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モジュール1-4「社会の中での科学技術コミュニケーター役割科学技術ジャーナリストを例に〜」(6/17)隈本邦彦先生講義レポート

2023.7.13

吉田竜斗(2023年度ソーシャルデザイン実習/学生)

 モジュール1:科学コミュニケーション概論の4回目は、隈本邦彦先生に講義をしていただきました。科学ジャーナリストのあるべき姿を例に、科学コミュニケーターの社会の中での役割について学びました。

科学と社会との関係

かつては、専門家のような一部の人が科学について知っていて、彼らだけで物事の指針を決めるだけでよかったのです。例えば、江戸時代、金山で金を取り出す方法は、金山の周辺住民さえ知らず、幕府の山奉行だけが知っているという状況だったといいます。しかし、現在はどうでしょうか。当時、金を取り出すために鉛アマルガム法を使用していました。周辺住民に知らせることなくこの方法を使っていると、鉛アマルガム法で使われる鉛や水銀は健康被害を連想しうることから、公になった時に大バッシングを受けそうなものです。現在においては、裁判員裁判や政策決定などのように専門的判断な判断が求められる場合への市民参加が当然となりつつあります。また、科学者に向けられる視線も変化し、厳しいものとなりました。1970年に催された大阪万博では、原子力発電は「原子の火」として讃えられる最先端技術でした。「被爆国である日本が原子力を平和的に利用する」という高揚感のようなものがあったと隈本先生は言いました。しかし、2011年に発生した東京電力福島第一原子力発電所事故の時、事故の予見ができなかったことや事故後の説明が不十分だったことから、科学者といえども全てを知っているわけではないことに市民はようやく気づいたのです。
1970年頃を契機に、自然との付き合い方に対する考え方にも変化が表れています。かつては、人間の幸福のためには、自然を征服する必要があると考える人が30%ほど存在しました。「科学の発展は、自然を征服してこそ証明される」というような考えがあったと思われます。しかし、現在ではこのような考えを持つ人は1割もいません。1970年頃公害問題に注目が集まった結果、科学の発展が人類にとって脅威になると考える人が出てきたといいます。その結果、人間の幸福のために自然を征服する必要があるという考えはなくなっていきました。

科学者と市民とのギャップ

市民の科学に対する「不安」は感情的なものであり「非論理的」であるとして、科学とは切り離されます。先の福島原発の処理水を積極的に飲みたい人はいるでしょうか?科学的にはその安全性が示されているものの、可能ならば飲みたくないというのが「素直な気持ち」でしょう。しかし、論理を大事にする科学者は「素直な気持ち」が分からなくなることもあるといいます。このように科学者 (情報の発信側) と市民 (情報の受信側) との間には大きな「ギャップ」があります。隈本先生は、「ギャップ」の存在を前提にすることが重要で、「ギャップ」を埋めるために科学ジャーナリズムが必要であることを教えてくれました。その担い手は科学ジャーナリストであり、科学技術コミュニケーターが果たすべき役割の一つです。

科学者と社会の情報ギャップについて語る隈本先生
科学ジャーナリストの役割

科学ジャーナリストが科学者と市民とのギャップを埋めるとは言ったものの、具体的に何をすべきでしょうか。人々の意思決定に関わる部分で、大きな役割を果たすことができます。何かを判断するために情報を収集する場合、大きく分けて、二通りの方法があります。一つは、自分の力でできるだけ詳しい情報を集めて判断することです。これを中心ルート処理と呼びます。私たちは様々な場面で選択を迫られますが、中心ルート処理で物事を判断することは少ないのです。多くの判断は、もう一つの方法で行われています。それが周辺ルート処理です。これは、自分では情報を集めず、他者の意見などを参考にして物事を判断するものです。ここでいう他者には様々な立場の人が想定されますが、科学ジャーナリストがその一つです。科学ジャーナリストが論文を読んだり、科学者に取材をしたりして情報を発信します。その情報を基に、市民が判断します。したがって、科学ジャーナリストの責任は非常に重いのだと、隈本先生は語ります。
では、現在の日本で科学ジャーナリストは責任を十分に果たしていると言えるのでしょうか。隈本先生は、非常に否定的でした。特に熱を持って話してくれたのは、ジャーナリストが見聞きしたことをそのまま報じる姿勢についてです。すなわち、「ある科学者がこのような発見をした」、「この政治家がこう言った」という“事実”しか報じず、そこに含まれる課題や問題点を一切指摘しない姿勢には問題があると考えているということでした。例えば、1964年から始まった薬害は、当初ウイルスによる感染症であると報じられていた。感染症であるという説は、医者や研究者が言っていたにすぎず、記者が取材したり、詳しく調べたりしたわけではありません。実際に、後になって薬害だと認められたのだから、調査に関わった医者や研究者は勿論、感染症だと報じた記者とメディアの姿勢にも間違いがあったと言わざるを得ないでしょう。これを契機に改善されていれば、よかったのですが、その後の公害やCOVID-19をめぐる報道にも同様の姿勢が見られることを嘆いていました。

質問する筆者
講義を受講して

正しく伝える。これは非常に重要なことです。しかし、“事実”を伝えるだけではなく、科学者と社会との間にはギャップがあることを認識し、問題点や間違いがないか疑う姿勢を持ち続けることが大切であることを学びました。これはジャーナリストに限らず、何かを発信する立場にある人全てに必要であると考えました。

隈本先生、ありがとうございました。