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「農業技術とデュアルユース」(11/11)藤原辰史先生の講義レポート

2017.12.4

岡 碧幸(2017年度 本科/学生)

今回は、藤原辰史先生(京都大学人文科学研究所)をお招きし、科学技術のデュアルユースについて学びました。講義では、人の「食べること」を支え、人類の幸せのために生み出された農業技術が、戦争で人を「殺すこと」に使われるようになった経緯を、特に第一次世界大戦に注目して見ていきました。

戦争を語る際に、まずその「恐怖」の本質を伝えることが大事だと、藤原先生はお話されました。そして、特に主戦場となったヨーロッパにおける、第一次世界大戦を描いた資料を提示しながら、その惨禍を伝えられました。発達した軍事技術が用いられた新兵器は、兵士に大きな心身的障害を与えるようになり、戦争を生き延び除隊した後も、彼らは苦難の人生を歩みました。

藤原先生は、第一次世界大戦のことを「人を殺している感覚無しに、人を沢山殺せるようになった戦争」だと言います。それを可能にしたのは、なんだったのでしょうか?講義では、農業技術の発達と兵器の関連を、具体的な例を出して考えていきました。

まず、トラクターの登場です。トラクターはアメリカの農村部において1920年代頃に発達しました。そのころ第一次世界大戦では、塹壕が掘られ、戦線が停滞することが戦争国の悩みでした。そこでイギリスが、トラクターに目を付けたのです。これなら塹壕を突破していけるのではと考え、世界史上初の「戦車」が作られました。第一次世界大戦が終わった後も、農業用のトラクターを製造する会社は戦車の開発を秘密裏に進めていきました。

次に化学肥料です。1906年、ドイツの研究者によって、大気中の窒素を人工的に固定する、ハーバーボッシュ法が発明されました。これにより、人々は大量の窒素化合物を作れるようになります。その応用の一つが「火薬」です。機関銃が発達した大戦では、火薬は重宝されました。

逆の流れもあります。「毒ガス」です。化学の発達により、マスタードガスや青酸ガスなどの利用が可能になりました。戦争後、大量に生産され余ったガスは、殺虫剤などの農薬として使われるようになりました。これ以降、化学農薬が発展するようになったのです。

藤原先生は最後に、技術が「平和」と「戦争」の二つの顔をもつこと。そして今は、たとえ武器を全てなくしたとしても、また新たな武器が、すぐに生まれうる世界であることを強調されました。更には、近年盛んに取り組まれてきている「有機農業」の意義について、振り返る必要性を語られました。今日、有機農業は商品に付加価値を与える意味合いで行われることが大きくなっています。しかし本来は、文明やそれに伴い残虐化する戦争を批判する、哲学・思想を強く持っているものでした。

講義で、戦争法で禁止されているにも関わらず毒ガスが使用された、という話があり、この点に関し「法でも止められないのであれば、何が抑止力となり得るのか?」という質問が受講生からありました。これに対し「『倫理』そして『対話』しかないのではないか」と先生は答えられました。CoSTEPで常に重要視される、異なる立場にいる人々との対話・コミュニケーションの大切さを改めて感じました。