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「アートを通して」(8/1) 炫貞先生講義レポート

2020.10.26

安達 寛子(2020年度 専科/学生)

モジュール2では、科学技術コミュニケーションで用いられる様々な手法を学んできました。最終回となる朴先生の講義は、「アート」をテーマに様々なコミュニケーションの可能性について学びます。

朴先生から伝えられたのは『今回は講義というより「問いかけ」だ』という言葉です。アートについて、コミュニケーションについての明確な答えは提示されません。紹介された様々な作品や事例をヒントとして、受講生が自ら考えるきっかけを作る時間となりました。

「アート」と聞いてイメージするものは人によって様々です。また、「アートの役割」として思い浮かべるものも様々です。多様なアートの中から、今回は特に「現代アート」を取り上げます。現代アートの元祖ともいえるデュシャン作「泉」、札幌市民にはお馴染みのイサムノグチ作「モエレ沼公園」など、講義中には多くの作品が紹介されました。

私個人として、強く印象に残ったのは次の2作品です。

Felix Gonzalez-Torres作「Untitled」
この作品の特徴は大量のキャンディで、鑑賞者はそれを自由に持って帰ったり、食べたりすることができます。実はこのキャンディは、作者の若くして亡くなった恋人の体重を表しており、減った場合は同じだけ補充が行われるそうです。愛した人の甘い思い出を食べるという、切なくもロマンチックな作品です。朴先生は実際にこちらの作品を鑑賞し、キャンディを持ち帰ったものの、結局食べることができなかったといいます。物体としては単なるキャンディに過ぎないものが、アートとしての背景を持つことで、それほどまでに鑑賞者に影響を与えるのです。

Aiweiwei作「Sunflower Seeds」
この作品は一見すると、一面にひまわりの種が敷き詰められた広い部屋に思えます。鑑賞者はそれを踏んで入っていき、種の上に寝転ぶこともできます。しかし、よく見ればこの種は本物ではなく、中国の少数民族の人々によってひとつひとつ手作りされたオブジェなのです。気づかず踏みつけていたのが誰かの労働力だと知った時、同じ作品を見る目は大きく変わることでしょう。初めからメッセージを提示するのではなく、自ら気づいてこその面白さがある作品です。

このほか、朴先生自身が実践されてきたプロジェクトについてもお話ししていただきました。その中のひとつに、福島での写真撮影を通した活動があります。ここでは朴先生が写真を撮るのではなく、子供たちに使い捨てカメラを渡し、テーマを提示して撮影してもらうワークショップ形式となっています。「私が撮ったのでは絶対に撮れないような写真が撮れる」と朴先生が言うように、撮れてきた写真はどれも、子供たちならではの目線で周囲の環境を切り取ったものでした。アートはけして敷居の高いものではなく、その人だからこそ生み出せる作品があるのです。

アートというと美しいものと思いがちですが、現代アートは美しいものばかりではありません。見えないものを可視化できることが現代アートの強みであり、政治的・社会的メッセージを含む場合や、モノのある空間そのものがひとつの表現である場合もあります。科学技術コミュニケーションという観点では、科学技術そのものもアートとなり得ます。朴先生は「アートを通じて感覚を拡張する」という表現を使っていました。社会を見つめること、未知のものに共感すること、価値観を揺さぶること、作り手や受け手の責任について考えさせること……これら全てがアート体験となるのです。

講義の終わりに、朴先生から「アートを通して科学技術コミュニケーションをするとしたら、何ができる?」という問いかけがありました。

科学技術コミュニケーションに限らず、コミュニケーション全般において、アートという手法はかなり異質なものです。プレゼンテーションやライティングのように、はっきりと問題提起をしたり、具体的に説明したりするわけではありません。しかし、これこそがアートの特徴であり、長所とも言えます。鑑賞者が自ら疑問に思ったり、ハッと驚いたりするのは、明確な説明や答えが提示されないアートならではの特徴です。教えられたことよりも、自ら気づいたことの方が、誰しも強く印象に残ることでしょう。プレゼンテーションの導入としてアート作品を紹介するなど、他の手法と組み合わせることで、より効果的なコミュニケーションを行うこともできそうです。

今回の講義と同じく、アートそのものも「問いかけ」なのかもしれません。