2. 挑む23. CoSTEPジャーナル
科学技術コミュニケーションに関する専門誌を発行しようと思いたったのは、2006年秋、何かの用件で低温科学研究所に本堂武夫氏を訪ねたときのことである。打合せが終わったあとの歓談のおり、低温研では今『低温科学』を創刊号からHUSCAPに登録していると聞いた。
『低温科学』は、北大内の一部局である低温科学研究所がずっと定期的に発行してきた学術専門雑誌で、かつて中谷宇吉郎も論文を投稿していた。HUSCAP(ハスカップ)とは、Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papersの略で、北大の研究者が執筆した学術論文などを、大学が運営するウエブサイトで公開するものである。機関レポジトリと言われるもので、北大でもしばらく前にスタートさせたことは知っていた。
でもHUSCAPでは、研究者が各自で著作物を登録・公開するのだとばかり思っていた。だが本堂氏の話によると、『低温科学』のような刊行物をまるごと登録・公開できるという。それならCoSTEPでも、HUSCAPを介して専門誌を発行できるではないか、インターネット上で提供する電子ジャーナルと割り切れば。
2001年に科学技術社会論学会(STS学会)が発足したとき、私は学会誌『科学技術社会論研究』の初代編集委員長を務め、編集委員とともに投稿規定や執筆要領を作成するという経験をしていた。論文の査読結果に対する投稿者からのクレームへの対応や、編集委員会の内部でのやりとり、校正など、事務的な作業も一通り体験していた。だから、創刊までの作業工程(何をどんな順でやればよいか)はだいたい見通すことが出来た。
CoSTEPとして専門誌を発行したいと考えた理由は、「創刊の辞」に書いたとおりである。「最大の理由」を挙げろと言われれば、「自らが飛躍するための糧を得ることにもつながります」のくだりである。有り体に言えば、査読つきの専門誌を用意することで、CoSTEPのスタッフや受講生に「業績」作りの場を与えるということだ。
この役割を果たすには、「投稿して査読をパスすれば、すみやかに掲載される」ことと「予定どおりに発行される」ことが絶対必要だと考えた。これらを守ってこそ、潜在的な投稿者の信頼を獲得することができ、投稿の本数もキープできる。投稿の本数が増えてこそ、専門誌としての質の向上も図ることができる。逆に質の向上を最優先にすると、発行が予定より遅れがちになり、ひいては信頼を失って投稿数が減るという、悪循環に陥りかねない。
というわけで、刊行頻度は年2回(9月と3月ⅹⅶ)とし、第1号は2007年3月15日(2006年度末)に発行しようと目標を定めた。
実行委員会に提案したのは、それから間もなくだったと思う。2007年の正月に「投稿規定」と「執筆要領」の素案を作って、1月4日にメールでスタッフに提示した。そのメールで、執筆要領については「分野によって、またジャーナルの種類によって大きく異なるので、最後は「えいやっ」で決めるしかないと思っています」と書き添えている。STS学会での経験をもとにした判断であった。結果的に、投稿規定も執筆要領も(とくに参考文献の示し方など)STS学会の学会誌のものとそっくりになった。
発行主体こそCoSTEPであるが、CoSTEP以外の人たちも自由に投稿できることを広くアピールしたいと考え、「アドバイザー」も置くことにした。1月上旬には初代のアドバイザー4名の内諾も得て、1月10日に第1回編集委員会を開催した。
その後、数回の編集委員会をへて、2月23日までに原稿13編を印刷所に届け、出てきたゲラから順に著者校正にまわし、3月6日校了、それと並行して大津さんに表紙のデザインをしてもらう。こんな突貫工事で、予定通り3月15日の刊行に漕ぎ着けた。
第2号からはもう少しゆっくり作業できるようになったが、それでも第7号までは、編集委員長がほとんど一人で諸々の事務作業を行なっていた。私は第7号ⅹⅷの委員長を最後に編集委員会にタッチしなくなったが、今では委員の間での分担体制が整っているようだ。
また、掲載された論考がどれだけ読まれたかを著者ごとに毎月お知らせする仕組みを取り入れたり、雑誌が発行されるごとに「合評会」を開催するⅺⅹなど、地味ではあるが、雑誌『科学技術コミュニケーション』を有効活用する努力が続いている。
ⅹⅶ 2010 年度から、6 月と12 月に変更した。ただし、2010 年6 月には発行せず。
ⅹⅷ 2010 年2 月発行。本来なら3 月発行であるが、振興調整費の会計処理の関係で2 月に繰り上げて発行した。