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「ワークインレジデンスサテライトオフィスによる創造的過疎の実現」 12/19 大南信也先生の講義レポート

2016.1.8

多くの地方自治体が過疎化に悩む中、徳島県の山間にある神山町では、新たな取り組みで国内外からの移住者を増やしています。

今回は、同町で自治体と協働しながら町おこしの旗振り役を担う、NPO法人グリーンバレー理事長の大南信也さんを講師に迎え、これまで活動の歩みとともに、移住者と地域をつなぐコミュニケーションのあり方についてお話しいただきました。

佐々木 学(2015年度CoSTEP研修科)

過疎の町から世界の注目を集める町へ

グリーンバレーが中心となって取り組む「神山プロジェクト」では、過疎化が進みつつある現実を受け入れた、町の活性化を進めています。従来の農林業のみに頼ることなく、外部から若者やクリエイティブな人材を呼び込んで人口構成を健全化し、ビジネスの場としても価値を高めること。これが神山プロジェクトが掲げる「創造的過疎」という考え方です。

神山町では、東京などに本社を置く企業のサテライトオフィスを誘致したり、仕事を持った人や起業したい人を誘致したりして、町の活性化を進めてきました。その結果、町の移住交流支援センターを介した移住者の平均年齢は30歳、子連れの世帯も多く移り住んできました。

2015年5月、アメリカのワシントンポスト紙で「神山はアメリカにおけるポートランドのような場所だ」と評されました。ポートランドは今、世界中から毎週数百人もの移住者が押し寄せる大人気の町です。この記事をきっかけに、さっそくアメリカから移住者がやってきました。さらに、ポートランドの町づくりの基礎を築いたポートランド州立大学の先生が来訪し、現在、学生や研究者の交流プログラムが提案されています。アムステルダムからの観光客も多いなど、神山町は、今や世界から注目される町のひとつとなりました。

ワシントンポスト紙の紙面。神山町を「アメリカにおけるポートランドような場所」と評した

アートによる町おこしから始まった移住者誘致

神山町の移住者受け入れ事業は、1999年に開始した、アーティストを町に招いて創作活動を支援する「アート・イン・レジデンス」が土台となりました。しかし、神山町には潤沢な資金も、アートを評価する仕組みもないため、評価の高い芸術家の作品を集めることはできません。そこで大南さんたちは、お遍路さんをもてなしてきた“お接待”の精神を生かして「場の価値」を磨き、滞在満足度を上げることを思いつきました。その結果、世界中から気鋭のアーティストがやってくるようになったのです。

アーティストの呼び込みに成功したグリーンバレーは、2007年に設置された「移住交流支援センター」の運営を受託。今度は、特定の仕事に就く人を募集する「ワーク・イン・レジデンス」をスタートさせました。積極的に町のあり方をデザインし、地域を再構築することができる画期的なアイデアです。

2005年には、神山町を含む周辺地域に光ファイバー網による高速インターネット回線が整備されました。その後、この環境を生かし立ち上げたウェブサイト「イン神山」を足がかりに、神山プロジェクトは加速していきます。

真剣に講義を受講するまなざし

サテライトオフィスから動き出した人の流れ

東京を拠点に名刺管理サービス事業を展開する Sansan 株式会社の社長である寺田さんは、2010年9月に神山町を初めて訪れ、それからひと月も経たないうちに、町内の空き家にサテライトオフィスを開設しました。豊かな自然、人の温もり、高速インターネット回線を備える神山町を、オフィスに適した環境と判断したのです。これを契機に、IT企業らが次々とサテライトオフィスを開設。活気あふれる多くの働き手が移住してきただけでなく、現地での雇用を生み出しました。

人が集まり始めた神山町に、今度は移住者がフレンチレストランをオープンし、交流の場が生まれました。「カフェ・オニヴァ」で月に一度開催される「みんなでごはん」では、移住者も、地元の人も、旅行者も、シェフやスタッフも、同じテーブルを囲んで食事をとりながら情報交換します。

こうして現地にレストランなど消費の需要が生まれた結果、本来の基幹産業である農業も活性化し、景観の改善や観光客増など、町の経済の好循環が生まれつつあります。こうした地方創生型の循環が発展していくことで、日本の経済にも影響を与えていくのではないか、と大南さんは言います。

グリーンバレーにおける会議体のマネジメントについて質問する筆者

自分が生まれた町を“ワクワクする町”にしたい

現在も本業として建設業を営む大南さんが、そもそも町づくりの取り組みを始めた理由は、「過疎から町を救いたい!」という思いからではありませんでした。きっかけは、1体の人形「アリス」との出合いでした。

1927年にアメリカから日本の子供たちに贈られたアリスを里帰りさせようと、町民でチームを結成。これを見事に成し遂げ、メンバーが成功体験を共有したことが、のちのNPO法人グリーンバレーの設立につながったのです。

大南さんはこれを足がかりに、自分が生まれた神山町を“ワクワクする町”にできるのではないかという思いを持ち、仲間たちと共に「神山プロジェクト」につながる取り組みを進めていくことになります。

「やったらええんちゃうん」が日本を変える

大南さんは、組織や会合、はたまた私たちの心の中に現れる「アイデアキラー」に気を付けろと言います。アイデアキラーとは、過去の失敗などを例に挙げながら“アイデアを破壊する人”のことです。

グリーンバレーでは、「できない理由よりできる方法を!」、「とにかく始めろ!〈Just Do It〉」の2つのスローガンで、アイデアキラーを撃退しています。後者は徳島弁で「やったらええんちゃうん」と言い、グリーンバレーの内部で共有されている考え方だそうです。どうすればできるかを考えて、それを見つけたらとにかくやってしまう。これが現在の神山プロジェクトを生み出し発展させたスタイルなのですね。

「難しい!」「無理だ!」「できない!」は、「やったらええんちゃうん」で撃退

お話を通して感じたのは、滞在者や移住者に町の暮らし方を強いるのではなく、場を提供し、人と人をつないだうえで、個人や企業にやりたいことをやってもらい、その結果がいい方向に流れるよう縁の下で支える姿勢でした。それこそがまさにお接待の精神であり、ファシリテーターに求められる心構えと重なるものを感じました。科学技術コミュニケーターを目指す人にとって、お接待の精神から学ぶべきものは多いのではないでしょうか。

また、もし言うべき役割を担う機会が訪れたら、胸を張って「やったらええんちゃうん」と言いたいですね。大南先生、ありがとうございました。


穏やかな笑顔と徳島弁の温かさに、受講生もスタッフの皆さんもにっこり