宮内 紗久良(2025年度選科B受講生)
モジュール3の講義では、「活動のためのデザイン」をテーマに、科学技術コミュニケーション実践のための活動計画の立て方について学んでいきます。今回は、CoSTEP特任講師の池田貴子先生より「感情的理解のためのアプローチ」について講義いただきました。池田先生が実践しているキツネに関するリスクコミュニケーションを題材に、科学技術コミュニケーションにおける「感情」や「直感」の扱い方について触れていきます。

野生動物と人間、重なる生活圏
近年、キツネやクマといった野生動物が市街地に現れるケースが増えています。こうした野生動物は、マスコット的な人気によって観光資源として地域にプラスの影響を与えることもありますが、農作物への被害や感染症の媒介といったマイナスの影響(=獣害)も及ぼします。
獣害問題のリスクは絶対値として評価するのが難しく、そのリスクを許容できるかどうかも判断する人の感じ方によるため、解決は容易ではありません。ここで、獣害問題の「解決」を、①被害を最小限に食い止めること(知識・行動)、②うまくやり過ごすこと(態度)と定義します。野生動物と人間の生活圏が重なっている以上、獣害がゼロにはならないため、特に2つ目の「うまくやり過ごす」ことが実はとても重要です。
都市ギツネのリスクコミュニケーション
キツネが媒介する病気として、エキノコックス症があります。エキノコックス症はエキノコックスという寄生虫の虫卵が人間の体内に入ることで発症する感染症です。エキノコックス症の特効薬は現時点で存在しないため、予防を徹底する必要があります。キツネと人間の接触頻度が高まるとエキノコックスに感染するリスクも増加するため、都市ギツネの増加による状況の深刻化が懸念されています。

ここで、獣害問題には「平時」と「有事」のリスクコミュニケーションがあります。有事において人は直感的な判断に頼る傾向があるため、リスクを過剰または過小に評価してしまうことがあります。そのため、平時のリスクコミュニケーションで市民の不安をなるべく解消することが重要というわけです。
キツネの問題においては、平時のリスクコミュニケーションとして札幌市の月寒公園にて定期的に「パークライフカフェ」というワークショップを行っています。ここでは、開始前に参加者から質問を集めたうえで、それに答える形で座学を行います。その後、公園に出てキツネを観察し、動物と人間の共生について考えます。参加者のコメントからは、「自分にとってのリスクが明確になり、対策のシミュレーションができるようになった」ことがうかがえました。
さらに、キツネとエキノコックスについて学べる動画や絵本、エキノコックスになりきって繁栄を目指すボードゲーム、キツネ観察ツアーとRPGを組み合わせたワークショップといった教材の制作も行いました。リスクコミュニケーションの開始から約4年で公園に寄せられる苦情件数は10分の1となり、こうした取り組みは一定の成果を挙げたといえます。

動物問題=人間問題
取り組みの成功要因として、定期的に正しい情報を提供すること、とっつきやすい教材を用意したことなどがあります。しかし、本当にそれだけでしょうか。「野生動物管理における人間事象」という概念に照らし合わせ、もう少し深掘りしてみましょう。
獣害問題は野生動物と人間との関わりによって生じるため、獣害問題の解決には動物だけでなく人間について考えることも重要です。すなわち、動物問題は人間問題ともいえるのです。「野生動物管理における人間事象」は人間がリスクとベネフィットをどう捉えるかに注目した考え方で、ターゲット(野生動物)に対する「Acceptance(受容性)」「Tolerance(耐性)」の向上が知覚リスクの低下につながるそうです。
この考え方に基づくと、キツネに関するリスクコミュニケーションの成功要因は以下のように説明できます。
- 定期的・継続的な情報提供によって市民の公園(行政)への信頼関係が上がり、キツネに対するAcceptanceが向上した
- リスクだけでなく生物としてのフラットな情報を提示する教材を作ることで、キツネやエキノコックスに対するAcceptanceが向上した
リスクに対して「自分で何とかできる」という感覚を得られると、必要以上の恐怖から逃れることができるそうです。受け手との信頼関係を築きながら、感情に寄り添った適切な情報提供を行うことが「うまくやり過ごす」姿勢につながるのではないでしょうか。
終わりに
講義を通して、時として科学者から軽視されがちな感情や直感が、実は科学技術コミュニケーションにおいて重要な役割を担っていると学びました。相手のリスクを恐れる気持ちを否定しないこと、リスクを伝える際には同時に対象のプラスの側面を伝えることなど、たくさんの実践のヒントをいただきました。誰が、何を語るかによって受け手の抱く印象は大きく左右されます。自分の言葉が受け手のどんな感情につながるか想像しながら、適切に情報を伝える方法を模索していきたいと感じました。
