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「科学技術コミュニケーションとは何か」(5/16)川本思心先生 講義レポート

2021.6.12

五十嵐茉莉子(2021年度 選科/社会人)

「私の講義を聞いて『科学技術コミュニケーションとはこういうものなのか』と簡単に納得しないでほしい」

2021年度最初となる本講義を、CoSTEP部門長である川本思心先生はこのような言葉から始めました。

強い再生能力を持ち、「両頭再生」現象によって体の両側に頭部が生じることのあるヤマトヒメミミズの研究をしていた川本先生は、「二面性」「分けられるもの/分けられないもの」に興味を持ち続けてきました。CoSTEPの1期生でもあり、現在は科学技術コミュニケーション研究に携わっています。

講義の前半、川本先生は「科学技術コミュニケーションとは何だ?」という問いを受講生に投げかけました。ウェブ会議ツール「Zoom(ズーム)」を使ったリアルタイムのオンライン講義だったので、チャット欄にそれぞれが書き込む形で回答しました。

「専門的な言葉を一般の人が分かる言葉にする通訳」「科学に関して『知りたいけれど、どうしたら良いか分からない』という方の後押しをすること」「科学を社会の合意形成の仕組みに組み入れるための基礎作りをすること」「基礎研究を市民に還元するコミュニケーション」など、講義中に46件の回答が寄せられました。これらを見るだけでも、 「科学技術コミュニケーション」に抱くイメージが人によってばらばらだということが分かります。私は「科学的知識を市民に伝えるだけでなく、市民の声を科学に活かす(取り込んでいく)」と書き込みました。

川本先生自身が「科学技術コミュニケーション」を説明する際も、どんな言葉で言い表すかは常に変わり続けていて、今もより良い表現を考え続けている途中だそうです 。「この講義で、科学技術コミュニケーションとはこれです!という答えは言いません。みなさん自身が考えるための材料をお渡しするための授業です」と前置きした上で、これまでにどんな定義がなされてきたかを振り返っていきました。

科学技術コミュニケーションには様々な定義があり、「目的」「主体」「科学技術コミュニケーターとは?」という切り口から見ても、考え方によって定義が異なります。「誰が」「どのように」やるのかも多種多様です。新聞やテレビで発信するのか、科学雑誌を発行するのか、サイエンスカフェのようなイベントを開催するのか、やり方によって必要とされる専門性はまったく違ってきます。そこが面白いところでもあり、難しいところでもあります。

しかし、どれだけ多くの定義があったとしても、川本先生は「イシュー(課題・論点)無き科学技術コミュニケーションはない」と言います。そしてその課題が、『誰にとっての課題なのか?』『誰が困難にあるのか?』が重要であり、「単に研究者のみにとっての課題では不十分である 」と説明しました。研究者が自分自身にとっての課題を解決しようとするだけでは科学技術コミュニケーションに結び付きにくく、油断すると単なる押しつけになりがちだからです。

また、「課題発見・課題解決のための科学技術コミュニケーションではあっても、それを単にコミュニケーションの問題に矮小化してはいけない 」と川本先生は強調しました。そもそもその問題がなぜ起きたのか、というところから掘り起こさないと、本当の解決にはならないからです。市民からの理解が得られないことを、単なる伝え方の問題として矮小化してしまったら、それはただ現状を維持するためだけの科学技術コミュニケーションになってしまうかもしれません。

そして、課題解決の手段としてコミュニケーションをデザインしていくことはもちろん重要です。しかし「課題→目標→手段→結果」という、あまりに直線的な行為に作り込んでしまうと、それは「科学技術コミュニケーションをやろう」という目的だけのために実行され、結果が既に設定されている行為になってしまい、もはやコミュニケーションとは呼べません。「生まれた相互作用をいかにフィードバックしていけるかが科学技術コミュニケーションだ 」と川本先生は語りました。

科学技術コミュニケーションが生まれた背景には、科学に対する信頼が大きく揺らいだ歴史的な出来事の積み重ねがあります。BSE(牛海綿状脳症)をめぐる「信頼の危機」(Crisis of Confidence)。2011年の東日本大震災と福島第一原発事故が引き起こした不信感。そして今まさに、新型コロナウイルス(COVID-19)感染拡大によって、専門家と政治の役割境界のあいまいさなど、様々な問題が噴出しているところです。

一方で、2000年の有珠山噴火では、噴火2日前に気象庁が「緊急火山情報」を出したことによって、住民1万人が避難し、死者ゼロという結果に結びつきました。これは、丁寧なコミュニケーションによって、科学的知見の重要性を市民に理解してもらえた事例であるといえます。仮に科学的な予測ができたとしても、それがただちに社会的に活用され、実際の状況下で役に立つとは限りません。1980年代に専門家が有珠山周辺のハザードマップを作成した時には「社会的混乱を引き起こす」「観光に悪影響」という地元自治体や観光団体からの反対で、住民への配布には至りませんでした。その後、専門家が地道な努力で住民との信頼関係を構築したことで、1995年にはハザードマップの住民配布に至り、実際に噴火した時の避難行動に役立てることができました。

科学的知識が欠如している市民に、専門家が知識を注ぎ込めば、科学に対する不信感が解消される、という考え方を「欠如モデル」(Defict model)と呼びます。しかし実際は、科学者が必ずしも常に正しいとは限りませんし、有珠山の事例を見ても分かる通り、知識だけが存在しても組織としての合理性がなければ物事を動かすことはできません。この「欠如モデル」を乗り越えて、市民との対話から問題を解決するのが科学技術コミュニケーションだといえます。

講義の最後に、川本先生は「科学技術コミュニケーションという言葉を再発明してほしい」と受講生に語りかけました。「科学技術コミュニケーション」は、ばらばらのものを一つの目標・理念のもとに統合的に理解する包括的概念・上位概念であって、だからこそインパクトを持っています。しかし、抽象度が高いため、自分自身が実践する時には、誰かの定義をそのまま使ってもぴったりフィットするものにはなりません。「誰かがこう言っている、という学術的定義をただ受け止めるのではなく、これからの1年間で受講生それぞれが科学技術コミュニケーションとは何かを考え、実践していってほしい。修了式でもう一度『科学技術コミュニケーションとは?』という問いを投げかけるので、自分の考えがどのように変化したかが分かるように、今日の回答を書き留めておいてほしい」と川本先生は締めくくりました。

来年3月の修了式までに、私たちの中の「科学技術コミュニケーション」がどんな形に成長していくのか、今はまだ想像もつきません。今回の講義を通じて川本先生から出された大きな宿題に対する答えを、これから約1年間の学びの中で、少しずつ育てていきたいと思っています。