編著者:エーリッヒ・ショイルマン
出版社:SBクリエイティブ株式会社
刊行年月日:2009年2月28日
定価:600円(税抜)
酋長の柔らかな口調が心を掴む、今を考えるための一冊
20世紀初頭、西サモアの酋長ツイアビはドイツ人である編著者のエーリッヒ・ショイルマンとともにヨーロッパを回り、近代西洋文明を独自の視点から観察した。本書はツイアビにより記された手記をまとめたものであることが、編著者まえがきで述べられる。「重たい紙」「石の箱」など、ツイアビの独特の表現を含む語りに困惑し、読み始めは意味を理解するのに時間がかかった。しかしながらツイアビという人間のゆるぎない存在感と、彼のしなやかかつ痛烈な西洋文明の批判に、とてつもない衝撃を受けた。当時こんなにも鋭い視点を持った人物が存在したことに驚き、西洋文明という眼鏡を通して物事を見ることに違和感を持たせられるノンフィクションだと感じた。
それも束の間、この演説集は「偽書」であることがわかった。耳慣れない言葉であるが、説明は後述する。原書の発表から約80年後の1999年に、ドイツの言語学者であるGunter Senftにより、本書がフィクションであろうという論文が発表されている。つまり、本書は実際にツイアビが演説したわけでも書いた話でもない。そもそも彼が実在したかどうかすら不明だ。「偽書」とは、嘘の内容がいかにも真実らしく書かれた本のことである。その嘘は、本に権威を持たせるためであったり、著者の意図を主張するためであったりする。この演説集は、フィクションであることが明記されておらず、私のようにノンフィクションだと信じる人も多い。編著者のショイルマンがツイアビの口を借り語った、現代社会への疑問提示ともとらえることができる。
本書には文明社会を鮮明に描き出す11の演説が収録されており、それぞれ白人=パパラギにとって当たり前となっている文明を批評している。街、お金、映画館…。編著者はドイツ人であるにも関わらず、まるで「本当に初めて見た」かのように、初めて触れる人の視点から説明する。当たり前のことに疑問を呈することが大変なのは、想像に難くない。
演説の中に、「考えるという重い病気」という項がある。パパラギは精神や思想を育てるために常に頭で考え、知ることを求め続けるが、ツイアビは全身を使わずに考えることは病気であると語る。しかし偽書という形で文明社会を批判している本書では、編著者自身も思考しているのであり、ここにはある意味論理の矛盾が生じている。このことからも考えることは必須であるように思えてしまうが、私たち現代人も、考えることが無意識ながら義務になっているといっても過言ではない。ツイアビの言葉を借りれば、頭ばかりを使い、周りを見て考え続ける生き物となっていることに気づいていない。当たり前に行ってきた「考える」ということを、ツイアビの言葉を受け止めたうえでもう一度考え直さねばならないように思う。
ツイアビの口を借りつづった編著者の技術だろうか、ツイアビの口調を滑らかに再現した訳者、岡崎照夫の技術だろうか、最初のページから最後のページまで、編著者の意図を含んだ言葉は私たちの文明社会に疑問を投げかけてくれる。偽書だということがわかっても、読めば必ず、日本という国や今の生活を振り返らざるを得なくなる本である。ツイアビの思考に触れ、意識的に「考えるという重い病気」を患ってみてはどうだろうか。
関連図書
『文明生物考古学への招待~シーマンの生態的考察と、その育成の手引き~』高橋 健誰 監修(セガ少年少女科学新書 2000年)
1999年にドリームキャストから発売されたゲーム「シーマン」の世界観を再現した書籍である。巻末の「フィクション」の文字がなければ真に受けてしまいそうな構成となっており、偽書としても読むのが面白い。一般発売はされていない書籍だが、運が良ければ古本屋などで出会えるはずだ。
- 『日本の偽書』藤原明 著(文春新書 2004年)
日本には歴史的に認められる資料=史料の他に、史料とは大きく異なる内容の様々な古史古伝、つまり偽書が存在する。この数々の偽書の中から世間を騒がせた『東日流外三郡誌』や『竹内文献』などに注目し、都のみならず地方にも存在する偽書とその引力を紐解く。
- 『やわらかアカデミズム・〈わかる〉シリーズ よくわかる文化人類学』綾部恒雄・桑山敬己編(ミネルヴァ書房 2006年)
人類学のうち、人間の社会的・文化的側面に焦点を当てる学問、文化人類学。人類の起源に始まり、文化の概念、資本主義の展開など、文化や文明の理解の助けとなるだろう。文化人類学を構成する主要なテーマを広く、かつわかりやすく解説している入門の一冊。
橘 史子(CoSTEP15期本科ライティング・編集実習)