Articles

「科学と専門性の歴史」(11/25)隠岐さや香先生講義レポート

2021.3.17

寺本えりか(2020年度本科/学生)

Module 4では、「トランスサイエンス」をテーマに科学技術と社会の接点に生じる問題を学びました。4回目では、隠岐さや香さん(名古屋大学大学院経済学研究科・科学史技術史 教授)に科学と「専門性」の歴史についてお話していただきました。

そもそも「専門家」とは?

少し基本に立ち返ってみましょう。CoSTEPを通して、私たちは専門家と非専門家の関係性について考えてきました。しかし、そもそも「専門家」はどのような経緯から生まれ、どんな役割を担ってきたのでしょうか。ヨーロッパの歴史から見ていきましょう。

隠岐先生いわく、「専門性」にまつわる単語は以下のようにいくつかあります。
Expert(専門家)、Expertise(専門鑑定行為/専門的助言/専門性)、Profession(専門職業)

Expert(専門家)やExpertise(専門鑑定行為/専門的助言/専門性)は、英語やフランス語において16世紀ごろに成立した概念です。軍事技術や土木公共事業、財産鑑定などの公的な技術や工芸的分野に関わる経験値を持つ人を意味していました。身分的には平民階級で、決して社会的地位が高かったわけではありません。

一方で、Profession(専門職業)は、公共の場で宣言する・明らかにするという意味のラテン語、Professioが語源です。聖職者や弁護士、医者はヨーロッパの三大Professionであり、社会からは独立した価値観を持つ存在として認識されていました。Expertとは異なり、彼らは貴族的な身分でもありました。

このように、「専門家」は、もともとはExpertとProfessionという別の職業だったのです。17世紀ごろになると、Professionに近い存在であった科学者たちは、Expertとしての役割も担うようになり、二つの世界は統合していくのです。

科学者が政策の助言に加わる

その契機となったのは、18世紀フランスのある出来事です。ノルマンディー地方で肥料やガラスの材料として使われていた大型の海草「varech」。これは、ガラス製造者などには経済的利益を生む「資源」であった一方で、地域住民からは海草の焼却により有害な煙が出る「公害」のもとでした。そのような海草の野焼きをめぐって規制賛成派と反対派による対立が生じます。

そんな中で、科学者たちがついたのは規制反対派です。農民や漁民による暗黙知やローカルノレッジを盾に主張した規制支持派とは対照的に、科学者たちはデータ収集や実験など、実証的な証拠に基づいて野焼きの無害性を主張しました。当時の王権は、そのような科学者たちの主張を支持することになったのです。これは政治的な決定が行われる場面で科学者が動員され助言が求められるようになったきっかけの一つともいえます。

一方で、当時の科学者たちの主張からは、自由経済による商工業重視という一つの立場に基づく思想がうかがえます。これは、様々な選択肢を備えて中立な立場から助言を行うことが期待される「専門家」とは言えず、むしろ経済重視という立場を持った「不公平な裁判官」と言った方が良いでしょう。この事例は、専門家が必ずしも中立な存在ではないということを示しているともいえます。

「専門家」の広がり

19世紀以降になると自然科学以外の分野でも専門家が現れます。裁判では精神鑑定が行われるようになったことはその代表的な例の一つです。また、1950年代頃になると、アメリカでは経済学者が直接政策へ専門的助言を行うようになります。その背景には、アメリカにはヨーロッパと異なり歴史的な支配階級や官僚機構が不在で、専門家が助言を行いやすい土壌があったことが関係しています。世界恐慌などの不況に陥っていたアメリカでは、経済成長のために技術変化、技術変化のために基礎科学が必要だとする認識が高まっていきます。その中で、技術革新という概念が生み出され、やがてそれはOECDなどの国際組織などを通じて普及していくことになります。

現代の「専門家」

現代はどうでしょうか。19世紀とは反対に、20世紀末からは、遺伝子組み換え食品や公害問題をきっかけに専門家支配の問題が提起されるようになります。その流れの中で、医療現場では患者自身が患者としての知識を医療従事者に提供するなど、専門家以外の人たちの意見が見直される動きもありました。しかし、21世紀初頭からは再び「科学的助言」の必要性が高まりつつあります。

そんな現代社会においては、科学的助言をめぐる様々な課題があります。欧州委員会JRC(2019)の研究結果によると、人々は価値観が大きく関わる問題においては、科学的な根拠を提示されても簡単には信念を変えないということが示されています。つまり、「科学的に正しい」ことはどんな場面においても説得力があるわけではないのです。また科学的助言を行う専門家自身も中立なわけではありません。彼ら自身も個人的な価値観に影響を受け、それを主張するあまり社会の分断を招いている側面もあります。「専門家」の役割が問い直されているのです。

講義を終えて

欧米と異なり日本ではコロナ対策などの政策において専門家の意見が反映されないことが問題視されることもあります。しかし、今回の講義で「専門家」の歴史を学ぶ中で「科学的」なことはいつも「中立」で正しいことの同義語ではなく、あくまで一つの立場でしかないのだと実感しました。最近は、反知性主義という、「専門家」などに対して懐疑的な立場を取る主義も注目されています。彼らの主張の中には、事実無根で人種差別など倫理的に許されるべきではないものも含まれていますが、だからといって一方的に排除するのではなく、なぜそう思うのか耳を傾けていく必要性があるように感じました。