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科学と表現のテニスボール”(2022年度新スタッフ紹介大内田美沙紀さん前編)

2022.8.17

2022年7月、CoSTEPに新しいスタッフとして大内田美沙紀さんが加わりました。

広島大学-大学院時代は物理学、なかでも素粒子物理学を専攻し、その後アメリカに移り自然人類学を研究した大内田さん。そのときに「サイエンスイラストレーター」という仕事を知り、これまでのイラストの知識や経験を活かせるものとして本格的に打ち込み始めました。

その後、サイエンスコミュニケーターとして京都大学iPS細胞研究所に勤務後、今夏からCoSTEPに入りました。

物理学・人類学・サイエンスイラストレーション。多様な興味関心をもつ大内田さんから活動の原動力を伺います。

なお、今回の取材は本科ライティング・編集実習のメンバーが担当しています。前編-後編にわけてお届けいたします!

(大内田先生の研究室の前にて)

※本文ではインタビュー時の話し方をもとに「大内田先生」と表記しています。

大内田美沙紀(おおうちだ・みさき)

広島大学-広島大学大学院理学研究科物理科学専攻(博士:理学)。その後、アメリカに渡りワシントン大学で人類学の修士号を取得。そのときにサイエンスイラストレーターという職業を知り、各地でインターンをしながら修行を重ねる。2016年、京都大学iPS細胞研究所の広報担当として勤務。本年7月CoSTEPに入職。

〈公式サイト〉https://www.misakiouchida.com/

—大内田先生の経歴を拝見すると、素粒子から人類学(自然人類学)、そしてサイエンスイラストレーションと非常に幅広い活躍をされてきていることを実感します。幅広い興味関心の源泉はどこにあるのでしょうか。

研究してきた分野はいっぱい変わっていますが、根源にある質問は一緒なんです。それは「私はどこから来たんだろう」という問いです。

それではじめはビッグバンから始まる物理の基礎的な研究をやっていました。本当に宇宙の成り立ちを考える形ですね。そこから素粒子物理学を研究し、そこから少しヒトのスケールにして人類学を研究し、そこからもう一度スケールを小さくして細胞のレベル、ちょうど京都大学でのiPS細胞研究所での勤務。学んできたことを表現するツールとしてイラストを使い共有できたらさらに面白いなということで、現在に至ります。

—「私はどこから来たんだろう」という思いは昔からお持ちだったのですか?

子どもの頃から持っていましたね。虫などを見て「私って、なんだろう」と考えるなど、ずっと物思いにふけっていましたね。よく兄弟で虫など生き物を集めて「生き物ってなんだろう」と考えていたりしました。

—中高では美術部で活躍されていますね。それが現在のサイエンスイラストレーションの活動につながるのがよくわかります。大学時代では柔道部に入っていたことを資料で拝見しましたが、以前から柔道はなさっていたのですか?

いえ、大学時代からがはじめてです。大学に入り、あらたに柔道をやってみたいと思ったんです。はじめは身体ができていなくて、身体がボロボロになって手術を2回しました。肩とひざの十字靭帯の2回です。

私は高校までは女子校で、いま思うと高飛車なところがあったんで、自分を鍛え直したいとどこかで思っていたんでしょうね。

—大学での柔道の経験がいまもつながっているというところはありますか?

柔道では他の人に対する姿勢を学びました。柔道って最初は受け身を習うんですよ。それでボコボコにされるんですね。そこから自分がいかにおごっていたか再認識させられました。科学などでも自我が強すぎるとエゴになってしまうので、他の意見をプレーンに受け止めて発展させることが求められます。柔道は相手をリスペクトして受け入れるという精神を学ばせていただきました。

—大内田先生のお話を伺っていると、興味関心の幅や活動の幅が本当に広いように思います。こういう原動力はどこから来るのでしょうか?

こういう無謀なことをやれるというのは、ある意味馬鹿なんだと思います。どこかネジが緩んでいるからまわりが「えっ!」と思う行動力もあるのかもしれません。あと、私は当事者意識を大事にしています。人生は一度しかないから行きたいところへいこうとずっと考えていますね。

—大内田先生の過去のインタビューでは 「サイエンスとアートの融合に取り組んでいる人」という紹介のされ方をしていることが多いように思います。これについて大内田先生はどう思っていますか?

私はアーティストではないんです。私は目的や用途がないとクリエイションできないんですね。

先方から「こういう目的で使うからこういうイラストを作って」と言われてようやく作ろう、と思うんです。あくまで科学を表現するためにサイエンスイラストレーションがあるので、自分の自己表現ではなくサイエンスが一番上にあるんです。

だから私がやっていることにはアートの側面もあるかもしれないんですけど、やっぱり科学を表現しようとするところに熱意を持っています。

—サイエンスイラストレーターになろうと思われたきっかけは何ですか。

私は研究者を目指してアメリカで留学していました。当時の指導教員のパトリシア・クレーマー先生に「お前は研究者向きじゃないんじゃない?」と言われたんです。

(PC上のスライドを提示しつつ)ここにあるように、「You don’t look like chasing the tennis ball.(君はテニスボールを追っているように見えない)」って言われたんです。

これ、どういう意味かわかりますか?

—この意味ですか…? ちょっと詳しく教えていただけますか。

犬ってテニスボールを投げると夢中で取りに行くじゃないですか。こういう理屈ではなく、なにかに没頭するような特徴がありますよね。「こういう情熱がお前の研究する姿勢に感じられない」と指導教員に見抜かれました。

(ノートを開きつつ)当時、授業ノートにこういうふうに絵を描いていたんです。

クレーマー先生から「お前はこういう表現することが楽しそうだよね」「表現することがお前にとってのテニスボールじゃないの?」と教えられたんです。自分でも気づかなかったことを指導教員にさとされました。

—貴重なノートを見せていただきありがとうございます。研究室に引っ越したばかりで書棚に資料がないなかでこのノートがあるということは、このノート、本当に大事になさっているのですね。

このノート、お守りみたいにずっと大切にしているものなものなんです。このクレーマー先生はサイエンスイラストレーターの師匠ではないんですけど、自分の進路を見直すきっかけになった先生なんです。

—クレーマー先生の一言から、ご自身のキャリアの方向性が見えてきたのでしょうか?

そうですね。当時はサイエンスイラストレーションというニッチなものがあるのは知らずにいました。そのときたまたま、ワシントン大学の夜間のコースにサイエンスイラストレーションを教えるコースがあったんです。

これ、考えてみるとまさにCoSTEPの本科のような感じですね! 実はこれもCoSTEPに興味を惹かれた理由なんです。

—アメリカでサイエンスイラストレーションの分野で活躍を始めた後、2016年から京都大学iPS細胞研究所に移られていますね。このきっかけは何だったんですか?

私、本当はサイエンスイラストレーターの職を探していたんです。でも当時そのような職業はなくて、かわりにサイエンスコミュニケーターの募集を京都大学iPS細胞研究所で行っていたんです。

「イラストレーションもサイエンスコミュニケーションの道具のひとつだ」と思い、こじつけて入った形です。

最初は上司から「イラストを描くなんて業務はないよ」と言われていました。でも当時から科学のプレスリリースでも絶対イラストの力が役に立つんだ、と確信していました。なので京都大学では広報担当をしながら「ここにイラストを入れましょう!」と自分から説得していくようにしました。

そうするうちに「サイエンスイラストレーターと名乗っていいよ」と認められるまでになりました。かれこれ2年かかりました。

—京大から北大のCoSTEPに移られたきっかけはなんでしょうか。

京都大学ではサイエンスコミュニケーターだったんですけど、位置づけとしては広報員だったので教育にはまったく携わっていませんでした。ツールとしてサイエンスコミュニケーションを使うという感じでした。教えつつ、自分もサイエンスコミュニケーションに向き合っていきたいなと思っていたら、CoSTEPがまさにサイエンスコミュニケーションを教育し研究する機関だったのでうってつけだと思い応募させていただきました。

—CoSTEPに来たからこその今後の目標はありますか。

サイエンスコミュニケーションをもう一度見直して、自分でも教えつつ学びたいと思いますし、サイエンスコミュニケーションについてももっと向き合っていきたいと思っています。(後編に続きます)


【取材を終えて】

私たちは「イラスト」というとふつうは絵を描くことだと感じることも多いですが、大内田先生のいう「サイエンスイラストレーション」というのは単なる絵画としてのイラストというよりも「イラストレーション(説明)」という意味が強いことにもようやく気づきました。

大内田先生のお話から、サイエンス・イラストレーションの奥深さを実感することもできました。

(CoSTEP18期 本科ライティング・編集実習 藤本研一・江口佳穂)