実践+発信

2010ノーベル化学賞受賞鈴木章名誉教授の業績について

2010.10.6

有機合成の方法論を塗り変えた研究  –医薬・液晶などの産業応用に大きな貢献

鈴木章(すずき・あきら)北海道大学名誉教授が、2010年のノーベル化学賞を受賞しました。
鈴木章名誉教授ノーベル化学賞受賞決定 (北海道大学記事)

鈴木氏は、主に有機合成化学や有機金属化学、触媒化学の各分野で大きな研究業績をあげてこられましたが、特に世界的に大きなインパクトとなったのが、「クロスカップリング」という、有機物どうしを合成するための化学反応の研究です。

これらの研究は、医薬や農薬、IT機器に不可欠な液晶、新世代の発光材料である有機EL(エレクトロルミネッセンス)など、私たちの生活に身近な製品の開発や量産化に、大きな貢献を果たしました。

鈴木氏の研究業績を、解説文とインタビュー映像でご紹介します。


鈴木章先生インタビュー映像1 「研究のきっかけ」

 


鈴木章先生インタビュー映像2 「研究に対する考え」

 


北海道大学大学院工学研究科 宮浦憲夫・特任教授の語る「鈴木章名誉教授について」
宮浦先生は共同研究者として、鈴木-宮浦クロスカップリングを発見されました。

※このサイトで公開している映像の使用に関しては、「映像提供:北海道大学CoSTEP」のクレジットを明記してください。

 

有機合成におけるブレイクスルー

有機化合物の生成は、その基本骨格となる炭素どうしをいかに結合させるかがカギとなります。炭素と炭素を結合させる反応を制御することは、19世紀末から主にドイツを中心に長い研究の歴史がありましたが、1960年代ころまでは望ましい反応を引き起こすことが非常に困難でした。

そこにブレイクスルーがあったのは1972年のこと。京都大学(当時)の熊田誠氏と玉尾皓平氏が有機マグネシウム化合物と有機ハロゲン化合物に、ニッケル触媒を加えることで、効果的な合成反応を引き出すことに成功。異なる有機化合物どうしで炭素と炭素の結合をつくる「クロスカップリング反応」の先駆けとなりました。この「熊田-玉尾カップリング」をきっかけに、有機合成技術の開発は大きく発展します。特に、日本の研究者の名前が冠されたカップリング反応が多数生み出され、有機合成の効率化や簡略化が進み、この分野で日本は世界を大きくリードすることになりました。

さて、北大の大学院理学研究科博士課程を修了後、1961年に工学部合成化学工学科の助教授となっていた鈴木章氏を、その後の研究へと導いたのは、有機ホウ素化合物の研究ですでに知られていた米国パデュー大学のハーバート・ブラウン教授(1979年ノーベル化学賞受賞)との出会いでした。鈴木氏は、63年からブラウン教授のもとでポスドク(博士研究員)として師事。65年に帰国し、北大に戻ってから有機ホウ素化合物を使った新しい合成法の研究に、学生たちとともに取り組み始めます。

鈴木-宮浦クロスカップリングの誕生

鈴木氏が着目した有機ホウ素化合物を使った合成反応には、多くの利点があることが考えられていました。目薬などの原料にも用いられるホウ素は、安定で取り扱いやすく、毒性もきわめて低いのが特徴です。特に、水に対して安定で、酸やアルカリの水溶液の中で反応を起こせるという特性は、それまでに開発されていた、不安定で有毒な副産物を出す他のクロスカップリング反応に比べて圧倒的に有利だったのです。

有機ホウ素化合物を使った新しい合成反応を何とか実現させたい–。鈴木氏は、指導していた学生たちとともに日夜、様々な反応剤や触媒を自分たちで手づくりしながら、試行錯誤を続けていました。水や空気に対しても非常に安定な有機ホウ素化合物の特性は、裏返せば効果的な合成反応を引き起こしにくいということでもありました。このため、思うように効果的な反応が得られない日々が数年間、続いていました。

1970年代も後半に入り、前述の熊田-玉尾カップリングなど、有機合成の分野では画期的な研究が相次いでいた時期です。ある日、鈴木氏は研究室の助手(当時)宮浦憲夫氏らとともに、有機ボロン酸と有機ハロゲン化合物のカップリング合成に、パラジウム触媒を使い、さらにエタノール水溶液などの塩基を加えると、目指す生成物だけが得られる非常にきれいな反応が起こることを発見しました。これが突破口となって、その後は急速に研究が進んでいきました。

それまでの有機金属化合物を使ったカップリング反応では成功率が2〜3割程度だったのが、塩基を加えた有機ホウ素化合物によるカップリング反応では、8〜9割程度の高率で狙い通りの反応を引き出すことに成功しました。簡単で実用性が高い有機合成反応が生まれたのです。

創薬や機能性材料など様々な応用へ

当時の研究室の様子について、鈴木氏のもとで研究に携わっていた宮浦憲夫・特任教授(北海道大学大学院工学研究科)は、「塩基を使ったのをきっかけとして、次々と新しい発見があり、いつも楽しく興奮していたのを今でもよく覚えています」と語ってくれました。

しかし、この画期的といえる反応も、しばらくの間は冷遇とでもいうような状況が続きました。1978年に、学生の学位論文の一部としてこのカップリング反応を報告したものの、それがリジェクトされるなど、論文の投稿には苦労が続いたそうです。翌79年になってようやく論文が『Tetrahedron Letters』誌に掲載され、その後、もともと炭素-炭素結合の研究に長年取り組んでいたドイツのマックス・プランク研究所が注目するようになり、欧米で鈴木氏らの研究に対する評価や反響は高まっていきました。

そうした、まさに「逆輸入」的な効果によって、次第に国内の学術界でも注目度が増していき、現在では「鈴木-宮浦クロスカップリング反応」として産業界を含めた有機化学の分野で知らない人はいないまでになったのです。

従来は、熟達した技術をもった専門家と、特別に配慮した実験環境のもとでしか実現できなかったクロスカップリング反応。それが、ごく普通の実験室のような場所で、初心者の学生でも手軽に扱えるようになり、同時に大規模な製造プラントでの量産にも応用が可能になったことは、有機化学にとって、さらには応用化学全体にとっても輝かしい前進だったといえるでしょう。

今や、鈴木-宮浦クロスカップリングは、医薬、農薬、機能性材料など、工業分野への応用が広がっています。特に、芳香族ボロン酸のカップリング反応は最も簡単で応用性の高い有機合成の手法として利用されています。たとえば、強力な血圧降下剤の「ロサルタン」。米国メルク社の工場で鈴木-宮浦クロスカップリングを使って年間約1トンという規模で製造され、医療現場で普及しています。

独メルク社や日本のチッソ化学が製造する液晶材料は、国内外の多くのメーカーの液晶テレビやディスプレイに使われています。新世代のディスプレイとして普及が期待される有機EL材料の開発にも、鈴木-宮浦クロスカップリングが役立っているほか、新しい医薬品や農薬の探索研究(薬の素となる化合物を合成すること)を格段にやりやすくしたのも、鈴木-宮浦クロスカップリングです。

また、海産毒であるパリトキシン(イワスナギンチャクが持つ毒)を人為的に精密に合成する研究でも、鈴木-宮浦クロスカップリングが用いられ、大きな分子量を持つ化合物の合成に高い信頼性があることが世界的に知られることになりました。

強力な目的意識と創意工夫が生み出したもの

研究業績のインパクト(影響度)をはかる指標の一つとして、論文の引用件数がありますが、1995年にまとめられた鈴木-宮浦クロスカップリングの論文の引用は3600件を超え、年間数百件の割合で増え続けています。カップリング反応を行うための有機ホウ素の試薬も、生み出せる化合物の多様化にともない、実に数千種類が市販されており、それらを扱う専業のベンチャー企業が登場したりもしています。最初に反応が発見されてから30年余りたった現在でも、鈴木氏らの研究がいかに現代の有機化学を牽引しているかが、これでもおわかりになると思います。

化学反応の研究という世界は、様々な組み合わせをひたすら探索し続け、膨大な断片を組み合わせてパズルをつくるような印象があります。ある面では偶然性が大きく支配していますが、狙った反応を発見したり、引き起こすためには、強力な目的意識と、それまでの研究の歴史に自分なりのオリジナリティを加えていく創意工夫が不可欠です。鈴木-宮浦クロスカップリングの発見は、まさにそうした姿勢の産物といえるでしょう。

科学研究などの分野で、思いも寄らぬ発見や創造に出くわすことを、「セレンディピティ」と呼びますが、鈴木氏は雑誌に寄せたコラムの中で、こう書いています。「このような発見や発明の機会は、研究者なら誰にでも出会うチャンスがあると思う。(中略)ただし、ここではっきりいえることは、ただ手をこまねいていただけでは、決してやってくることはない」。

鈴木氏は、自分の研究の功績について、しきりに「ラッキーだったから」と強調していますが、それは言葉通りの幸運の産物でないことは明らかでしょう。


鈴木章教授の研究のあゆみを、写真と映像でも紹介しています

 


鈴木-宮浦クロスカップリングの実験映像(資料映像)