実践+発信

「対話のその前にコミュニケーションのための科学哲学~」(6/12)松王政浩 先生講義レポート

2021.7.9

河村和広(2021年度 選科/社会人)

はじめに

モジュール1の第4回は、北海道大学理学研究院の松王政浩教授による「対話その前に〜コミュニケーションのための科学哲学〜」でした。松王先生は科学哲学を専門としており、CoSTEPの前部門長でもありました。科学技術コミュニケーションと科学哲学にはどのような関係があるのか、COVID-19の状況における科学哲学のアプローチの重要性について講義いただきました。

科学技術コミュニケーションのもう一つのアプローチとは?

一般的に科学技術コミュニケーションは、科学の専門家と非専門家の間に立ち、専門家の言葉をわかりやすく非専門家に伝え、意見形成を助けるアプローチと考えられます。松王先生は、科学技術コミュニケーションのもう一つのアプローチとして、専門家の”暗黙の前提”を明らかにするアプローチに注目します。ではなぜ、このアプローチが必要なのでしょうか。それは、この暗黙の前提が非専門家にとって大事な情報になる場合があるにも関わらず、専門家と非専門家の双方にとって曖昧なためにミスコミュニケーションの要因となり得るためです。この暗黙の前提に焦点を当てるのが科学哲学です。専門家と非専門家をつなぐ科学技術コミュニケーターにとって、専門家と非専門家のミスコミュニケーションを防ぐために、専門家の暗黙の前提に対する問題意識が必要になります。今回の講義では、判断の暗黙の前提として、「因果判断にかかわる前提」と「科学者の価値判断にかかわる前提」について解説いただきました。

因果判断にかかわる前提

恐竜絶滅の原因が、メキシコのユカタン半島に小惑星が衝突したことであるという研究結果が報告されました。このことが言える理由として、地層や衝突のタイミング、シミュレーション結果が根拠とされました。しかし、示された根拠はあくまで事実の積み重ねです。「小惑星の衝突」と「恐竜の絶滅」に因果関係があると言えるための基準が明示されている訳ではありません。そのため、非専門家にとって、なぜ因果関係があると判断されたのか理解できません。

因果判断の前提に関するもう一つの例として、ジカ熱と小頭症の因果関係が挙げられます。ジカ熱のウイルスが新生児の小頭症の原因となっているという発表がありました。この発表で示されている因果関係の基準は専門家の間ではコンセンサスが取られているものの、非専門家にとって理解し難い基準となっています。この基準ではいくつかの基準項目が示されているものの、なぜこれが因果関係にあると判断できるのかについては、明確にされていないためです。

この因果判断の前提に対してどのように考えていけば良いのか、科学哲学者の間で行われてきた議論や考え方がヒントになります。講義では、COVID-19の状況についても、因果関係に関するコミュニケーションの問題として考えました。

感染症の数理モデルから、感染拡大の防止策を全くとらなかった場合に死者数は約42万人出る恐れがあり、人との接触を8割削減すべきとの提言がなされました。緊急事態宣言解除後、この提言に批判が寄せられました。その内容としては、宣言解除後の実際の死者数は予測の400分の1であり、対策が過剰であったというものでした。これは、因果判断の理解に関する重大なミスコミュニケーションがあると松王先生は説明します。「有効な対策をとる」ことと「感染拡大が収まる」ことの因果関係は、「①有効な対策をとった時に感染拡大が収まること」と「②対策をとらなければ感染拡大が収まらない」の両方が成立することで示されます。この時、②には一切の対策効果が入らなかった場合で考える必要があります。しかし、実際には予測が発表されたことによる社会の行動変容が起こりました。このため、専門家の因果判断の前提の観点からは、「予測」と「なんらかの対策がとられた実際」との間で比較しての批判は有効ではないことになります。この専門家の因果判断の前提と、社会の考え方でミスコミュニケーションが発生しています。

では、専門家は予測結果をどこまで踏み込んで伝えれば良いのでしょうか。これが科学者の価値判断にかかわる前提です。

科学者の価値判断にかかわる前提

地球温暖化のシナリオをIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が発表しました。これは、あくまで様々な研究結果やシミュレーションで政策立案のための材料であり、本発表自体は地球温暖化に対してどのような対応をするべきかの価値判断をIPCCがしている訳ではありません。

科学者が価値判断をすべきかという論争が、科学哲学者の間で議論されてきました。ラドナーは科学者は積極的に社会に対し価値判断をすべきという主張を行い、ジェフリーは科学者は社会への影響の確率についての判断にとどめ社会が価値判断をすべきという主張を行いました。IPCCの発表はジェフリー的発想ということになります。一方で、ラドナー的発想すなわち、温室効果ガスの削減に向けて直ちに行動を開始すべきと発信する科学者も出てきました。

結局、科学者は価値判断をすべきなのでしょうか。社会の意思決定に関わる科学では、何らかの価値判断をせざるを得ないが、科学の種類によって科学者が価値判断に踏み込む度合いの強弱が決まると松王先生は話します。例えば、化学物質や地震のリスク評価は科学者の強いラドナー的判断が入り、気候変動のリスクは弱いラドナー的判断が入ります。

この考えをもとに、科学者の価値判断をめぐるCOVID-19の状況を考えます。専門家有志の会は、当初は対策案にまで踏み込むラドナー的価値判断を行う姿勢でしたが、その後、責任範囲や役割を明確にするよう政府に提言を行うなどジェフリー的な価値判断へ変遷していきました。これは、COVID-19初期は感染者やクラスターが追えており、専門家による強い価値判断が有効だったのに対し、COVID-19が長期化し社会の対応の幅が広がった結果、専門家は弱い価値判断に留めるように変化した背景があると考えられます。一方、五輪開催について、尾身茂会長はじめ科学者自身が開催是非に言及するなど強いラドナー的価値判断がなされています。これは、専門家による弱い価値判断に限られる状況においても、科学者自身が批判覚悟で価値判断をせざるを得ない状況になってしまっているのではないかと考えられます。

講義を終えて

COVID-19をはじめとしたトランス・サイエンス的な課題においては、特に異なる立場同士の暗黙の前提の違いが大きな問題になり得ます。このようなときこそ、前提を問うアプローチが重要になるということを認識しました。専門家と非専門家をつなぐ科学技術コミュニケーターこそ、専門家の見解から暗黙の前提を読みとき、科学技術の議論や発信をする必要があると思わされました。

なお、講義で述べられた科学に対する科学哲学のアプローチの詳細について、松王先生の著書「科学哲学からのメッセージ」が出版されています。
松王先生ありがとうございました。