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「科学技術コミュニケーションにおけるコミュニケーションを考える」(5/22)種村剛先生 講義レポート

2021.6.12

河内直子(2021年度 選科/社会人)

はじめに

科学技術コミュニケーションを学び、科学技術コミュニケーターになろうとしている私たちは、科学、技術、そしてコミュニケーションというそれぞれの要素の概念を理解し説明できる必要がある、と種村先生は言います。この講義では、中でもヒト特有の複雑性と曖昧さを内包する「コミュニケーション」という言葉について理解を深め、説明できるようになることを目指します。

そもそもコミュニケーションとはなんだろう

当初、機械を前提に考えられたコミュニケーションは「通信モデル」と呼ばれ、情報を正確に受け手に伝達することを目的としていました。しかし、ヒトのコミュニケーションにおいては、与えられた情報を理解する、というステップがとても重要になります。そこで提案されたのが情報・伝達・理解という3ステップからなる「理解モデル」です。

では、理解する、とはどういうことなのでしょう。理解は、お互いの言動にお互いが呼応して振る舞うことで生じる「相互行為」と、お互いの持つ知識や文化や価値観、そして表情などを読み取ることで生じる「文脈(コンテクスト)」の2つで成立します。例えば、うどん屋で「わたしはきつね」と言ったお客さんに、「あなたはヒトですよ」と返すのは、伝達された情報だけを重視するロー・コンテクストな文化です。一方で「ここはうどん屋だからきつねと言えばきつねうどんである」という文脈を考慮し、「きつねうどん一丁ね」と返すのは、文脈に重きを置いた比較的ハイ・コンテクストな文化といえます。科学には、「観測から得られた数値(情報)」を重視するロー・コンテクストな面があると同時に、その観測データをどのように解釈するかは、データを発表した送り手と、読み取る受け手それぞれの文脈に拠る、というハイ・コンテクストな面があるのではないかと感じました。

科学技術コミュニケーションの4つのモデル

科学技術コミュニケーションにおいては、これまで大きく分けて4つのモデルが提唱されました。最初に誕生したのは専門家(科学者)が市民(非科学者)に一方的に情報を伝えるもので、市民の視点が入らないことから「欠如モデル」と呼ばれます。これを受けて、市民のもつ文脈を理解する必要性を説いた「文脈モデル」が誕生しました。さらに、実際には市民がそれぞれの地域でローカルな専門知を持っていることから、科学者と市民の間で知識をやり取りする「素人の専門性モデル」がうまれました。文脈モデルと素人の専門性モデルは、どちらも専門家と市民の双方向のやり取りを重視していますが、両者の知識を公平に扱うことで、そもそも専門家と市民の違いはどこにあるのか?という疑問が提示されました。そして派生したのが、単に情報の交換に留まらず、市民が科学技術に関わる政策等の意思決定に参画する「市民参加モデル」です。日本においても、「科学技術・イノベーション基本計画(第6期)」の中で、市民参画と共創のための科学技術コミュニケーションおよび総合知の活用の重要性が述べられています。

科学論については、現在「第3の波」と呼ばれる段階にあります。科学は正しいものだからとにかく市民に伝える、という第1の波(欠如モデル)から、科学の正当性を市民参加で補う第2の波(市民参加モデル)を経て、現在は、専門家の「専門知」と市民の「ローカル知」をいかにして切りわけバランスをとっていくか、という議論がなされています。いままさに猛威をふるっている新型コロナウィルスへの対策などは、この「専門知」と「ローカル知」のバランスをとらなくてはならない事案の最たる例でしょう。この2つの「知」を誰がどのようにして切りわけるのか、というのは大きな課題ですが、ここを科学技術コミュニケーターが牽引する必要性があるのではないか、と種村先生は言います。同時に、専門家と市民を橋渡しする「科学技術コミュニケーター」の専門性または専門知とはどういうものか、ということを私たちは考える必要があります。

「わかりあえなさ」を許容して信頼を醸成すること

ヒトはわかりあうためにコミュニケーションをしている、と私たちは考えます。しかし、完全にわかりあうことはできるのでしょうか。ヒトはコミュニケーションに言葉を用いますが、言葉の定義をまた言葉で説明しようとする以上、どこまでいっても完全な合意はなく、他者とわかりあえているかどうかを確認する術もありません。「わかりあいたい」と思い、相互理解を求めてコミュニケーションをする一方で、わかりあえているかどうかを確かめる方法は今のところないのです。寂しいことですが、この「わかりあうことはできない」という大前提を許容し、共存のためにお互いを受け入れることこそがコミュニケーションである、と種村先生は言います。そして、この「わかりあえなさ」こそが、ある行為に対して相手はこう反応してくれるだろう、という信頼をうみます。信頼とコミュニケーションはお互いに補完しあう関係にあり、信頼できる相手とはコミュニケーションがとれ、コミュニケーションがとれる相手とは信頼関係が構築されるという正のフィードバックが生じます。逆に、信頼できないと感じる相手とはコミュニケーションが阻害され、さらに不信感がつのるという負の連鎖も起こり得ます。

科学技術コミュニケーターには、この「わかりあえなさ」を前提として、科学者と市民の間に対話の場を用意し、信頼関係が構築されるような会話をファシリテートしていく、という役割があります。多様な科学者と多様な市民の間に信頼関係を醸成することは、科学技術コミュニケーションの大きな目的のひとつであり、科学技術コミュニケーターの重要な専門性のひとつと言えます。

おわりに

「わかりあえなさを許容しながら信頼を醸成する」という言葉がとても印象に残りました。信頼関係を構築できるような対話の場の創出は、実はとても難しいことを、これまでの自分の活動からも実感しています。そういった対話をファシリテートできるよう、科学者と市民の双方から信頼されるような科学技術コミュニケーターとして、これから研鑽を積みたいと思いました。ありがとうございました。