Articles

「社会の中での科学技術コミュニケーター役割科学技術ジャーナリストを例に~」(6/4)隈本邦彦先生 講義レポート

2022.7.2

デカストロさやか(2022年度 選科/社会人)

隈本邦彦先生は、NHK記者として25年、防災医療を含む科学技術分野等でジャーナリストとして活躍され、現在は科学コミュニケーションの研究・教育の傍ら現役のジャーナリスト・科学コミュニケーターとしても活動されています。講義では、それらのご経験を踏まえ、いくつかの事例を用いて、社会と科学の関係から科学コミュニケーターの役割を考える機会を提供していただきました。

(1)社会と科学の関係

かつて科学にかかわることは専門家が考えて最善の選択をすればよかったかもしれませんが、世の中は変わり、現在では科学技術が国の存亡に関わり、科学技術の成果が生活に深く関わる時代に。時を経て、専門的判断への市民参加が当たり前と考えられるようになりました。

科学と市民の関係はどうでしょうか。科学のことは難しくてわからないので、なんだか不安だという市民の気持ちを、科学者は「感情的」=「非論理的」と切り捨てがちです。一般市民と科学者の間には価値観の違いもあります。情報を発信する側の科学者と受け取る側の市民には伝達手段、理解度、感覚など、大きなギャップがあります。そこでこの大きなギャップを埋めるコミュニケーション手段として「科学ジャーナリズム」があり、それを担う「科学ジャーナリスト」は典型的な科学コミュニケーターです。私たちも日々、科学技術に関するあらゆる問題についてあまり情報を集めずに他人の意見などを参考に直感的に判断する「周辺的ルート処理」をし、そこでは科学ジャーナリズムに大きく頼っていると思います。

(3)科学ジャーナリズムの課題

新型コロナウイルスや原子力等、最近では科学に関する重要なニュースが増え、カギとなる科学知識が高度化するにつれて、科学関係のニュースとニーズが高度化・多様化しているにもかかわらず、それを担う記者の育成は旧態のままと隈本先生は言います。体系的な育成システムもない中、科学担当記者の地位は重視されないなど、日本の科学ジャーナリズムは大きな問題を抱えていることが指摘されました。統計の誤認識、政府の情報を鵜呑みにした実際の報道の例を見ながらその実態を説明してくださいました。

(3)トランスサイエンス問題

1972年にアルヴィン・ワインバーグ博士が提唱した「トランスサイエンス問題」。「科学に問うことはできるが、科学だけでは答えることができない問題」があり、それに対して、科学者がとるべき態度は「科学の限界を明らかにするのが科学者の責務」であるとしています。また、それには、「無私の正直さが必要」と言っていますが、自分の立場や地位を守ろうとする科学者にはとても難しいことです。そこで、科学ジャーナリズムは、科学者が「責務」を果たすよう科学者に促してきたでしょうか?

原子力の安全問題にしても、無私ではない審議会委員たちの見解をそのまま報じる「悪しき客観報道」により、擬似サイエンス問題として処理しようとしているのを手伝ってきたのではないでしょうか。過去にあったスモンの薬害の例を通じていかにそのようなジャーナリズムが社会に影響を与えたかの説明は、まさに衝撃でした。しかもそのような悪しき客観報道の歴史はその後も繰り返され、現在、新型コロナワクチンのケースでも続いています。

(4)双方向のコミュニケーションを促す、それが科学コミュニケーター

理想的には科学技術コミュニケーターが科学者と一般市民の間の双方向のコミュニケーションを促す役割を担うことですが、現実には、科学者コミュニティに雇われた人や科学ジャーナリストが担っています。これに対抗するには、市民側にもコミュニケーターがいて、情報を精査・吟味できる仕組みが必要で、そこにCoSTEPが果たせる役割があると隈本先生は言います。CoSTEPには日本の科学技術ジャーナリズムを劇的に改善したり、あらゆる科学知識を幅広く持った中立公正な人材を育てることはできないかもしれませんが、基礎的な科学知識とジャーナリストとしてのセンスを身につけた人材を世の中に送り込み、そのような人材が科学知識とコミュニケーションスキルを生かし、フェアな伝え方や論争ができるようにすることができるのはないか、という隈本先生からの期待で講義がしめくくられました。

(5)講義を終えて

科学ジャーナリズムに大きく依存して、ある意味で科学コミュニケーションを実践しているのは私だけではないと思います。政府機関の発表どころか、科学技術ジャーナリズムによる情報を鵜呑みにしている自分がいないか、と反省するきっかけとなりました。