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『欲望の植物誌人をあやつる4つの植物』

2022.7.18

著者:マイケル・ポーラン
訳者:西田 佐知子
出版社:八坂書房
刊行:2003年10月30日
価格:2,800円(税抜)


ジャガイモ依存症 

世の中には数多くの種類の野菜が存在するが、ジャガイモ程私にとって身近な存在の野菜は他にない。カレーライス、ポテトサラダ、肉じゃが、コロッケ、マクドナルドのフライドポテト……思えば小さい頃から日常的にじゃがいもを食べていた記憶がある。毎週金曜日にはほろほろとしたジャガイモが入ったカレーライスを食べたり、学校帰りにマクドナルドに寄ってチーズバーガーとフライドポテトをつまみながら友達と雑談したり、最近では自分でポテトサラダをつくってみたりと、他の野菜と比べて明らかにじゃがいもを食べているシーンが多いと思う。毎週じゃがいもを食べている私は、もはや「ジャガイモ依存症」の患者として認定されてしまうくらいだ。    

ここで私は一つ疑問が浮かんできた。

「なぜこんなにもじゃがいも を食べているのだろう?」と。

自分でも気づかないうちに、ジャガイモが持つ「何か」が私をジャガイモに夢中にさせているのではないだろうか? ジャガイモ自体が持つ美味しさが理由の一つであるのは容易に想像がつくが、他にも理由がある気がしてならない。

本書「欲望の植物誌」は、様々な観点から植物がいかに人間を上手に利用した生存戦略をとってきたのかを植物目線で考察した一冊だ。植物の中でも、アメリカ人の著者に馴染みの深い4つの植物(リンゴ・チューリップ・マリファナ・ジャガイモ)に焦点を当てているのが本書の特徴だ。

今回、ジャガイモ目線で人間とのかかわりを書いた、本書の第4章 を読み解きながらジャガイモが人を引き付ける理由について自分なりの答えをだしてみようと思う。 

新大陸からの宝物

ジャガイモの原産地は南米大陸のアンデス山脈と言われている。7000年以上も前からインカの人々が栽培し続けていた。16世紀にスペイン人が金塊を目当てに新大陸のアンデスを征服したとき、大量の金塊と共にジャガイモをヨーロッパに持ち帰ってきた。ヨーロッパに持ち込まれた当初、ジャガイモは中々広まらなかったという。当時のヨーロッパの人々はジャガイモに対して「未開の地アメリカから持ち込まれた奇妙な植物」という印象を持っていたからだ。

しかし、17世紀のアイルランド人(当時イングランドに征服されていて肥沃な土地を持てなかった人々)が自分たちの土地で試しに栽培を始めたことが、ヨーロッパにジャガイモブームを巻き起こすきっかけになった。

栄養分が少ない土地でも容易に大量の収穫がのぞめて、かつ栄養分が豊富に含まれているという特徴をもつジャガイモはその後、ドイツやフランス、イギリスなどに広まっていった。これらの国々では人口増加に対して安定的に食料を供給することができ、国力を高めていく一つの要因になった。

ジャガイモは金塊と共に、ヨーロッパにもたらされた「宝物」といっても過言ではないだろう。

管理化されたジャガイモ

ジャガイモの栽培が広がるにつれて、ジャガイモは経済システムに組み込まれていく。食料の安定供給の一旦を担うようになったジャガイモは、より大規模な農地で、単一栽培で、大量に生産されるようになった。それに伴い、より病虫害にかかりにくくするために、自然交配ではまず交わらない遺伝子を組み 込んでみたり、大量の農薬を散布したりといった、管理されたシステムのもとでジャガイモが栽培されるようになっていく。

このあたりの内容が書かれている部分では、農家 VS. 大企業や、従来型の農家 VS. 自然栽培農家といった立場の異なる人たち の意見の如実なぶつかり合いについて述べられており、ジャガイモ栽培の現状がひしひしと読者にも伝わってくる内容だ。

二つの欲望 

章末において「私は鍋の火を止め、ほかのジャガイモを掘ろうと庭に出た。そして「ニューリーフ(遺伝子組み換えジャガイモ)」はポーチのすみの、あいまいな定位置へと戻っていった」と書かれていることから、著者は遺伝子まで徹底的に管理されたジャガイモではなく、遺伝子を組み替えていない従来の方法で栽培されたジャガイモを食べるのが良いと主張していることが読み取れる。

この著者の言い分を踏まえると、私は「いつでも、どこでも同じ美味しさを味わいたい」という欲望を、ジャガイモを通じて叶えようとしているのではないか。色々な料理の具材として重宝されて、その上マクドナルドを始めファストフード店やレストランに行ってフライドポテトを食べれば大体同じような美味しさを堪能できる。ジャガイモほど世界共通で同じ美味しさを人々に届けられる野菜はそうそうないのではないか。

そしてその裏側には、遺伝子組み換え技術や単一栽培といったジャガイモの管理化によって成し遂げられている。つまり、私たちが「同じ美味しさのジャガイモを食べたい!」と欲望を広げるほど「より徹底して管理してジャガイモを栽培していこう」という、 もう一つの欲望も広がるということだ。

さらに、著者の述べたことを筆者なりに解釈すると、二兎追う物は一兎も得ずということわざがあるように、この二つの欲望を同時に甘受しようなどということはできない。遺伝子組み換え技術を用いた管理が拡大していくと同時に、「将来的に人間の身体にどのような影響がでるのか分からない」という言いようのない不安感も広がっていく。

「ジャガイモを管理していく前に、まず私たちの欲望をコントロールするところから始めていくべきなのかもしれない。」

私はスーパーで購入したジャガイモを使ってポテトサラダをつくりながら、ふとそう 思った。  

小辻龍郎(CoSTEP18期本科ライティング・編集実習)