テレビ局で番組制作の仕事をしています。メディアの中で働いているのですから、当然“伝える”ことが仕事です。ですが時々、そもそも“伝えるってどういうことだろう?“と考えるときがあります。
“伝える”という言葉の主語は情報の送り手です。どうもこの言葉には、この“送り手”だけで完結してしまいそうな気配を感じるときが、しばしばあるのです。“俺が伝えたいのは○○だ!これは多くの人に知ってもらう価値が当然ある。多くの人がこの情報を受け止めるべきだ!(受け止めない方が悪い)”…とまでいうと、大げさですが、これに近いある種の傲慢さを、TV番組はもちろん、新聞や書籍、科学系のイベントなどでも感じるときがあるのです。
1年間のCoSTEPの講義を振り返って、良かったなと思うことの一つが、こうした違和感について、あらためて考える機会やヒントをもらえたということです。
本来“伝える”という行為は、相手(情報の受け手)がいて初めて成り立つものだと思います。相手が受け取っていなければ、いくら送り手側が伝えた気になっていても、それは何も伝えていないのと同じ。もちろん、送り手の何かを伝えたいという志(あるいは情熱)は大前提(必要条件)なのですが、それを実際に受け取ってもらうには、それ相応の工夫がなければならない。
その工夫を生み出す鍵が“相手に対する想像力”だということは、いくつもの講義の中で登場したフレーズのひとつでした。
では、相手に受けとってもらえたらそれでいいのか。
こうした疑問にも、CoSTEPの講義はしっかり応えてくれました。年間30弱の講義はモジュールと呼ばれる8つのグループに分けられています。この構成が見事で、必要条件たる“志”を立てるのに大いに参考になるモジュールから始まり、実際にそれを伝えるためのさまざまな手法を扱ったモジュール、そして後半の“多様な立場の理解”“社会における実践”と進んでいきます。
人によっても違うと思いますが、私の場合、何かを伝える、伝えたいということの目的は、きっと“相手になんらかの行動をおこしてもらうこと。そして、一緒に何かをやりたい”ということなんだろうなということが講義を受ける中で徐々に明確になっていった気がします。
もちろん、講義や演習を通じて多くの仲間たちと出会えたことも大きな財産です。この仲間たちとの“協働”に向けて、何からスタートすべきか。わくわくしながら考えています。
竹内慎一
テレビ番組プロデューサー