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「対話のその前にコミュニケーションのための科学哲学~」(6/27)松王 政浩 先生講義レポート

2020.7.3

稲葉 治久(2020年度 選科/社会人)

講義モジュール1「科学コミュニケーション概論」第5回目の講師は、北海道大学大学院理学研究院(科学基礎論研究室)教授の松王 政浩 先生で、科学哲学を専門とされており、2005年の開設当初からCoSTEPに関わってこられた。松王先生からは、「対話のその前に~コミュニケーションのための科学哲学~」と題して、「科学を噛み砕くとは」というテーマで講義を行なっていただいた。

1.「科学を噛み砕く」の意味

科学技術コミュニケーターの役割の1つとして、科学を噛み砕くことがある。「科学を噛み砕く」とは、一般的な捉え方として、科学の専門家と非専門家を媒介することである。具体的には、難しい部分を適時省略、あるいは例示や図の使用などを駆使して、専門的な内容を非専門家に「わかりやすく」伝えることである。例えば、重力波を説明する際に、宇宙全体をゴムシートに例えて、重力波の検出を伝える方法は「噛み砕く」の一例 である。しかし、これだけで噛み砕くことが達成されるのであろうか、と松王先生は疑問を投げかける。そして、松王先生は、「噛み砕く」のもう1つの意味をあげる。科学の専門家には、暗黙の了解として、あるいは、それが暗黙の了解であると意識することなく、理論を展開してしまっている「前提部分」がある。そして、非科学者にとって本当に知りたいことが前提の部分に存在することもあり得る。このような「前提部分を噛み砕く」ことが、科学技術コミュニケーションにおいて重要であり、この意味での噛み砕くことを通じて、科学者自身にも新たな気づきがもたらされることがある。したがって、科学技術コミュニケーターには、語られることのない前提部分に焦点を当てるという「科学哲学」の思考が必要となってくる。

2.「前提の噛み砕き」が必要な2つの事例

次に、松王先生は、前提の噛み砕きが必要となる2つの事例を紹介する。1つ目は、因果判断(原因究明)に関わる科学的研究の事例であり、2つ目は、科学者自身が非専門家や社会に情報を提供している事例である。

(1)因果判断に関わる事例

恐竜が絶滅したのは小惑星が地球に衝突したためであるという仮説の正しさを裏付ける論文が発表された。その論文では、小惑星が衝突した根拠として、クレーターがメキシコのユカタン半島で発見されたことがあげられている。地層の様子や衝突時のタイミングから、小惑星の衝突によって恐竜が絶滅したこと(恐竜絶滅小惑星衝突説)は決定的だ、と専門家は判断している。

しかし、恐竜絶滅小惑星衝突説で説明される因果関係について、納得できるかどうかは、はなはだ疑問である。その理由は、恐竜絶滅小惑星衝突説を説明する過程のなかに、そもそも因果関係の一般的基準が一切説明されていないからである。ここに科学者と非専門家のギャップがある。非専門家に対して、事実の列挙だけをもって恐竜絶滅小惑星衝突説の因果関係を説明したことにはならないだろう、という問いは、非科学者にとっては自然である 。優れた科学技術コミュニケーターには、このような問いにも対処できる能力が求められると松王先生は指摘する。

松王先生は、因果判断に関わるもう1つの事例として、ジカ熱のウイルス感染と新生児の小頭症の因果関係を例示する。こちらは因果関係を裏付ける基準があげられている。だが、これらの基準のすべてを満たす必要はないという判断基準で、ジカ熱のウイルス感染と新生児の小頭症の間には因果関係があると結論付けられている。この結論に疫学者は納得できるかもしれない。しかし、この結論に至る根拠を噛み砕いて説明して、非科学者にも納得のいくものとして提示することは、先の事例以上に困難を極める。なぜなら、判断基準が明示されていても、それらの判断基準のいくつかが満たされていなくてもよい理由が説明されていないからである。

上記2つの事例は、科学技術コミュニケーターにとって科学の前提を噛み砕くことがいかに必要であるかということを示している。そして、前提部分を噛み砕く作業は、単にわかりやすさを追求しているのみならず、科学一般の議論を深く理解する上で役立っていることにも気づかされる。

(2)情報発信に関わる事例

前提の噛み砕きが必要な2つ目の事例は、科学者自身が非専門家や社会に情報提供している事例である。その場合にも、情報発信をする判断の背景にある前提を噛み砕くことが大切と松王先生は説く。

具体的には、地球温暖化の事例があげられる。IPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)の研究成果の総括として第5次報告書が公表された。そのなかで大きな気温の上昇が予測されている。この情報発信の「かたち」に着目すると、予測は複数のシミュレーションに基づき確率的に評価され、便宜的に「確からしい」区分結果で発信されている。さらに読み込んでいくと、「確率的」に評価していることに注目すべきで、IPCCは気温が上昇する可能性があることだけを発信し、極力気温上昇のレベルを抑制すべきという政策的判断までは言及していない。しかし、私たち非科学者は上昇を抑制する情報も欲しているだろう。IPCC型の情報発信は1つの情報発信に過ぎず、科学者のなかには政策的判断に言及しているケースもあり、科学者の価値判断に関わる科学哲学の領域まで議論が及ぶ。

3.科学的判断に価値判断は必要か

情報発信の際に科学者は科学的判断に価値判断を含むべきか否かという問題が、科学哲学では、1950年代から論じられ続け、現在も大論争が続いている。1953年にラドナーは、科学者は積極的に価値判断を含む情報を発信すべきであると主張し、1956年にジェフリーは、科学者は価値判断をすべきでなく、確率的判断のみを含む情報を発信すべきだと主張した。IPCCの立場はジェフリーの主張を支持している。しかし、ラドナーの立場をとる科学者も存在する。これら2つの主張は科学者による情報発信のあり方の前提となる基準と捉えることができる。

そして、松王先生は、科学者が価値判断をどこまですべきかという問題に答えることは難しいが、科学哲学の議論を用いて、この問題をめぐる状況を説明することは可能である、と言う。情報発信が絡む科学技術コミュニケーションの問題を考える場合には、本来、科学哲学の諸説まで触れて前提を噛み砕く必要があると力説する。

4.まとめ~科学哲学を用いて科学の噛み砕きを~

松王先生は、講義のまとめとして、科学の噛み砕きの対象には、言葉と前提の2種類があると述べる。確かに前提を噛み砕くことは難しい。しかし、それが科学技術コミュニケーションに必要と思われる部分もあり、前提の噛み砕きに科学哲学が役立つことを指摘して、授業を締めくくった。

科学的判断をするうえで科学者が価値判断をすべきか否かにまで踏み込んでいく授業の場面がある。科学者が他の科学者の理論をあたかも凌駕していくような展開には引き込まれた。科学哲学の議論の蓄積は、科学と価値との関係性の理解を深める助けとなるとともに、私たちがコミュニケーターを目指す上で常に意識しなければいけないことを示唆しているのではないだろうか。