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手塚治虫の理科教室

2010.9.17

著者:著者:手塚治虫  解説:福江純 著

出版社:20090700

刊行年月:2009年7月

定価:1600円


 近年、日本のサブカルチャーやジャパニメーションが世界中を席捲しているが、なぜそれほどまでに日本の文化が注目されるのか。一つには作家たちの創造への飽くなき探求もあるだろうが、開拓者の偉業というものも大きい。

 

 

 大衆文化としての漫画を不動の地位にしたのは手塚治虫である。医師でもある手塚の科学人としての見識は、作品の随所にちりばめられている。本書はそんな数ある手塚作品の中から「科学をどう読み解き、見つめ直すか」という意味を込めた理科学再入門書にふさわしい。

 

 

 昨今、理科離れという言葉が声高に叫ばれ、科学という言葉に嫌悪感を抱く日本人が増えている。だからといって、現代の日本人が本質的に脱科学傾向にあると断言するのは早急すぎる。漫画やアニメの世界ではSF的世界観や科学技術の題材がふんだんに扱われ、日常生活では、パソコンや携帯などの電子メディアが所狭しと満ちあふれている。科学が真に嫌いなら、このような科学技術とは疎遠なものとなるはずだ。つまり、学校教育の「科目としての理科嫌い」が科学を差別化しているのだ。根底に介在する科学は決して疎遠な存在ではなく、むしろ身近で親和性の高いキーワードなのである。

 

 

 本書の題名が「理科教室」となっていることに特に注目してほしい。 250ページにわたる本書の構成を科学書として換算するならば、なかなかの重みである。ところがその九割近くは手塚漫画であり、各漫画の後に解説者の理科的見解が掲載される構成である。解説そのものは一つの話題に数ページ程度と大変短く、一見浅く網羅的だが、解説以上に手塚漫画が内包している科学解釈には多様なメッセージが込められている。

 

 

 現在出版されている科学啓蒙書の多くは、ある科学の内容を分かりやすく懇切丁寧に図などを交えて解説するもの。よって読者側は、そこにある情報事実を知識として蓄積する作業に重きを置く。

 

 

 ところがこの本はどうであろう。決定的な情報事実はごくわずかな解説だけであり、ほとんどは昭和30年代の学習雑誌や週刊誌の出展である。ノーベル物理学賞で一躍日本が沸いた小林・益川理論のクォークも未発見。人類も宇宙へ行っていない時代。そんな時代に手塚の想像と知見によって描かれた作品の数々は、未知の科学に対する一切の恐怖や見識への妥協がない。そればかりか、現代科学が内包する問題点を多角的にスライスし、本来あるべき「科学とのつき合い方」を再認識させてくれる。子どもの頃、「なぜ」という疑問や不思議がどう生まれていたのか。誰もが持っていた発想の原点へと回帰できる。  本書の中で、月へ着陸した「たかし君」へ『きみは科学者の子として探検する勇気があるかい?』と問いかける場面がある。昭和27年の手塚の言葉だ。あれから60年弱を経た現在。あなたの目の前に科学の謎が立ちはだかったとき、この手塚の言葉になんと答えますか?

 

 

安東周作(2010年度CoSTEP選科生、北海道函館市)