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「市民の科学技術リテラシーとは何か、また何であるべきか」/530 戸田山和久先生の講義レポート

2012.6.13

5月30日は、「市民の科学・技術リテラシーとは何か、また何であるべきか」と題して、名古屋大学情報科学研究科教授の戸田山和久先生にお話しいただきました。

 

二つのアメリカ映画の比較から、科学技術による問題解決の仕方と人々の態度の違いを浮き彫りにするところから授業がスタート。そして、科学・技術では解決できない問題を次の3種類に分類します。(1)誰が科学の恩恵に浴するべきなのかという問題、(2)「トランスサイエンスな」問題、(3)科学技術自体が生み出す新しい問題。(3)が生じるのは、新しい科学技術は人間の選択の幅を広げることで倫理の空白地帯をもたらすことと、科学も技術も不完全なまま社会に放たれることが理由となっていると指摘します。

素人としての市民は専門家の言うことに従うべきだという「パターナリズム」が、英国のBSE問題をきっかけに破綻し、専門家としての科学者の信頼が失墜しました。日本でも同時期にいわゆる「信頼の危機」が訪れましたが、昨年の3.11は本当の信頼の危機をもたらしたといいます。戸田山さん自身、低線量被曝リスクについて科学コミュニケーションがどの程度うまくいったのか文献調査を行いました。同じ科学的データを使用しても、解釈の違いによって、例えば原発について賛成あるいは反対の立場に「説得のレトリック」というかたちで関与することになりうるというのです。しかし専門家としての科学者に、そのような不確実な状況で公共的意思決定にまで責任をとらせるのは酷なことです。「パターナリズムは結局、科学者にとっても市民にとってもよくない結果をもたらす」のです。社会における科学者の役割をもっと限定的なものとして、科学のよさを活かす制度設計が必要だという戸田山さん。科学者にすべてを決めてもらうのではなく、市民が社会的な意思決定に際して必要な科学リテラシーを向上させるのが重要であり、それがまさに「科学技術コミュニケーターの役割」であると強調しました。

 

最後に、近代市民社会と近代科学の基礎を研究し、二つをどう調和させるか考察したジョン・ロックに言及しました。21世紀の現在もその考察と実践は大事であり、それはまさに科学技術コミュニケーターの仕事だという戸田山さん。「パターナリズムにもポピュリズムにも陥らず、科学技術をシビリアンコントロールすることが大事」と力説していました。