JJSCでは外部のご意見を頂き、編集方針等を改善していくため、アドバイザー制度を設けています。第28号に掲載の論考についてアドバイザーから、コメントをいただきました。公開の許可を頂いたコメントについて公開いたします。
加納 圭 滋賀大学 教育学部 教授
緊急小特集ノートでは、コロナ禍において重要性が増している博物館施設のオンラインでの取組や、ペット飼育者の心理的・社会的障壁をテーマにしたものが掲載されており、コロナ禍での科学技術コミュニケーションの特徴や課題を独自の視点から浮き彫りにしている。
報告では、デザイン、トランスサイエンス、政策関与、アートがテーマになっており、現代の科学技術コミュニケーションがカバーする領域の広さが伺える。
このように、科学技術コミュニケーションの実践はコロナ禍でも留まることを知らず、より拡がりをもってきているといえよう。
一方で、今号だけに限らず、論文が少ないことが課題だ(今号は論文数がゼロ)。例えば、実践内容に、質的・量的な研究手法が加わることで論文になることが期待される。実践者が論文を出版することで、得られたエビデンスが実践にも好影響を及ぼすことが期待される。
このように、実践と研究の両輪が廻るように補助していくことも本誌の役割の1つとして期待され得るだろう。研究手法について共有するセミナーや論文の書き方セミナーなどを開催していくのも1つの手段となるだろう。
(2021/3/25)
竹田宜人 北海道大学 大学院工学研究院
【緊急小特集ノート全般】
新型コロナウイルス感染症は、未知の部分も多く、知見も不確実性の多い題材であり、緊急小特集で取り上げたことは野心的で、大いに評価するところです。
さらなる展開として、科学的知見や社会の状況が刻一刻と変貌していくこのような課題に対しては、報告ごとのコメントに記載した通り、今後のフォローが非常に重要と考えます。
また、対面式の対話への制限は、本感染症の特徴でもあり、対話を基本とする科学技術コミュニケーションへの本質的な影響も大きいのではないでしょうか。本誌では取り上げられていませんでしたが、今後のテーマとして、本感染症が科学技術コミュニケーションの本質に与えた影響を掘り下げて検討していくことも重要ではないかと思います。
【COVID-19感染拡大下における博物館施設のオンライン発信の傾向と分析】
緊急事態宣言下において、閉鎖を余儀なくされた博物館等がオンラインによる情報発信を強化していった状況がまとめられ、記録としての価値は高いと思われる。また、博物館同士の連携や市民との協働が拡大していったことは、SNSという情報インフラの効果的な活用事例ともいえよう。ゲームソフトとの連携で所蔵作品が一般ユーザー向けに公開され、利用にある程度の自由が認められたケースは、通常では写真や動画の撮影が制限される事物が、バーチャルではあるが、個人利用が可能となった点で、筆者の指摘するように、今後の拡大が期待される動きである。
本論を読み、このような活動が、ユーザーにどのような影響を与えたのか、利用者の満足度はどうであったのか、博物館等が感染症拡大前に期待されていた社会的機能を補完できたのか、博物館とはいえ経営上の課題もありこのような活動が今後一般化していったときにこれまで通りの経営でよいのか、など様々な疑問が生まれた。継続的な調査研究の中で、このような視点での展開も期待したい。
【新型コロナウイルス感染症がペット飼育者にもたらす心理・社会的困難】
本論は、感染症が拡大していく過程で、未知のリスクに相対したときの人々の思いや行動への影響を獣医師という専門的な見地から、緊急アンケートを行ったものである。その結果から、自然災害時の避難所におけるペット問題との共通性を踏まえつつ、ペットとの共存における課題の洗い出しを行ったものと理解した。
2点、科学技術コミュニケーションの観点から意見を述べたい。
図2を拝見すると、人への病原性、感染性、ペットへの病原性、感染性はある程度、飼育者は理解しているように見える。調査時期が2020年の5/20〜6/3ということやこの問題に関する公的機関の情報提供が以下のとおりであることを踏まえると、早い時期から飼育者は適切な情報提供を受けていたようである。アンケートには、情報の入手先などの項目はなかったようであるが、科学技術コミュニケーションの観点から、この点への視座や深掘りが必要と考える。
感染症拡大当初、犬や猫の感染事例やミンクから人への感染が報じられ、社会的な関心が高まったが、厚生労働省の「動物を飼育する方向けQ&A」は2021年7月7日を最後に改定がなく、公益社団法人 東京都獣医師会危機管理室 感染症対策セクションが「ペットの新型コロナウイルス感染症のPCR検査について」との文書を8月6日に公開した後は新たな情報が少なくなっているようである。東京都獣医師会の情報では、ペットから人への感染や飼育環境下でのペットからペットへの感染は報告されていない、との明確な情報提供が為されている。
厚生労働省:
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/doubutsu_qa__00001.html
東京都獣医師会
https://www.tvma.or.jp/public/items/1-PCR.200806.pdf
本論の考察は、感染拡大初期にペットとの係わり方の問題提起が為された頃のものであり、速報的な性格を持つ。状況や知見が急速に変わっていく課題を扱う上では、速報での報告ののち、ある程度時間が経過した後に、フォローアップが必要ではないかと考える。それは、本誌が学会誌の体裁をとる限り、掲載論文が議論の対象になるという点を忘れてはならないという点である。状況が変われば、知見も変わり、論述も変わるだろう。それにどのように対応していくか、ということが緊急特集に課せられた課題ともいえる。
【多様な視点からトランスサイエンスについて考えるサイエンスイベントの設計と実践】
培養肉の問題を題材に、トランスサイエンスの課題を考えるアクティビティの開発に取り組んだ実践報告に加え、イベントを設計していく過程も含めた報告であり、興味深く拝読した。情報提供と選択を繰り返し、間にメリットとデメリットをグループで言い合うワーク(別の視点の体験)を入れるなど、短時間でトランスサイエンスについて気づきを得ることを目指しており、筆者の問題意識の在処は良く理解できる。
以上の評価を背景に、課題を提示したい。このようなサイエンスイベントにおいて、参加者の知識や態度の変化をイベントの効果測定の指標に置くことが多くなっている。筆者も「意見を形成することを目的として設計」と書かれているように、このアクティビティの目的を達成するには、妥当な指標であることは間違いない。しかし、「科学に問うことはできるが、科学によって答えることはできない」ことと、情報提供によって態度が移り変わることはトランスサイエンスの概念の理解において、同義と言えるのか? 筆者が指摘する「培養肉に対する考え方が変化していくことを体験(13ページ下1行)」することが、トランスサイエンスの理解につながるか、充分な検討が必要と考えられ、今後本論が普遍的な知見として発展していくためには必要なことと考える。
【宇宙対策を扱う対論型サイエンスカフェ】
本論は、科学技術コミュニケーションにおける方法論の一つであるサイエンスカフェを扱ったものである。先に論じた木村らの報告とテーマには共通性があるが、より意見変容に視点を置いた対話の設計を意識したものと理解した。このような報告で多く見られる問題意識に低関心層へのアプローチがある。本論でも、政策の場への参加者の意見反映を目的としたときに、その代表性の観点から、参加者が高い関心層に偏ることへの指摘がある。そのためには、気軽に多くの人が参加できる仕組みの工夫が必要であることから、「対論型サイエンスカフェ」を提案、実践した報告と解釈した。
ここで、「〜トランスサイエンス〜」と共通する問題提起をしたい。なぜ、参加者は意見変容をしなくてはいけないのか、ということである。意見を変えるということに意義があるとすれば、企画者にとって望ましい意見の表出に向けて場をコントロールできる、といった意識にも繋がっていく。本論でも、「運営側が事前に割り当てた立場からの主張」との記載から、筆者はある程度この点を意識しているように見える。
この手法で、意見が変わったとの知見は逆に言えば、この手法なら意見を変えられるという解釈にも繋がっていく。本論でも「地域住民等のステークホルダーとどのように対話することが望ましいか」との記述があることから、宇宙政策に関する議論だけではなく、施設建設に関する住民説明も視野に入れているようにも読み取れる。
科学技術コミュニケーションの企画において、目的の明確化、目的達成のための手法やその効果測定の考案は重要な要素の一つである。
福島第一原発事故を原因とした除染土やトリチウム水の処分、核の廃棄物問題、土壌汚染等様々な、科学的な知見を背景とした社会的課題があり、ステークホルダー間の対立が社会問題になっている。そのような場で、科学技術コミュニケーションの知見やノウハウの活用は社会的な実装において重要であり、否定されるものではない。
しかし、人の意見を変えるということが、このような場で何を意味するのか、その問題の構造や人々の意識、価値観まで熟慮のうえ、充分な考察を行うことが必要ではないだろうか?なぜ参加者は意見を変えなければいけないのか、意見を変えるということを評価軸とする意味は何か、改めて議論してはと思う次第である。
【参加者の自発的交流と参画を促す科学技術コミュニケーション】
本論は、当事者性、受容可能性、柔軟性の三点に着目した方針に基づき、実践の場を設計した報告である。「説明者がボードの完成度を過度に高めてしまうことで「私が書き込むとボードの完成度が下がりそう」という感覚を与えてしまうと、受容可能性が下がる」との指摘は非常に興味深い。玉澤らも参加者の偏りに関する指摘をしており、専門性の高い内容ほど、関心の高い参加者に偏る傾向があるとすれば、受容可能性をいかに高めるか、というところで工夫が可能かもしれない。このように論説を横ぐしで読み、共通点や差異を探すことも本誌の価値の一つに思える。
また、科学と社会の関係を考察するうえで、重要な視点である「対話を通じて科学技術に対する参加者の声を傾聴することでその意見や知識を把握・理解すること」、「参加者が科学技術の背景を理解した上で、対話を通じて説明者やほかの参加者とともに新たなアイデや視点を生み出すこと」を踏まえて、設計された「色のパッチワーク」や「アイデアをつくる」といったアクティビティは教育的な側面もあり、汎用性の高さを感じた。
本論では、その手順と定性的な評価が述べられているが、今後の検討として、設計された質問紙等を用いて、その効果を客観的に評価できれば、さらなる展開も期待できる。
【綿毛を取り扱うアート作品を通じた生命の表現について】
科学技術コミュニケーションにおける表現の手法として、アートとの連携を模索する動きは一つのジャンルとして一般化してきたように考える。本論は、様々な生命とたんぽぽの表現に対する感想について述べたものであり、筆者の思考過程をまとめた評論ともいえるだろう。
筆者も「個人的な文脈で考えることを促すという利点」と述べているように、物事を見聞きしたときに、それぞれが抱く思いや価値観の多様性に気付き、相互に認めあうという行為が科学技術コミュニケーションの中でどのように位置付けられるのか、今後の思索の展開も可能なような気がした。論文や報告といった、構造化された文書ではなく、このような萌芽的な文章の掲載もこの分野では必要なことと考える。
(2021/4/8)