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モジュール1-3「科学技術コミュニケーションのための科学哲学」(523)伊勢哲治先生講義レポート

2026.7.1

佐藤侑太郎(2026年度選科C/社会人)

モジュール1の3つ目の講義となる今回は、京都大学で科学哲学を研究されている伊勢田哲司先生がご登壇されました。

科学哲学は、「科学とは何か」という問いに向き合い続けてきました。
科学の個別領域から一歩引いた、抽象的な視点からこの問いを分析することで、科学の特徴を浮き彫りにし、科学に接するための心構えや理解の手助けとなる知見を提供してくれます。今回の講義では、科学技術コミュニケーションへの示唆に富む、「境界設定問題」・「確率的思考」・「パラダイム論と対話」の3つの話題が紹介されました。

境界設定問題

科学と疑似科学との区別を考える「境界設定問題」は、科学哲学における一大命題です。例えば代替医療や占星術は、現在の考え方では、一見科学的に見えても科学ならざるものである、疑似科学です。この境界に対する理解は、身近に溢れる「科学的」情報を適切に扱うための物差しにもなります。

反証主義を唱えたポパーは、どのような反例が示された場合に反証されるかが事前に組み込まれていることが、科学にとっての必要条件であると考えました。反証可能性は、現象予測という科学の有用性や、確証バイアスに対する抵抗という観点で、科学を構成する側面に的確に光を当てたものでした。確証バイアスと適切に向き合うことは、モジュール1の他の講義で紹介された、「無私の正直さ」や「科学者がわからないと言える」こととも通底する、重要な姿勢であると感じました。しかし、科学の進展過程では、反例の提示と再考によって軌道修正・精緻化されてきた面も多く、反証主義はこのような科学の漸進的・修正的側面と馴染みませんでした。

クーンは、理論や問題等が一定の枠組みの中で整理されたまとまりである、パラダイムに着目しました。クーンのパラダイム論によれば、科学とは、パラダイムの中で展開される「パズル解決」といえます。あるパラダイムで解決されない問題を解こうとするとき、新たなパラダイムが生まれ、科学革命が起きると考えました。その後ラウダンは、これらの考え方では科学と非科学を区別する必要十分条件どころか、科学の必要条件すら明らかにしていないという批判的な立場をとります。科学には多様な活動が包摂されており、要素間で部分的な共通項が見いだされることはあっても全体としての共通項は存在しないとするラウダンの考えが、ヴィトゲンシュタインの家族的類似性との類比を通じて説明されました。

こうした議論を経て、疑似科学をめぐる議論は、哲学者の間では下火になっていきました。一方、実社会においては、ホメオパシーや反進化論な科学教育といった問題が顕在し、近年のフェイクニュースやSNSでの陰謀論の広まりは、疑似科学と共通する問題をはらんでいます。こうした状況に対して、科学哲学に一定の貢献ができるのではないかと伊勢田先生は考えます。もし自分が、ある営みを科学か疑似科学に区別するとしたら、学校教育等で学んできた知識体系との親和性や、学会等の権威ある学術コミュニティの主張を参考にしてしまう気がします。こうした情報を鵜呑みにせず、一歩引いて見つめなおす足場を、科学哲学が提供してくれるのではないかと感じました。

(伊勢田先生)

確率的思考

科学は、分野ごとにある程度の共通見解で信頼性が認められた方法論に基づいています。個別領域における方法論の信頼性や分野を超えた科学全体としての信頼性を考えるためには、俯瞰的な視座が必要です。このような抽象的な理解は、分野間での議論や、市民等への説明の手助けにもなります。

代表的な考え方に、仮説演繹法があります。仮説演繹法は、ある観察事実や洞察から仮説を立て、導出される予測を実験によって検証することで、仮説の確からしさを明らかにします。代表例として、現在では無作為化対照実験が広く用いられています。素朴な対照実験の例として、産褥熱の原因が死後解剖に関わる医学生を介した汚染にあると考え、手指消毒を徹底することで産褥熱による死亡率を低下させたゼンメルヴァイスの事例があります。

仮説演繹法は科学を進展させるうえで有効ですが、今日起きたことが明日も起きるのかというヒュームの自然の斉一性の観点のほか、仮説が支持されたか否かという二値的判断の妥当性の観点では疑問視されることもあります。

例えば「カラスは黒い」の対偶である「黒くないものはカラスでない」ことは、手近の黒くないものがカラスでないことを確かめることで支持されますが(「ヘンペルのカラス」)、これを無作為化対照試験から得られた結果と同等に仮説を支持する証拠とはみなしづらいです。
これは、暗黙のうちに確率的思考に基づいているからで、哲学的ベイズ主義は全ての仮説に「もっともらしさ」を想定し、証拠が提出されるたびにベイズの定理にしたがって事後確率が更新されると考えます。ヘンペルのカラスの例は、証拠を供出する方法によって事後確率の更新度合いが異なることによって定式化されます。この「もっともらしさ」の観点は、様々な科学的情報の間にある信頼性の連続的な違いをとらえる上で有益であり、科学的情報に付与することで論文等の学術的な一次情報の解釈が困難な一般市民の意思決定の一助となるのではないかと伊勢田先生は考えます。「科学的=信頼できる」・「非科学的=信頼できない」という単純な二項対立ではなく、「科学的」の中にも信頼性のスペクトラムがあるということを認識させてくれる仕組みとして有効だと思いました。メディア等による明快な主張を信じたくなる心理に抗い、あいまいさに耐えて立ち止まって考える慎重さが求められることに変わりはないと思いますが、もっともらしさの連続尺度が付与されたとき、自分は適切な意思決定ができるだろうかと、ふと考えてしまいました。 

パラダイム論と対話

クーンのパラダイム論は、異なるパラダイムの間では相互理解や会話の成立が困難であるとする、通約不可能性という特徴を備えています。この通約不可能性は科学に限らず、コミュニケーション場面へと拡張して考えることができます。異なる背景に立つもの同士はそもそも見えている景色が異なるという「観察の理論負荷性」や、共通言語の欠如により、相手の問題設定を想像できず発言意図が理解できない状況が生じます。このような場面では、言葉の齟齬を解消すること・問題設定を一致させること・相手がなぜそのような考え方をするのかという背景に対する想像が重要であると先生は考えます。

受講生からは、生成AIとヒトの研究者との間の通約不可能性について質問されました。伊勢田先生は、その生成AIがなぜそのような出力を返すのかという機序や性質に関する背景理解が重要になると回答くださいました。モジュール1の他の講義で紹介された、立場や国、種を超えて限りある資源と共に地球に生き続けるための「未来智」を考える上でも、通約不可分性をめぐる諸問題への対応が不可欠になることから、哲学の観点はますます重要になると感じました。

おわりに

特に通約不可分性や観察の理論負荷性は、仕事や私生活等の卑近な例と照らし合わせて考えやすく、本講義を通じて、科学技術コミュニケーションや日常のコミュニケーション場面に即して科学哲学の話題に触れることができました。科学哲学への関心が高まり、科学哲学の世界に誘われていく90分間でした。

(伊勢田先生、ありがとうございました!)