2020年06月25日

活動報告

オンライン哲学対話カフェ「監視社会と自由〜見える安心、見られる不安〜」を開催

2020年6月13日(土)13:00より、Zoomを用いたオンラインでの哲学対話カフェを開催しました。参加者は10名。オンラインでの開催ということもあって、北海道外からの参加者が半数ほどいらっしゃいました。今回は、昨今問題となっている「コンタクト・トレーシング」という最新の科学技術の話題を軸に、「監視社会と自由」というテーマを選びました。重いテーマ設定ではありますが、「哲学カフェ」に特有の「ざっくばらん」な話し合いができたように思います。以下ではその一部始終をご報告いたします。

 

 

「哲学カフェ」とは? 

 

そもそも、今回CoSTEPが開催した「哲学カフェ」とはどのようなものなのでしょうか? これまでも、CoSTEPでは、「サイエンス・カフェ」など、「カフェ」という名前をもつ対話の場を継続的に提供してきました。この「サイエンス・カフェ」と「哲学カフェ」とのもっとも大きな違いは参加者の方々のコミットメントの大きさにあると言うことができます。サイエンス・カフェでは、いわゆる専門家の方をお呼びし、その方の専門としている分野についてお話ししていただくという形で、会が進行していきます。それに対して、哲学カフェでお話しするのは、その分野のエキスパートではなく、参加していただいた市民の方々に他なりません。つまり、参加者を中心とした全員参加型の対話イベントが哲学カフェなのです。

 

 

素人が科学技術などにかんする専門的な内容について話し合ったところで何の意味があるの?――そういう疑問をもたれるかもしれません。しかし、科学技術コミュニケーションにおいては、専門家によるトップダウンでの意思決定に対して、市民の側からのボトムアップでの意思決定を対話イベントなどを通じて促進することがこれまで試みられてきました。例えば、科学技術コミュニケーション分野の研究者であるリンディ・A・オルティアは次のように述べています。

 

「〔前略〕対立する議論の最初の段階から、議論に参加する人すべてに考えを述べ、人の話を聞き、敬意をもって接することができる機会を提供することが、対話の可能性を広げ、議論をよい方向へと向かわせ、共通の土台を見つけることになるのである。」(オルティア[2015:84頁])

 

哲学カフェとはこのような市民によるボトムアップの対話の可能性を追求したものに他なりません。そして、コンタクト・トレーシングという科学技術が性急に日本に導入されようとしている今、このような対話の場を提供することには一定の意義があるのです。では、具体的には、どのような対話が行なわれたのでしょうか。

 

 

対話の内容――「見られる安心」

 

端的に述べると、実にさまざまな話題が提供されました。それは、以下のホワイトボード(今回のカフェではGoogleのジャムボードを使用しました)を見ていただけるとおわかりになると思います。本報告では、それらの中でも、全体討議の中でもっとも報告者の印象に残った話題について手短に紹介します。それは「監視」という言葉をめぐるイメージにかんする話題です。

 

 

「監視」という言葉には、ネガティブなイメージがついています。例えば、今回のカフェのテーマには「見られる不安」という表現が用いられています。実際、参加者の方々も、「監視」という言葉を用いて、それに伴う「不安」について語られる傾向がありました。

 

しかし、「監視」という言葉がもつものはネガティブな面だけではない――このような指摘が参加者の方々から提起されました。例えば、「見える安心、見られる不安」という今回のカフェのテーマに反して、「見られる安心」といった表現も、「監視」という言葉に読み込むことができるかもしれません。誰も見ていなかった、誰にも見つけてもらえなかった存在を、私たちの眼差しのもとにもたらし、そこにさまざまな「つながり」を回復させていくことが、監視によって可能になるかもしれません。「見てもらえている安心」とか「見つけてもらえる安心」といった表現も「監視」という語と両立する余地が、対話の中から見いだされてきたのです。このような可能性を踏まえることによって、参加者の方々がもっていた「監視」という語のネガティブなイメージが再考されることとなりました。

 

もちろん、この対話の内容は、監視やそれを実現するコンタクト・トレーシングの導入を肯定するような決定的なものではありません。また、参加者の方々全員が「見つけてもらえる安心」といったポジティブな表現に完全に納得を示したわけでもありません。こうした対話を通じたあとで、「やっぱり監視は嫌なものだ!」と改めて思うことも十分にありえます。しかし、(前述のオルティアの言葉にあるように)こうしたさまざまな可能性が言葉にされること、そうした多様な解釈を耳にする機会があることそれ自体が重要なのです。

 

オンライン哲学対話カフェの可能性

 

今回の対話を通じて、オンラインで対話を行なうことのポジティブな側面も見えてきました。今回の対話イベントをオンラインで開催した主な理由は、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)によるものでした。緊急事態宣言のもとでは対面での対話ができないために、オンラインでの対話を開催したのです。その段階では、あくまで、感染のリスクを軽減するという役割しか考えられていませんでした。

 

しかし、参加者の方々に意見を伺ったところ、オンラインで対話を行なうことの積極的な意義が浮かび上がってきました。すなわちそれは、身体的な情報がシャットダウンされていることによって、対話の際の心理的プレッシャーが軽減するかもしれないということです。

 

今回のカフェでは、対話の最中にカメラをオンにすることは義務ではありませんでした。また、マイクのオン/オフの選択も、参加者の方の自由にお任せしました。確かに、一方では、カメラがオフになっていると相手と話しづらいといったことがオンラインでの授業などにおいては報告されています。しかし、他方で、自分の表情などの身体的な情報が提供されていないからこそ、あるいは相手の身体的な情報が与えられていないからこそ、気軽に発言をすることができるといった方もいらっしゃるのではないでしょうか。例えば、たくさんのひとがいる教室だと授業を集中して受けられないといった傾向をおもちの方々にとっては、他人の情報が遮断されたオンラインでの授業の方が学習効果が上がるのではないか、といった話を耳にすることがあります。それと同様に、相手の身体的情報や、それに伴うジェンダーバイアスなどをオンラインで遮断することによって、対話に伴う心理的負担を軽減し、ひいては、(少なくともそのような方々にとっては)対話の質が向上するという可能性も十分にあります。

 

翻って、このことは、対話の場の創造という活動が目指してきたものをよりよい形で実現する可能性が、オンラインでの対話イベントにはあることを示唆してはいないでしょうか。先に述べたように、今回のカフェでは、日本全国からの参加者の方々に集まっていただくことができました。このような空間的な制約を乗り越えることが、オンラインという形式によって可能になったのです。それと同時に、さまざまな立場にいる方々が対等な立場から話し合う対話の場を生み出すことを目指してきたことに鑑みると、このような心理的な負担を軽減するという側面が、オンラインでの対話イベントにおいてはもっと強調されてもよいように思われました。

 

おわりに

 

他にも、今回の哲学対話カフェで多くの気づきを得ることができました。オンラインの対話イベントの美点について上述のように述べはしましたが、オンラインにはオンラインの、そしてオフラインにはオフラインの美点がもちろんあるでしょう。そうしたより詳しい報告につきましては、後ほど、また別の形で報告する予定です。そこでは、科学技術の話題について哲学者が対話イベントを開催することの意義や、哲学カフェという形式のイベントが他の熟議の場(コンセンサス会議、討論型世論調査、討論劇など)との関係のなかでどのような位置をもつのか、などについて論じるつもりです。

 

ご参加いただいた皆様、ありがとうございました!

 

 

引用文献

オルティア、A・リンディ(2015)「科学技術に反対する市民とともに」、高梨直紘訳、ジョン・K・ギルバート、スーザン・ストルックマイヤー(編)『現代の事例から学ぶサイエンスコミュニケーション――科学技術と社会とのかかわり、その課題とジレンマ』所収、小川和義、加納圭、常見俊直監訳、慶應義塾大学出版、第五章、73-90頁