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モジュール1-3「対話のその前にコミュニケーションのための科学哲学~」(6/10)松王政浩先生講義レポート

2023.6.23

近藤隆(2023年度対話の場の創造実習/学生)

モジュール1の第三回目は北海道大学理学研究院 松王政浩先生に「対話のその前に~コミュニケーションのための科学哲学~」をテーマにご登壇いただきました。

松王先生は科学哲学をご専門にされています。「科学哲学」という学問をここで初めて目にする方も多いのではないでしょうか。
「科学者が研究を行ったりする上で立脚している何らかの暗黙の前提というものがある。ここを探るのが科学哲学だ」と松王先生は語ります。
ではここでいう「暗黙の前提」とは具体的には何でしょうか。新型コロナウイルス感染症を例にとってみてみましょう。

科学哲学の実践例―コロナウイルス感染症を通じて―

コロナウイルスの感染拡大予防を目的に、当時「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」という組織が立ち上げられました。専門家会議は市民の行動変容の提言を、政策決定者だけでなく市民に直接伝えていましたが、専門家は社会に対してどこまで踏み込んで働きかけるべきなのでしょうか。科学者が直接、価値判断を行ってよいのでしょうか。科学哲学の価値判断論はそれを考えるヒントになります。

価値判断を巡る論争

科学者は仮説を判断する際、時に誤って判断してしまうという不確実性があります。科学的情報が社会に与えられる際に、このリスクは必ず社会に引き継がれてしまいます。このリスクに対して、科学者はどういった態度を取るべきか、ということをめぐって立場は二分されています。それぞれの考え方を詳しく見ていきましょう。
ラドナーは、二つの前提から科学者は価値判断を行うべきだ、と考えました。
例えば、ベルトの工場と化学物質の工場での基準を比較したとき、不良品を出荷した時の社会への影響を考慮すると、化学物質の工場での基準はより厳しくなるということは想像に難くないと思います。また、動物実験で得られた安全性のデータをヒトに当てはめる際にも、どれほどの被害を許容するかで価値判断が関わってくる、ということができるでしょう。
一方、どれほどの社会的な影響を許容するかは社会がすでに決めていて、科学者はそれに従っているにすぎない、という考え方でラドナーに反論したのがジェフリーです。ジェフリーは、科学者は仮説に対して確率を提示すればよく、社会への影響を考慮した判断は社会がすればよい、と考えました。
まとめると、不確実性に対する判断を誰が、どのように行うべきかに関して二人の論争が行われました。さらに近年、スティールが二つの立場の間を取った中間説を提唱しています。

ラドナーとジェフリーの主張をまとめる松王先生
二つの立場の間をとった中間説(K.T.スティール)

スティールは、科学者は確率判断にとどまるべきだというジェフリーの考え方を基本的には支持します。しかし、確率をそのまま社会に提示しても有効に使うことができないため、社会が効率的に利用するために情報を加工する必要があると唱えました。また、松王先生はここからさらに踏み込んでこの加工の際、いかに政策に使われるか考慮する価値判断が入るとよりラドナー的な立場に近くなると考えました。
科学者と価値判断を巡るいくつかの立場を見たうえで、今度は実際の事例でどの立場が取られているかを見てみましょう。

1. IPCC(気候変動に関する政府間パネル)

IPCCはこれまでの気候変動に関わる科学的知見を総括するとともに、政策決定者への情報提供を目的としています。IPCCでは不確実性を評価する際、政策提言者にむけてデータの「加工」が行われています。これは政策利用を念頭に情報を加工するというスティールの提唱した中間説の考え方に近いといえるでしょう。
一方2007年、気候科学者たちは気候変動に対して行動変容を呼びかける声明を発表しました。これは、科学者は価値判断すべきというラドナー的な考え方に近いということができます。
気候変動科学では同じ予測結果に対して社会はさまざまな行動をとりえます。このように科学側が提示する情報に対して社会的な選択の余地がある分野では、科学者のなかでも価値判断に対する考え方は変わってくるのです。次に見る疫学は、同じ分野でも周りの状況によって価値判断に対する考えが変わってくるという事例です。

2. 新型コロナウイルス感染症

新型コロナウイルス感染症に対して、厚生省は専門家からなる諮問組織であるアドバイザリーボードを設置しました。流行初期は政府に対して助言を行うのみでしたが、次第に対策案を提示するようになりました。これは、科学者は価値判断をすべきであるというラドナー的立場であるといえます。しかし、次第にこのように専門家が政策決定まで踏み込むことに対して疑義を呈する人が増え、アドバイザリーボードは政府に提言するにとどめるという弱い価値判断の立場へと回帰しました。この考え方の変遷も社会の選択の多様性で説明できる、と松王先生は言います。
感染拡大初期ではクラスター対策による封じ込めなど社会的な選択の余地がなかったため、科学者側が強い価値判断を行っていました。これに対して、感染拡大期では社会的選択の多様性が増加したため、価値判断を弱くしたと考えることができます。このように同じ分野でも社会の状況によって科学者側の価値判断というのは変わってくるのです。一方、二階の不確実性評価という観点から価値判断を評価したのが、地震学です。

3. 地震学

ラクイラ地震裁判について説明する松王先生

地震評価は一定期間内に地震が起こる指標として確率とそれに対する信頼性という二階の不確実性評価が取られています。この二階の不確実性評価が問題になったのがラクイラ地震裁判です。
2009年1月、イタリアのラクイラ地方で群発地震が発生しました。イタリア政府の大災害委員会はこれが大地震の前兆ではないかという疑いに対して「安全宣言」を発しましたが、4月6日、M6.3大地震が発生し、死者309人の被害を生じました。裁判所は安全宣言に関わった7人に一度は有罪判決を出しましたが、後に6人に関しては無罪となりました。
裁判では、科学者側の発言が行政によってゆがめられ、市民に伝えられてしまったことが明らかになりました。この際、科学者は政策決定にまで携わるべきでないというジェフリー的立場をとりましたが、検察側は、科学者は地震の被害など社会的な評価を下すべきだというラドナー的立場をとりました。このように二階の不確実性評価がなされる場面では、科学者側がどこまで政策決定に踏み込むべきか、ということが論争になるのです。

結語

科学哲学の価値判断の類型は、実際の科学によく当てはまります。どの類型が当てはまるかは、科学の種類によって異なってきますが、科学がどうあるべきかという規範的な話に関しては今後の課題となる。と松王先生は語っていました。

講義を受けて

科学は社会といかに接点を持つべきか、ということは新型コロナウイルスの流行で明るみになった問題ではないかと思います。サイエンスコミュニケータは時に、科学者側の発言と政策決定者の発言から双方間でどのような議論が行われていたかを読み解き、市民に伝えるという役目を果たさなければならないと考えました。

講義で述べられた内容の詳細については松王先生の著書「科学哲学からのメッセージ」が出版されています。本書では価値判断だけでなく、因果や実在といった幅広い観点から科学と哲学との接点が語られています。ご一読いただければ幸いです。

写真左が松王先生の著書『科学哲学からのメッセージ』、写真右は松王先生が翻訳された『科学とモデル』
松王先生ありがとうございました。