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「科学教育と科学技術コミュニケーション」61四方周輔先生の講義レポート

2011.6.3

6月1日、東海大学札幌教養教育センター(生物理工学部)の四方周輔先生をお招きして「科学教育と科学技術コミュニケーション」と題した講義が行われました。

四方先生は、体験や観察を主体とした、理科実験による地道な科学技術コミュニケーション活動を続けて、これまで多くの子供たちの興味をサイエンスにひきつけてこられました。

■科学的とはどういうことか

1999年初版の文科省のいわゆる「ゆとり教育」の指導要領解説書に、普通なら見過ごしてしまうような、問題を含んだ記述があったそうです。「科学の理論や法則は科学者という人間と無関係に成立する、絶対的、普遍的なものであるという考え方から、科学の理論や法則は科学者という人間が創造したものであるという考え方に転換してきている」。

この指導要領にある、あたかも人間が自然法則を超えるものを創造できるかのような記述を、科学者たちは問題視しました。しかしこの表現が変化したのは2008年の指導要領になってから。

「科学が、それ以外の文化と区別される基本的な条件としては、実証性、再現性、客観性などが考えられる。<科学的>ということは、これらの条件を検討する手続きを重視するという側面からとらえることができる」という記述に文科省はようやく改めたのです。

また有名な「水からの伝言」という本が社会に与えた影響も記憶に新しいところです。「ありがとう」といった良い言葉をかけて結晶を作ると、美しい結晶に成長し、「ばかやろう」といった悪い言葉をかけると、結晶がきちんとできないといった、あり得ない非科学的な「お話」ですが、これを道徳教育の教材に使用した学校がありました。

巧妙なのは、この話を導入部だけでさらっと使って、次に「人の体の70%は水でできている」と科学的な事実を述べながら、だから「悪い言葉を使うと、体内の水が影響を受けてしまう」と子供に教えるところです。つまり、前提が間違っていても、その後の大半の解説が科学的に正しいと、信じ込ませてしまう効果があるのです。

3.11の津波災害と原子力発電所の事故以降、科学や政治に対する不信が広がっています。こうした科学を装った巧妙な偽情報が、何かを信じることで精神的に落ち着きたい人々の心に忍び込む危険性は、より高まっているといえるでしょう。

科学は物語のような創造物ではなく、人間がいようといまいと、その感情などを超えて存在する普遍的な法則を、発見する営みのはずです。四方先生は、文科省の教育政策には、科学や数学を実際に研究している人が参加してほしい、科学者には社会との関わりを意識的に持って普段から情報を発信してほしいと話されました。

■科学への理解を広めるためには

「科学」と「社会」と「政治」の円が重なったところに、「工学と技術」があると図示した上で、それぞれをつなぐ科学技術コミュニケーションの場が必要だと四方先生は話しました。そしてそのためには何が必要なのか? うまく機能させるためにはどうやって組織を作るのか?そのための資金はどこから得るのか?各地で子供向けの理科実験教室を開いてきた経験をもとに、具体的な事例が次から次へと紹介されました。

四方先生たちが中心となって実施している青少年のための科学の祭典・北海道大会。第1回は、1993年に始まり、2007年には来場者数が4万人を突破、2009年には道内33会場で開かれるなど、国内では有数の規模を誇るようになりました。

特に飛躍したのが2006年。これには、東海大学、千歳科学技術大学、北海道教育大学の学生グループが各地の大会に積極的に参加するようになったのがきっかけです。他には北方圏理科教育振興協会や各地の学校の教育者とボランティアの熱意、それから子どもゆめ基金などからのバックアップが整ったことも大きかったそうです。

■プロセスを追体験させる

四方先生は、今回の講義でも得意の実験を披露してくださいました。ひもにリングを通す実験と、銅板の上でネオジム磁石を転がす実験です。結果は、必ずしも大成功とはいえないところもありましたが…?四方先生のお茶目な笑顔は、場をなごませ、受講生の目は、確実にその手元に釘付けになっていました。

四方先生のおっしゃった印象的な言葉があります。「科学における“面白さ”とは得られた知識ではなく、そこに至るプロセスにある」。「教育の場でそれ(科学の発見に至るプロセス)を追体験できる工夫をこらすことで、創造力ある人間を育てる道が開ける」。四方先生の信念が伝わってくるメッセージでした。