聊斎志異(りょうさいしい)』に収録される「画皮」は、人間の皮を被り人間に化ける妖怪の物語で、近年も映像化が行われたのだとか(ホラー要素があるようなので、苦手な方は検索の際にご注意を!)。

ちなみに中国の小説には美男美女がよく登場したり、老人が大活躍したり、はたまた“萌え”の対象が狐や幽霊だったり、といった傾向があるそうです。講義を聴きながら、小説『三体Ⅲ』の主人公も聡明な美女という設定だったのを思い出しました。

(中国小説のスタイルの移り変わりを、書籍表紙を見せながら紹介されました)

SFと科学教育

ところで中国における科学を題材にした小説のジャンルには、いわゆるSF(中国では「科学幻想」)に加え、「科学普及小説」というのもあるそうです。SFでは自由な発想のもと、あり得ないことを書いてもよいのに対して、科学普及小説では、科学的に正確な内容を描く、科学知識を啓蒙することを主目的とした作品です。正しさと面白さは必ずしも相反するものではないので、「こういった科学技術コミュニケーションの手法もあるのか!」と膝を打つ思いでした。

また中国では近年SFを使った教育が盛んなのだとか。これには劉慈欣のSF小説『三体』が国際的な評価を得たのを契機とした、中国政府の「SFを通じて中国の魅力や文化を世界に発信しよう」というねらいがあるようです。SFを題材とした教科書は、その対象年齢が幼児期のものから揃えられており、読者・書き手ともに若年化が進んでいるそうです。

(終始楽しそうに小説やSFを紹介され、こちらまでその楽しさが伝わってくるようでした)

そして『三体』へ…

さて、話題は現代中国SFに移ります。立原先生は、先ほども紹介した中国SFの代表作『三体』(大森望ら訳、立原透耶監修、早川書房、2019年)の監修者でもあり、講義ではそのエピソードも紹介されました。

そもそも日本に中国SFが知られ始めたのは1979年頃、雑誌『SFマガジン』に紹介されたのがはじまりです。また大きな人的交流があったのは2007年、横浜で「世界SF大会」がアジアではじめて開催されたのを契機に、日本と中国の間の出版社・編集者・作者の間に活発な交流が生まれ、日本での中国SFの注目も高まりました。

そして2015年、『三体』がヒューゴー賞(SFやファンタジー作品に贈られる国際的な賞)をアジア人ではじめて受賞します。日本人にも、邦訳を待ちきれず英語訳(ケン・リュウ訳)を読んだ人もいるほどでしたが、時を経て2019年、満を持して日本語訳が出版されることとなります・・・が、この過程は簡単なものではなかったのです。というのも当時、中国語の作品が日本語に訳される過程で多かったのは、原文(中国語)を英訳したものを、さらに日本語へ翻訳する「重訳」というルート。日本の編集者で中国語に精通する人が少なかったのと、ケン・リュウ(中国系アメリカ人で、SFに精通する作家・翻訳家)の目利きが信頼されていたのがその理由です。しかし『三体』は、原出版社より「中国語→日本語」のダイレクト翻訳が条件にありました。そこで、中日翻訳者が作成した下訳を、SFに精通した英日翻訳家が英語版と突き合わせて推敲・修正する(さらに1巻では立原先生が監修)、という過程を経たのです。科学をフィールドとすると、英語以外の外国語を意識する機会は少ないのですが、私たちが日本語で読めるようになるまでの工程に思いを馳せ、今まで以上に翻訳の工程に敬意を抱かずにはいられませんでした。

講義では劉慈欣のほかにもケン・リュウ、郝景芳など多くの作家・作品が紹介され、どれも「読んでみたい!」と思うものばかりでした。

(雑誌『SFマガジン』から著名なSF作家を紹介される先生)

おわりに

私がモジュール5-2の講義レポートを執筆したいと思ったのは、『三体』のファンだからというミーハーな理由でした。しかし講義を通じて、まだ読んだことのない多くの中国SFを知ることができ、今後の表現やアイデアの幅を広げるためにもぜひトライしてみたいと思いました(質疑応答では中国書籍を多く取り扱う具体的な書店名もあがりました)。また科学技術コミュニケーションの方法論としての小説の可能性を考えるきっかけにもなりました。『三体』にも、いかに現在の科学技術が「巨人の肩の上に立っている」のかを実感させられた場面がありました。もし私が今後小説の出版に携わる機会があれば、読者の心の奥に何かの気付きを残せるような作品にしたいと決意しました。

貴重な気付きをいくつもいただける講義をいただいた立原先生に心から御礼を申し上げ、レポートの結びといたします。