実践+発信

144サイエンスカフェ札幌「AI時代、どうしたい? 「人とモノ狭間のなにか」を哲学する」を開催しました

2025.12.18

Google MapやChatGPTなどのアプリ、スマホの顔認証やクレジットカードの不正利用検知に至るまで、AIは今や私たちの身の回りに溢れています。そんなAIは、私たちの生活を便利にするだけなのでしょうか?

2025年10月21日(日)、第144回サイエンス・カフェ札幌「AI時代、どうしたい?〜『人とモノの狭間のなにか』を哲学する〜」を開催しました。このカフェでは、AIの哲学を研究している宮原克典さん(北海道大学人間知・脳・AI研究教育センター(CHAIN)准教授)をゲストにお招きし、AI技術について哲学・倫理学の観点から考えました。

(CoSTEP受講生 対話の場の創造実習 Bチーム浅井・大島・大屋・北川/記事執筆主担当 浅井)

今後、カフェの模様を動画で公開していきます。

紀伊國屋書店札幌本店 1F インナーガーデンにて開催しました

AIはただの便利な道具か?

宮原さんは「AIを理解するには、“技術と人間の関係”から考えることが重要である」と語ります。AIに限らず、そもそも「技術」とはどういうものなのでしょうか?

技術は「目的を達成するための手段」としての側面を持っています。書店に行きたいと思ってGoogle Mapsで経路を検索した場合、目的が「書店に行く」、それに対応する手段が「Google Mapsで経路を検索する」ということになります。この考え方の下では、技術そのものは中立的であり、人間の目標設定によって良いものにも悪いものにもなると考えることができます。例えば「仕事のメールを書く」という目的を達成するためにChatGPTに下書きを依頼することもできますが、「詐欺を働く」という目的を達成するためにChatGPTで詐欺メールを作成させることもできます。このような考え方は、技術に関する「道具主義」と呼ばれます。

一方で、技術は単なる道具ではなく、人間の知覚や目的を形成するとも考えられています。このような考え方は、哲学では「技術的媒介」の理論と呼ばれます。例えば、今まで読むのを諦めていた海外の記事やブログを、自動翻訳アプリがあることによって「ちょっと読んでみようかな」という気持ちになるかもしれません。その場合、「ちょっと読んでみようかな」という気持ちは翻訳アプリによって形成されたと考えることができます。

CoSTEP受講生の大屋さん(左)とゲストの宮原さん(右)

生活の中で、自分の意思や目的に沿って技術を用いている、と感じている人が多いかもしれません。しかし、人間の意思や目的は頭の中だけで決まるのではなく、技術の影響を受けて形成されているのです。このような技術の二面性は、私たちが日常生活の中で技術に向き合う上で重要な視点となります。

「人とモノの狭間の何か」としてのAI

これまで、この世界にあるものは、意思をもって何らかの判断を下すことができる「人」と、人の判断によって使われる「モノ」の二つに分類されてきました。しかし、AIは人間によって使われるモノでありながら、あたかも意思を持った人間のように判断を行うことができ、人とモノの「狭間」に存在すると考えることができます。自動運転システム、画像生成AI、チャットボットなどがその例です。

そのような「人とモノの狭間」という特徴が顕著なAI技術の一つに「パーソナルデジタル複製」と呼ばれるものがあります。これは、特定の個人の代わりとして機能するAIシステムです。生前のデータをもとに亡くなった人を再現する「デスボット」や「グリーフボット」、哲学者ダニエル・デネットの書籍や論文などを学習して本人のように受け答えをする「デジダン」のように、すでに登場しているサービスもあります。さらに、このようなデジタル複製を本人そっくりの見た目のロボットに搭載し、実体を持たせることも今後可能になるかもしれません。

宮原さんのレクチャーに続く「もしもトーク」では、このサイエンスカフェの企画メンバーである大島さん、北川さんとともに、デジタル複製で人物を再現するとはどういうことか、イメージを膨らませました。トーク中の実演では、大島さんの音声データを学習したAIにより声が再現されたり、写真を学習したAIによって見た目が再現されたりと、だんだん本人が再現されていきました。最後には、大島さんが自身の録画映像と会話するという演出で、「もしも本人そっくりのデジタル複製ができたら?」という世界を疑似体験しました。

CoSTEP受講生の北川さん(左)と大島さん(右)

実演のあとは、デジタル複製が使用されうる未来の場面例を挙げ、使ってみたいかどうか、起こりうる問題はないか、参加者とともに想像しました。例えば、友達の都合がつかない時に友達のデジタル複製と話したり、有名人のデジタル複製と日常的に話すこともできるかもしれません。このようなデジタル複製は機械にすぎず、本人の人格はありませんが、私たちはそこに人格を錯覚してしまう可能性もあります。参加者の皆さんに、ChatGPTに「ありがとう」と言ったことがあるかどうかを尋ねると、多くの手があがりました。言葉でコミュニケーションが交わせることで、機械にも容易に人間らしさを見出しうることが窺えました。

AIが身の回りに溢れるようになり、私たちは功罪両側面で大きな影響を受けています。今後社会でどのようにAIを使っていくのか、その決定に私たち一人一人が直接関わることはできませんが、未来の技術についても、「こうあってほしい」「これは不安だ」といった自分の気持ちを忘れずに持っておくことが大切です。

思考実験、宮原さんとの対話

もしもトークが終わったあと、再び宮原さんによるレクチャーが行われ、デジタル複製を哲学の視点から考えました。

哲学の観点から見ると、デジタル複製のメリットの一つに「生身の限界を超えられる」という点があります。デジタル複製を用いれば、時間や場所に縛られることなく、スキルや考え方を未来へと引き継いでいくことが可能になります。また、亡くなった人をAIで再現し、遺された人をケアできるというメリットもあります。

一方で、見過ごせないデメリットもあります。その一つが、「かけがえのなさ」の喪失です。デジタル上で容易に複製が可能になることで、「唯一無二のあなた」という感覚が揺らぎ、その価値が薄れてしまうかもしれません。場合によっては、「わざわざ本人に会わなくても、デジタル複製で十分」と感じられるようになる可能性もあります。

さらに問題として挙げられたのが、「人格の同一性」の混乱です。「本当のあなたは誰なのか」という哲学的な問題は、普段の生活ではあまり意識する機会はないかもしれません。しかし、デジタル複製の登場によって、そのような問題が身近なところで生じる可能性があります。

こうした点をより具体的に感じてもらうために、続いて思考実験を行い、参加者一人ひとりがデジタル複製についてさらに深く考える時間を持ちました。

思考実験シナリオ1
あなたの母親は、元気なうちに、自身の知識、価値観、記憶、思考の癖を忠実に学習させたデジタル複製「デジタルKさん」を準備しました。そしてあなたに頼みました。「私がもし認知症になったら、その時の私の言うことは聞かないで。このAIが本当の私の気持ちを伝えてくれるから」10年後、母親は重度の認知症を患い、まるで別人のように心ない言葉をあなたに投げかけます。しかし、デジタルKさんは昔と変わらない穏やかな口調で「あなたのことを大切に思っている」と語りかけ、あなたの心の支えとなります。
在宅介護が限界を迎え、施設入居の時。現在の母親は「絶対にいやだ!この家にいたい」と激しく抵抗。一方、デジタルKさんは「今の私はそう言うだろうが、あなたと私自身の尊厳のため、私を施設に入れてほしい」と冷静に説得します。

  • 問い1:あなたはどちらの言葉に従いますか?
  • 問い2:「母親の本当の意思」は、どちらだと思いますか?

参加者の皆さんの意見を集計した結果、付箋に書いていただきました。問い1では「現在の母親に従う」と答えた方と「デジタルKさんに従う」と答えた方がはほぼ同数でした。一方問い2では、ほとんどの方が本当の母親の意思は「現在の母親」にあると答えた方が圧倒的多数でました。、デジタルKさんに従うとしながらも、本当の意思は現在の母親にあると考えた方がかなりいました。

シナリオ1に関して参加者の方々からは、

  • “私”が好きだった人格は認知症になる前の母なので、デジタルKさんに従う。
  • デジタルKさんに従うというより必然的、合理的判断として施設へ入れる。「本当の意志」は生身の方。人間は変わる。それは傷病による不都合な変化も含む。

などの意見が寄せられました。

続いて、シナリオ1から少しだけ状況を変更したシナリオ2について、同様の問いを考えました。

思考実験シナリオ2
あなたの母親は、元気なうちに、自身の知識、価値観、記憶、思考の癖を忠実に学習させたデジタル複製「デジタルKさん」を準備しました。…(前提はシナリオ1と同様)
在宅介護が限界を迎え、施設入居の時。現在の母親は特に反対しない。一方、デジタルKさんは「私自身の尊厳のため、最後まで自分の家に住まわせてほしい」と説得します。

  • 問い1:あなたはどちらの言葉に従いますか?
  • 問い2:「母親の本当の意思」は、どちらだと思いますか?

シナリオ2では、問い1、問い2ともに「現在の母親」と答えた方が多数派でした。「現在の母親」と「デジタルKさん」の意見がシナリオ1から逆転したことで、回答が変わった方が多いことが窺えます。参加者の方々からは、

  • 施設に入れる。すでに在宅介護が限界なので。申し訳ないけど、今の母がイヤがってないし、そうさせてもらう。
  • 感覚的には、施設に入れない。AIの方に従いたい。

のような意見が出ました。

また、シナリオ1、2を通して、「現在の母親」と「デジタルKさん」に限らない様々な意見が挙がりました。

  • 人の考え方は時間とともに変化するものだから、今現在の母の考えはデジタルではない母のものであると思う。また、デジタルKさんの意志に従って問題が起きたとき、誰が責任を問えばよいかわからないから。
  • 都合よく解釈していると痛感(シナリオ1ならデジタルKさん、シナリオ2なら現在の母親の意見を聞く)
  • 本当の私というのは本来は決められない。例えば法的な基準を定めるしかないのでは。
  • 両者(デジタルKさんと現在の母親)を話させて意見をまとめた上で、自分の状況と併せて検討
    認知症介護、自分のデジタル複製にまかせたい。 など

参加者の皆さんが質問や意見を付箋に記入し、それに宮原さんが答える形式で対話を行いました

また、カフェ全体に関しては、

  • SNSのせいで美への執着が高まっていることに関してもやもやしていたが、これを哲学の枠組みの中で説明できることに驚いた。
  • AI時代、ますます子供のころからの教育が大事と考えます。今は小学1年生からパソコン、デジタル教育が始まっており、悪用するか否かはそこから始まっています。
  • AIとの主客転倒が起きたとき、関与が難しくなる未来が考えられるため、人間の尊厳の定義が必要と感じました。

など、技術との関わりやAI、さらに人間の尊厳や人格に至るまで、様々な意見・感想が参加者の皆さんから寄せられました。AIのメリットとデメリットの両方を認識し、単純な楽観論でも悲観論でもなく、複雑な現実を受け止めようとする意見や感想も多く見られました。

「AI時代、どうしたい?」

技術は人間にとっての便利な道具である一方で、私たちの経験や行為を「媒介する存在」としての一面を持ち、私たちの「世界の見え方」に影響を及ぼしてきました。また、「人とモノの狭間の何か」としてのAI技術は、特定の個人の複製を可能にし、「人間のかけがえのなさ」や「人格の同一性」など、人間社会の根本的な前提を揺るがす可能性をはらんでいます。

科学技術の発展を傍観するのではなく、一人一人がその使い方や位置付けを考えていくことが、私たちにとって望ましい社会を作ることにつながるのではないでしょうか。

──さあ、AI時代、どうしたい?