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モジュール4-3「身体や心に介入する技術に対する倫理」(10/22) 佐藤岳詩先生 講義レポート

2022.12.22

増田 有沙(2022年度選科A/学生)

2022年10月22日の講義はモジュール4-3佐藤 岳詩 先生(専修大学 文学部)から「身体や心に介入する技術に対する倫理」というタイトルで講義をいただきました。
倫理学は哲学分野のうち、物事の是非を問うような学問とのことであり、今回の講義ではその枠組みを用いて、新技術の導入に対する道徳的な問題点やその解決法を考えていきました。

佐藤 岳詩 先生

今回考えたテーマは「エンハンスメント」についてです。エンハンスメントとは、「正常に働いている人間の身体や心理に直接介入してそれらを変化させるという形で、生来の素質や活動能力を強化し向上させるためにバイオテクノロジーの力を直接的に使うこと」を指します。

具体的なエンハンスメントは体と心のそれぞれに分けられ、体のエンハンスメントであれば、外見、運動能力、機能の延長をすること、心のエンハンスメントであれば、知性、性格、良心といった部分にまで働きかけることができます。この具体的手法としては、
外科手術や薬、BMI(Brain Machine Interface)、BCI(Brain Computer Interface)、機械化、遺伝子操作などが挙げられます。

では、エンハンスメントが近年問題視される背景には何があるのでしょうか。それは、1つ目はBMIや遺伝子操作といった手法は人類史上初めて登場したものに対しては従来の価値評価を行うことが難しくなったこと、2つ目は実験的に用いられていた薬などが日常に影響拡大してきたことが挙げられます。そのため、エンハンスメントを導入することに対して、議論する必要が出てきました。

講義ではエンハンスメントの倫理学の代表的な3つの論点が示されました。この議論ではワクチンのようにとらえる「悪いこともあるかもしれないがいいことの方が多い」と考える賛成派と、ドラッグのような捉え方をする「多少は良いかもしれないが、大切なものを損なう」と考える反対派の意見、そして、先生の見解を交えて講義が進んでいきました。

3つの論点
  • エンハンスメントは身体を大事にしないことにつながるか。
  • エンハンスメントは人を不自由にするか。
  • エンハンスメントは人間にとって基本的なものを奪い、大切な価値を損なうか。
エンハンスメントは身体を大事にしないことにつながるか

生まれ持った体に手を入れることは、身体を大切にしていない、という反対意見に対し、賛成意見としては、エンハンスメント技術の利用自体が体を大切にするのだということ、仮に大切にしていないなら身体よりももっと大事なものがある、マイナス点を補って余りあるプラス点があるということが考えられます。先生の見解としては、賛成意見に対し、身体的な重要性は高いため、身体より大事な、ということ自体が自己決定にゆがみが生じているのではないか、そもそも自己否定が起こるのには社会の態度が強くかかわっていると指摘されました。この問いから、そもそも身体を大切にしているかの基準は何かという課題が見出されました。

エンハンスメントとは人を不自由にするのか

反対意見としては、エンハンスメントによって自由になったように見える一方で、能力の有無で序列をつけるような社会では、やらないと成功につながらない、また、エンハンスメントによって序列付けが起こり、差別を助長されるのではないかということが挙げられました。その一方で賛成側はあくまで、社会の構造の問題であり、技術が引き起こす問題ではないこと、また、差別をしたくて技術使用をするわけではないこと、そして、こういった問題は他の技術を導入する際と同じく、増える自由と減る自由を考慮してエンハンスメントと序列の関係を弱めることに焦点を当てる必要があるとしています。これに対して先生は序列付け構造の解体は容易ではなく、社会の問題は個人の問題でもあることや、エンハンスメントの有無にかかわらず、誰にとっても生きやすい社会をつくることは簡単なことではないという指摘でした。この問いから、序列付け構造による不正義(差別や自己否定)に加担することなく、個人が主体的にエンハンスメントを楽しむことは可能かという課題が見出されました。

エンハンスメントは人間にとって基本的なものを奪い、大切な価値を損なうか

反対意見としては、エンハンスメントは人間のすべてを支配しようとする技術であり、謙虚さ、努力する姿勢、自律性、行為者性、アイデンティティの感覚、本当の苦楽、人生の深み、など人間にとって基本的なものを損なう可能性があるというものです。賛成意見においては必ずしも重要なものを損なうわけでなく、あくまで技術の使い方に問題があるとして、ほかの技術でも起こりえる問題だとしています。これに対して、先生は、エンハンスメント技術には使用し始めると歯止めが利かなくなる可能性もあることや、誰か一人だけエンハンスメントによって利益を得ようとするには、負の側面が目立つことなどを指摘されました。この問いから、エンハンスメント技術の利益を享受しつつ、その他の価値を損なわないためにはどうするべきかという課題が見出されました。

これら3つの論点に対して、「いずれもそうなり得るが、必ずしもそうなるとはいえない」くらいが妥当ではないかと先生は言います。そのため、絶対に禁止すること、なんでもOKといった両極端にならないよう、どうすればよいのか、どういったルールが必要なのかを考えることは不可欠です。
今後、健全なエンハンスメントを行うためには何が必要か3つの対処モデルを考えていきました。

  1. 使用の一般的条件を定めることで解決しようとする個人モデル
    自由な最善の理由に基づく選択の結果、エンハンスメントを望む個人が行うこと。問題点は、個人の責任が重たくなることや、周囲への間接的な影響は考慮に入れられていないことがある。
  2.  集団・共同体毎に使用の条件を定めて解決しようとする共同体モデル
    特定の共同体の中で特有の序列付け構造に同意した人だけで通用するということ。
    問題点としては、外部からの批判が入ってこなくなる、共同体によっては個人の同意に関わらず所属せざるを得ないことがある。
  3.  社会全体の変革と並行して解決しようとする社会モデル
    個別的な個人や共同体の背景にある、意思の決定に影響を与える社会に目を向けるモデル。
    問題点としては、すべてを社会の問題にとすると、個人の自律性・行為者性を軽視することにつながること、個人の主体性を奪っていいわけではないことが挙げられます。

これらのモデルはいずれも、その解決すべき課題の特性によって、バランスよく組み合わせて使っていく必要があります。3つの論点から出た課題については以下のようなモデルが紹介されました。

  1. 身体を大切にしているかどうかを判定する基準を作ることは可能か
    →個人モデルで妥当な自己決定とは何かを丁寧に考えて、基準を作る。
  2.  順序づけ構造による不正義に加担することなく、個人が主体的にエンハンスメントを楽しむことは可能か
    →社会モデルで序列付けによる不正義(差別や自己否定)に抵抗しつつ、その外側はどうか模索すること。
  3.  エンハンスメント技術の利益を享受しつつ、その他の重要な価値を損なわないようにすることは可能か
    →共同体モデルで重要な価値とは何かを都度明確化していく。

今後エンハンスメント技術は私たちの生活に介入してくることになります。その時にただ単に好ましいかどうかで判断するのではなく、技術を使うことで生じるリスクを十分に理解したうえで、どういった対処をしていけば、人や社会、共同体が健全に機能していくのかを考えていく必要があります。

私自身の感想としては、技術の社会実装において難しい部分は、技術的に可能になることよりも、むしろ社会に住む人がその技術とどう付き合っていくべきか、使うことで何が起こるのかを様々な立場に立って考えなければならないと感じました。科学の持つ力が大きいからこそ、自分が、自国が使いたいから使えばよいではなく、周囲の人にとってどんな影響を与えるか、倫理学で立ち止まることができれば、解決できる問題もあると考えました。

佐藤先生、ありがとうございました。