実践+発信

この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた

2020.7.27

著者: ルイス・ダートネル
訳: 東郷 えりか
出版社: 河出書房新社
刊行年月日: 2018年9月10日(文庫版)
定価: 980円(税別)


失って初めて見える科学技術の一面

『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』というタイトルからはライトノベルのような雰囲気さえ感じさせるが、その内容はむしろ科学技術の百科事典に近い。本書の特徴は、文明崩壊後という特殊な状況を設定し、そこからいかに科学技術を再興するのかを描く点にある。それによって、人間が存続する上で必要不可欠となる様々な分野の科学技術の知識や実用方法が記され、我々が見逃してしまいがちな科学技術の重要で興味深い一面があぶり出されていく。

ただし、「文明崩壊」の程度が重要になる。全面核戦争で都市や自然が完全に破壊され、再起不能な状況に陥ったり、社会秩序の崩壊で生存者が資源を争う混沌とした状況に陥ったりしては、文明再興どころではない。著者が設定する文明崩壊後の世界は、極端で急激な人口減少は生じるが、物資やインフラが手つかずのままで残される世界だ。著者は、この状況に至る原因をパンデミックだと考えるが、それはあまり重要でない。重要なのは、この条件設定自体が、科学技術の存続にとっての物資やインフラの重要性を示している、ということだ。

さて、文明崩壊後の世界で生存するための最優先事項の一つは安定的な食料の確保だ。そのためには農業を営む必要があるが、大きな問題になるのが種である。実は、栽培した作物の種を回収し、それを再び蒔けばよいということにはならない。現代の農業で栽培されている作物の多くはF1品種(雑種第一代)である。F1品種は、異なる品種を交配することで得られ、親の望ましい特徴を受け継ぐため生産性が非常に高くなる。しかし、F1品種から得られるF2の種子(第二世代)は一般的には不均質な形質となる。つまりF2は必ずしもF1品種のような良い特徴を持つとは限らず、安定した食料確保には向かないのだ。

したがって、安定した食料確保のためには、種子を自家採取しても、ある程度形質が維持される「固定種」が必要となる。ではその固定種はどこで得られるのか。最も確実なのはノルウェーにあるスヴァールバル世界種子貯蔵庫だ。世界各地に種子の保存施設はあるが、この貯蔵庫は最大規模の施設である。文明崩壊後の世界における農業再興は、このような種子保存施設から固定種を盗み出すことで始まる。

本書は、この農業からはじまり、食料保存、衣類、医療など、人間の生存に直接かかわる科学技術、さらには輸送機関、動力、エネルギー、印刷などの科学文明の発展を加速させる科学技術と様々な分野へと展開していく。

私は家庭菜園規模ではあるが、農作業を行っており、種や苗を購入している。F1品種について知っているし、さらに言えば、その恩恵を受けている。にもかかわらず、普段、生育管理や病虫害管理に意識が向き、恥ずかしながら、F1品種の重要性や問題点について意識が向かなかった。本書は多岐にわたる科学技術を扱っている。私にとっては農業やF1品種であったように、あなたにとって身近な科学技術やモノの意外な一面を、文明崩壊後という奇想天外な視点から発見できるだろう。


関連図書

  • 『ゼロからトースターを作ってみた結果』 トーマス・トウェイツ 著、村井 理子 訳(新潮社 2015)

大地から産出される原材料をもとに、産業革命以前の手法のみを使って、現在市販されているようなトースターを作ろうとする著者。しかし、鉱山での採掘、金属の精製など様々な困難が立ちはだかる。果たしてどのようなトースターが出来上がるのか。

  • 『大江戸テクノロジー事情』 石川英輔 著(講談社 1992)

江戸時代の日本の様々な技術について解説する。科学技術の産業的な利用を解説するのではなく、からくり、錦絵、花火、天文学など遊びや学問としての側面が描かれる。江戸時代の一風変わった技術文化を学ぶことができる。

  • 『図解でよくわかる タネ・苗のきほん』 一般社団法人 日本種苗協会 監修(誠文堂新光社 2017)

タネ・苗の基本的な情報や知識を解説した一冊。「図解でよくわかる」の通り、見開きの右側のページには文章、左側のページには図や写真という構成で、初学者でも理解しやすい。F1品種と固定種についてはもちろんのこと、スヴァールバル世界種子貯蔵庫についても取り上げている。


山内 光貴(CoSTEP16期本科ライティング・編集実習)