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「科学技術コミュニケーションを「国際的」視点から捉え直すということ」(6/18)工藤充先生 講義レポート

2022.7.4

工藤 三耶子(2022年度 選科/社会人)

2022年6月18日、モジュール1「科学技術コミュニケーション概論」最後の講義として、公立はこだて未来大学システム情報科学部メタ学習センターの工藤充先生に登壇いただきました。
講義テーマは「科学技術コミュニケーションを「国際的」な視点から捉え直すということ」です。最初にこのテーマを見た際に、海外の科学コミュニケーション(以下SC)の事例等を紹介いただく内容かと予想していたのですが、ちゃぶ台を返される内容でした。数々の講演や論文を掲載している工藤先生ですが、日本及び海外での経験を通して、それぞれのSCがどのように違い、どのような共通点があるのか、等を各国の人々と議論する時間を大事にしていると冒頭にご紹介がありました。海外の人たちとの交流や議論をしていく中で、果たして日本では海外のSCをどう論じてきたのか、について興味が湧いたそうです。調べていくと、海外におけるそれぞれのSCにはフレームワークに落ちない複雑さや多様性があるが、そのことについて日本では単純に語られ過ぎている兆候にあるとのこと。フレームワークが悪いという訳ではないが、SCの豊かさや魅力を感じる機会が減っている現状に、問題意識を持っていると最初にお話しいただきました。この問題について一緒に考えていけたらという先生の想いの元、講義がスタートしていきます。

(講義の流れ)
日本で紹介される海外のSC事情に対して自分が抱いた問題意識
  ◎課題1:単純で直線的な「進化」ばかりが論じられているわけではない
  ◎課題2:PEST推進に向けて足並みが揃っているわけでもない
  ◎課題3:英語圏の(主に科学技術論の領域における)科学コミュニケーション論
SCを構造化していく良い面悪い面について
  ◎モヤモヤ1:標準化と脱標準化(教科書、教育プログラム、資格、学会、・・・)
  ◎モヤモヤ2:中心化と脱中心化(英語と非英語、英語圏と非英語圏)

日本で紹介される海外のSC事情に対して自分が抱いた問題意識

◎課題1:単純で直線的な「進化」ばかりが論じられているわけではない

日本において、SCがどのように時代と共に語られてきているか紹介がありました。
上記写真のスライド内の、「公衆の科学理解増進(public understanding of Science)に向けたSCが必要であったが、欠如モデル的な問題の捉え方と対策の講じ方はうまく機能しないことが分かり、その結果SC「パブリックエンゲージメント(public engagement with Science and technology=PEST)に重心を移していった」というように、日本において、SCとは何ぞやという話が出た時に、「SCとは○○から○○になって○○を重視しているんです」といったような、古いものから新しいものへ移り変わってきているといった語られ方が多いのが実情です。このモデルは主に2000年代に英語圏より日本に持ち込まれたものであり、より社会にSCを安定化させるために使われ、浸透していった内容で、SCを学ぶものとしても、特に違和感なく頭に入ってくる内容でもあります。しかし実際には、SCは至極多様なものであり、オープンであり、かつ複雑なものであるため、上記のようなモデルに全て当てはめることは出来ないのではないか、このモデルに従う事で実践の良さを見失うことになるのではないか、という注意喚起を含めた議論が、英語圏のみならず日本においてもなされているそうです。つまり、歴史的背景や考え方の移り変わりの表面的な部分のみを見がちであるが、そうでは無いのではないか、という課題①が掲げられました。

◎課題2:PEST推進に向けて足並みが揃っているわけでもない

課題1でも述べたように、日本において海外のSCを紹介する際は、「イギリスにおけるSCはUnderstandingからEngagementへパラダイムシフトし、今、ヨーロッパではEngagementが真っ盛りです!」と語られる傾向にあります。しかし実際のヨーロッパでは、それは言葉遊びだ、と考える研究者は少なくないようです。つまり、Engagement真っ盛り!とは必ずしも言えないということ、この点についてもっと日本でも強調されても良いのではないかと工藤先生は考えています。つまり、日本では海外の成功例ばかりが語られがちであるが、実際にはヨーロッパの人々もモヤモヤと悩んでいるのです。日本国内では、そのような英語圏の悩みの声を聴く機会はあまり無いため、世界の現実が見えなくなりがちです。そのため、各国のSCに取り組む人たちと一緒に悩み、それぞれの考えや取り組みを共有することで、「何のためのEngagementなのか」や、その考えに至る背景を知るきっかけづくりが、今は大事なのではないか、それこそが伝えるべき情報なのでは無いか、という課題②が掲げられました。

◎課題3:英語圏の(主に科学技術論の領域における)科学コミュニケーション論

では実際の英語圏のSC論を見てみましょう。
英語圏では、上述したEngagementでやりましょう、といったものとはまた別の視点を得ており、「そもそもSCで何をしようとしているのか?」という議論がここ5年くらいの間に数多くされています。その1例として、On the shoulders of Idiots: Re-thinking Science Communication as ‘Event’という論文が紹介されました。レンブラントの絵の横でスマホをいじる子供達の写真。一見絵を楽しまずSNS等で遊んでいるかのように見え、多くの第3者がけしからんという気持ちを持ちます。しかし実際は美術館がデジタルのツールを使ったインタラクティブな展示に力をいれていたため、そのツールを使用し学校の課題をやっていたのです。そのため、単にこの写真を少し違う見方で理解していただけなので、けしからんと思った人達は胸をなでおろしました。学校の課題として美術を鑑賞していたので、この写真は与える・与えられる側として成立しうるもの、という話の紹介から始まります。この写真の例が何を言わんとしているかというと、「絵」と「鑑賞する人」の関係性が危ぶまれたが、結果として用意された通りに事が進み、鑑賞する人は絵を学ぶことが出来ました、という話で収まったのです。しかし、もしこの子供達が本当はスマホで遊んでいたとしたら、この子供達はIdiotsとみなされてしまうのでしょうか。SCに置き換えて考えてみると、研究者の方が用意したもの(絵)、と参加する人(鑑賞する人)が用意され、そこにはまらない人(子供達)たちは皆Idiotsである?この疑問について、書かれた論文です。
従来のSCの枠組みでは、このように最初からそれぞれの関係性やシナリオが用意された前提でプログラムを組んでいましたが、与える人と与えられる人という互いの関係性を決めたうえで解釈を与えるのではなく、そのような関係性を一旦排除し、見せるものが何もない状態で何が言えるのか、見えるのか、を考えていくということこそ、インタラクティブそのものではないでしょうか。新しいものは、ゴールありき行動パターンありきではない捉え方をしないとならないのでは、を論じているのです。
先生が問題提起している内容はつまり、以前までは“Science”、”Expert”、”Publics”がそれぞれどんな役割、関係性を持っているのかを明確にされていた(されてしまっていた)が、新しいSC論は、そもそも1つのものが現れる時は、常に他のものが不随して生まれてくるという考えを軸に持つべきで、上記3者の「関係性」を重視せずに、SCを成立させるために浮かび上がってきたものではないか、といった「関係性」の在り方を根本的に見つめ直す必要がある、ということです。
このように、日本では語られていないSC論の新しい潮流が海外では起こっているんですね。

SCを構造化していく良い面悪い面について

後半は、工藤先生がもつ現在進行形のモヤモヤについて一緒に考える時間でした。

◎モヤモヤ1:標準化と脱標準化

SCの標準とされているものは、所謂社会にSCを介入させるために制度化されたもので、国際的な標準に沿って決められたものです。しかし、果たしてその標準化から逸脱したSCはSCでは無いのでしょうか?SCに対する正解などあるのでしょうか?勿論制度化することは教育的な意味でも必要ではありますが、SCの醍醐味であるオープン性や民主性、多様性が失われてしまうのではないでしょうか。また、果たして日本で標準と思っていても海外ではそうでは無い場合もあるため、客観性をもってSCの標準化について見つめ直す事が大事なのでは?

◎モヤモヤ2:中心化と脱中心化

講義の始めにもあったように、SCを学ぶ・触れる際には英語を避けて通る事ができません。
SC系の学術誌等の論文でも英語のものが多く、そして読者も英語圏の人が多く、それ以外の言語は少ないのが現状です。英語圏の人たちにとっては、それが普通であり何の問題もなく内容を理解し、自分が属する社会との乖離もあまり感じる事なく投稿したり読んだりすることが出来ますよね。しかし、英語圏以外の人たちは、圏外というその時点ですでにプラットホームに乗れずにいます。また、英語圏の人にとって、非英語圏の人たちの研究内容を「ローカルな研究」と思う人も少なくないのです。しかし、果たしてそのプラットホームに乗れない研究はローカルと言えるのでしょうか?どちらがグローバルでどちらがローカルなのでしょうか?

日本のSCってどんな感じ?あなたならどう答える?

日本以外の人に「日本のSCってどんな感じ?」と質問されたら何と答えますか?
この答えによっては、相手の日本のSCの理解を構築することにもなるため、自分に何が語れるのか、常に意識して考えてみてはどうでしょうか、と最後に先生からお話がありました。私自身今回のお話を聞いて、ずっとSCとは何かについてモヤモヤしていた事は間違えでは無く、皆悩んでいたのか、というある種の安心感を得る事が出来ました。先生もお話していたように、国境を越えて様々な人たちと語り合う時間を設け、自分なりの曖昧な答えを見つけていこうと思います。