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人類進化の700万年 書き換えられる「ヒト起源」

2010.6.29

著者:三井 誠 著

出版社:20050900

刊行年月:2005年9月

定価:798円


 著者は読売新聞東京本社科学部記者である。新聞記者らしい淡々とした文章で,最新の情報も盛り込みながら,これまで私たちが教科書などで学んできた「ヒトの起源」が,現在の科学ではどう塗り替えられつつあるのかを,一般向けにわかりやすく解説している。これまでの常識が非常識となっていく「驚き」を感じることができる本である。

 

 

 フットワークで仕事をこなす記者ならではの情報入手力と実証を重視する思考に裏づけられた書である。本書は,人類進化の途上におこった出来事を年代順に示していくのだが,それがどういう意味を持つのか,なぜそう言えるのかについて,丹念に証拠をあげて説明している。職業柄,一つの説に肩入れすることがなく,また,素人でもわかる言葉選びや解説に余念がない。自分も数年前まで素人だったと述べる謙虚さに好感が持てる。

 

 

 これまで,「ヒトの起源」と言えば,1982年にイヴ・コパン氏が提唱した「サバンナ起源説」が主流だった。アウステラロピテクス類の最古の化石が,例外なく,アフリカ南部を南北に走る大地溝帯の東側,そこに広がるサバンナ(草原)で発見されていたからだ。「サバンナ起源説」では,大地溝帯によってこの草原に隔離された類人猿が,地上での二足歩行の生活に移行して人類になったと考える。いわゆるイーストサイド・ストーリーだ。

 

 

 ところが,近年新たに見つかった化石がこうした常識を変えようとしている。1994年に報告された約440万年前の猿人化石,2001年報告の二種類の人類化石(600〜580万年前,580〜520万年前)がいずれも,草原ではなく,森林で生活する動物と一緒に見つかったからだ。また,今から 300万年前までは,山々の隆起は動物相を分けるほど発達しておらず,東側の乾燥化もそれほど進んでいなかったことも明らかになった。そのため,人類が草原で進化したとする説に疑いが持たれるようになった。

 

 

 そして,2002年,現在最古の人類化石とされる「トゥーマイ」(700〜600万年前)が,魚,ワニ,ゾウ,ウシ,カバ,ヘビ,森林性のサル等々と同じ地層から見つかったことが報告された。このことは,湖や草原,林など異なる環境がモザイク上に混在する土地で人類が誕生したことを意味する。しかも,この化石の発見場所は,なんと大地溝帯の西側であった。この発見により,イーストサイド・ストーリーは崩壊してしまった。そして,「サバンナ起源説」に変わるものとして,現在,「食糧提供仮説」などが有力視されているという。

 

 

 ヒトがチンパンジーから分岐し,ヒトとして独自に進化の道を歩みはじめたのは,いつごろのことだったのだろうか。かつては「500万年前」と考えられていた。それがあるとき,いっきょに100万年も昔に遡り,「600万年前」に変わった。今から5年ほど前のことだ。分子生物学が発展した結果,タンパク質やゲノム分析の技術が向上し,分子時計による人類進化の道筋の推定が可能になったためだった。それで一件落着と思いきや,5年も経たないうちに,また一挙に100万年も遡り「700万年前」と言われるようになった。分子時計による推定年代は誤差が大きいとされていたことが背景にある一方,今回の学説の変更を決定的にしたのは,分子生物学とは無縁のオーソドックスな手法だった。人類化石「トゥーマイ」がアフリカで発見され,同じ地層から出土した動物化石の年代から700万年前だとわかったのである。とはいえ,一部には,この「トゥーマイ」を人類と断定することには異論もある。

 

 

 このように,科学の学説に終わりはない。あるときは新しい研究手法の登場に押されて,またあるときは新しい事実の発見に動かされて,学説は歩みを続けていく。科学がもつそうしたダイナミズムを,本書は生き生きと描き出している。

 

 

 本書はこのほか、「直立二足歩行と大脳大型化はどちらが先か?」「どうやって人間らしさを獲得していったのか?」といった素朴な疑問にも答えてくれる。また、「年代測定とは」や、「遺伝子から探る」という章を設け、科学的な手法や裏づけについても、きちんと説明する姿勢を貫いている。章ごとに年代バーがついており、どの年代の話か、時間軸を追って理解しやすい工夫がなされているのも嬉しい。

 

 

 すでに社会に出てしまい、教科書で「ヒトの起源」について再度学ぶことのない人に、ぜひ読んでもらいたい一冊だ。

 

 

北田 薫(2006年度CoSTEP選科生,熊本県)