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モジュール1-1 「科学技術コミュニケーション入り口」(510)奥本素子先生講義レポート

2026.7.1

眞野明日香(2026年度 選科A/社会人)

CoSTEP2026第一回講義は、北海道大学CoSTEPユニット長・大学院教育推進機構准教授の奥本素子先生による「科学技術コミュニケーションの入り口」でした。CoSTEPの理念や各モジュールの紹介に続き、過去の受講生による「あなたにとっての科学技術コミュニケーションとは?」という問いへの回答が並びます。そこにあったのは、驚くほどばらばらな定義でした。しかしその“ばらばらさ”こそが、科学技術コミュニケーションという概念の広さを物語っていたように思います。「あ、本当にCoSTEPに参加したんだ」という実感とともに、これから一年をかけて、自分なりの科学技術コミュニケーションを見つけ、育てていかなければならないのだと気が引き締まりました。

(イントロダクション)

講義は大きくわけて、上記の導入からはじまり、事例も豊富に交えながらCoSTEP宣言を4つの目的ごとに解説いただきました。CoSTEP宣言は、2025年に140名の科学コミュニケーターとともに議論・策定されたサイエンスコミュニケーションに関する声明です。サイエンスコミュニケーションが、すべてにひらかれた存在であり、科学だけでは解決できない課題をすべてのステークホルダーとともに乗り越える存在であることを、広く、簡潔に伝えることを目的としてまとめられました。

科学技術コミュニケーションの目的 ―CoSTEP宣言―

講義は、「CoSTEP宣言」を軸に、「伝える」「育む」「省みる」「つなぐ」という四つの目的について、豊富な事例とともに解説が行われました。

CoSTEP宣言についてはこちら:https://costep.open-ed.hokudai.ac.jp/costep_statement

(科学技術コミュニケーションの思考)

【伝える】

最初の目的は「伝える」です。ここで特に印象的だったのが、「欠如モデル」という概念でした。専門家が「市民は科学知識が不足している存在であり、知識を与えれば理解してもらえる」と考えてしまう姿勢を指します。講義では、ウィンズケール原子力発電所火災事故をめぐる事例が紹介され、コミュニケーションとは単なる情報伝達ではなく、相手の価値観や不安、知りたいことを共有しながら進めるものだと説明がありました。

私はこの話を聞きながら、「障害の社会モデル」を思い出していました。障害とは個人の身体機能だけの問題ではなく、社会環境との関係の中で生まれるという考え方です。例えば車いす利用者が移動しづらいのは、「身体に問題があるから」ではなく、「そこに段差があるから」です。同じようにコミュニケーションの失敗も、相手の不足ではなく、双方のあいだにある溝の問題として捉えられるのではないかと感じました。科学コミュニケーションでも、対象との関係性に目を向けることが重要なのだと気づかされました。

(奥本先生)

また、Covid-19ワクチンをめぐる事例も印象的でした。科学的に正しい情報を発信しても、人々の不安や不信感には届かないことがあります。科学コミュニケーションとは単に正しい知識を広めることではなく、科学と社会のあいだにある亀裂や不信に向き合う営みでもあるのだと思いました。

一方で、「三密の回避」は興味深い事例でした。具体的な数値を示さないシンプルな言葉でありながら、人々はそれぞれの生活の中で意味づけを行い、行動へ結びつけました。この事例から、科学コミュニケーションとは「正確な説明」だけでなく、「共有可能な言葉」をつくることでもあるのだと感じました。

【育む】

二つ目の目的は「育む」です。ここでは、「人材」「能力」「場」「文化」「未来」という視点から、科学技術との関係を育てることが語られました。

特に印象的だったのは、「文化」の項目にあった「感性(わくわく)」という言葉です。研究や学びは本来、自由で創造的な営みであるはずなのに、私はいつの間にか「成果を出さなければならないもの」として捉えていたように思います。講義ノートには、「楽しくない科学を苦しみながら育んでしまいそう」と書き残していました。

後からCoSTEP宣言を読み返したとき、「失敗に寛容な文化」という表現が目に留まりました。「わくわくしていないかもしれない」と気づいたこと自体が、私にとって大切な学びだったように思います。

講義中、私は思い切って「科学って嫌いだとダメなんですかね」と質問しました。その際、「その人の興味の中にも科学はある」という言葉をいただきました。ファンタジー小説が好きな人、スポーツが好きな人、昼寝が好きな人。それぞれの興味の中に科学への入口があります。「なぜ足が速いのか」「眠いとは何か」といった素朴な疑問も科学につながっているのです。

(筆者(中央))

私はここで「雑学」という言葉を思い出しました。役に立つかどうかだけで知識を評価する社会では、遠回りの知識や好奇心は軽視されがちです。しかし、雑学こそが最も身近な科学への入口なのではないでしょうか。すべての知や学びには価値があり、それらが積み重なって科学を形づくっているのだと感じました。

【省みる】

三つ目の目的は「省みる」です。ここでは、科学技術のリスクや危機時のコミュニケーションについて考えました。

災害や感染症流行時には、膨大な情報が飛び交う「インフォデミック」が発生します。そのような状況では、さらに情報を増やすことが必ずしも正解ではなく、状況を整理し考察することも必要だという指摘が印象的でした。また、「今ここにいない人を思う」という視点も心に残りました。現在取り残されている人々だけでなく、未来に生まれるかもしれない立場の人々を想像することの重要性を考えさせられました。

(講義の様子)

興味深かったのが、CoSTEPのカリキュラムに含まれる「SFライティング」です。私は当初、空想的な未来技術を描くものだと思っていました。しかし講義では、「ありえないこと」を考えることで「ありえるかもしれない未来」に気づくための実践だと説明されました。未来を想像することは単なる空想ではなく、社会の変化に備えるための方法でもあるのだと理解しました。

また、「歩みを記録し、次へつなぐ」という視点も印象的でした。講義では、「サイエンスコミュニケーションとは、常に互いに納得できるものではない」という言葉が語られました。伝えようとしても届かないことや、誤解を生むこともあります。

私の好きな物語のセリフに、次のようなものがあります。

― でも 「それでも」「それでも」「それでも」「それでも」と そう思います ―
(『違国日記』ヤマシタトモコ著)

「それでも」と思いながら試みた対話を記録し、蓄積し、未来へ共有していくこと。それもサイエンスコミュニケーションの重要な役割なのだと感じました。

【つなぐ】

最後の目的は「つなぐ」です。この目的については、「科学からつなぐ」「社会からつなぐ」「課題につなぐ」「文化につなぐ」「つながらないにつなぐ」の五つが示されました。

特に印象的だったのは、「市民は本当に科学技術について理解がないのか」という問いです。「科学リテラシーの不足」や「教育が必要」という議論はよく目にします。しかし、その前提自体をどれほど検証しているのだろうかと考えさせられました。

実際には、公民館の展示や博物館、美術館、科学館、水族館、動物園には多くの人が訪れています。人々はそれぞれの形で知や文化に触れているのではないでしょうか。もちろん、そうした場にアクセスできない人々への配慮も重要です。しかし同時に、サイエンスコミュニケーターや研究者の側も、「私は社会を理解しているのか」と問い続けなければならないのだと感じました。

(講義の様子)

【最後に】

今回の講義は、知らない概念や事例に触れながら、自分自身の経験や価値観を何度も問い直す時間となりました。これまで自分が行ってきた活動が科学コミュニケーションだったのだと気づく瞬間もあれば、「伝えたい」という思いが押し付けになっていたのではないかと反省する瞬間もありました。

それでも私は、科学を「やわらかく、触れやすく、誰にでもひらかれた存在」として伝えていきたいと思っています。CoSTEP宣言を軸に、多様な事例と可能性を示してくださった奥本先生への感謝とともに、これから一年間、自分自身の科学技術コミュニケーションを模索し続けていきたいと思います。