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量子力学で生命の謎を解く

2020.10.6

著者: ジム・アル=カリーリ、ジョンジョー・マクファデン、水谷 淳(訳)
出版社: SBクリエイティブ
刊行年月日: 2015年09月25日
定価: 2,400円(税別)

奇妙な量子で生命の深淵を覗く

生命には多くの謎がある。私たち人類はその謎を解き明かそうと、長い間研究を続けてきた。今では肉眼的な見方を遥かに超え、分子や原子、もしくはそれ以上にミクロなレベルで研究が行われている。その、ミクロなレベルまで考慮し生命の謎を探求するのが、「量子生物学」という分野だ。頭についている「量子」という語は、物理学の一分野である「量子力学」からきている。

本書は、その量子生物学を紹介する一冊だ。初めに量子生物学がどういう分野で、どのように誕生したのかを見た後に、7つの章に渡って各々一つずつ生命現象に関するトピックを取り上げ、量子生物学の研究を紹介している。難解で知られる量子力学について平易な説明を加えながら生命の謎に迫っていく本書は、物理学と生物学の両方を同時に楽しめる、類を見ない科学読み物である。

量子力学とは、ミクロな世界における電子などのごく小さな粒子のふるまいを説明する、20世紀前半に完成した物理学の一分野だ。そこでは私たちの常識とは異なり、粒子は、波のように広がりながら進んだり、壁をすり抜けたりと、奇妙な「量子的」ふるまいを見せる。

量子生物学誕生のきっかけは、意外にも量子力学の研究にある。量子力学の構築に携わった物理学者の内の何人かは、量子力学と生命の関係性を早くから考えていた。中でも有名なのは、シュレーディンガーによる『生命とは何か』という著作である1)。著作の中でシュレーディンガーは、遺伝子は量子的性質をもつと主張した。著作が刊行されたのは1944年であり、DNAの二重らせん構造が発見される前だというから驚きである。

しかし、生命現象で量子的性質が大きな役割を果たしているというシュレーディンガーのアイディアは、当の生物学研究者からは長らく注目されてこなかった。なぜなら、分子や原子が乱雑に動いている環境では、その乱雑な運動により量子的性質は消えてしまうからだ。量子的性質の効果が現れるためには乱雑な運動が抑制された環境が必要であり、量子力学の実験ではその環境を用意するために、強力な磁場をかけたり絶対零度近くまで冷やしたりすることがあるほどだ。そして、量子的性質が効果を発揮するそのような環境は、生物の体内では存在しえないと考えられてきたのだ。そこに、1970年代以降新たな風を吹き込んでいるのが、量子生物学である。量子力学の実験及び生命現象の仕組みに関する知見が広がるにつれ、量子的性質が生命現象で大きな役割を果たしているらしいことが分かってきた。

例えば、本書で取り上げられる生命現象の内の一つに光合成がある。光合成は、エネルギーが伝達されていく経路が化学的手法で詳細に分かっている。しかしそれだけでは、エネルギーの伝達効率が100パーセント近いことが説明できなかった。その謎を解き明かす分野として、量子力学が名乗りを上げる。エネルギーを運ぶ粒子は、粒として目的地を探しさまようのではなく、量子的な波として広がりながら目的地を探したどり着くことが示唆されているのだ。この量子的性質により、驚異的な高効率が実現しているのかもしれない。

この他にも本書では、生物体内での酵素の働き、においの嗅ぎ分け、遺伝子の変異、神経伝達など多岐にわたる生命現象が取り上げられ、最後には生命の起源にまで迫る。量子力学や生物学が、それぞれの現象の謎にぐいぐいと迫っていく物語は、どれもワクワクしながら読み進められる。

そしてそれらの物語を彩るのは、数々の生き物たちだ。コマドリは冬を乗り越えるために南の地を目指し飛んでいく。オタマジャクシは尻尾を失いカエルへと変態していく。クマノミは匂いをかぎ分けることで自分の住処へと帰って行く。3万年前の古代人はバイソンを思い浮かべその絵を壁に描く。これら全ての奥底では、量子が一仕事も二仕事もしているかもしれないのだ。

「かもしれない」という言い方にとどめたのは、量子力学が生命現象で決定的な役割を果たしているかどうかは、まだ謎が多く、本書も「いまだ断言はできない」としているからだ。しかし、役割を果たしていることを支持する実験結果が少しずつ積みあがってきている。

量子生物学者は、常識から見れば奇妙ともいえる量子力学の力で、生命の謎のさらなる深淵を覗こうとしている。

参考文献:

  1. シュレーディンガー、岡小天(訳)、鎮目恭夫(訳)、2008年、『生命とは何か-物理的に見た生細胞』、岩波書店.

細谷 享平(CoSTEP16期本科/ライティング・編集実習)