桑波田 卓(2020年選科 社会人)
本来6月20日は、江戸川大学メディアコミュニケーション学部教授の隈本 邦彦 先生による講義「社会の中での科学技術コミュニケーターの役割−科学ジャーナリストを例に」が行われる予定でしたが、COVID−19の影響により、昨年行われた講義の動画を各自で受講するという形で行われることになりました。「科学技術コミュニケーターのあり方とは?」かつてNHKの報道記者として活躍されてきた隈本先生は私たちに問いかけます。
「科学」と「社会」の関係の変化
かつては科学に関する問題は、専門家である科学者が最善の解決方法を考え、市民はそれに従って行動すべきであるという考え方が主流でした。しかし、科学が関わる問題が複雑化していくにつれ、科学者だけでは解決できない問題が多くなり、市民自らが問題解決に能動的に携わっていかなければならないと考えられるようになりました。
その一方で、市民が科学そのものに持つイメージが公害問題などにより、「明るい未来を見せる物」から「脅威を与える物」へと変貌していき、市民が科学に対し漠然とした不安を抱くようになりました。
科学者と市民をつなぐ科学技術コミュニケーター
隈本先生は「科学者と市民の間の意識に大きな乖離がある」と言います。その原因として、科学者が市民の抱える不安を軽視したり、あるいは市民に対して「情報を与える」立場であろうとする傾向があることが言われています。他方で、市民には科学に関する情報を能動的に得ようとしない傾向があることも指摘されています。また、情報を仕入れるチャネルが科学者と市民では異なるため、知識の質と量においてどうしても隔たりができてしまうという構造的な問題もあります。このような科学者と市民の間にある溝を埋める役割を果たすのが科学技術コミュニケーターです。
科学ジャーナリズムの問題点
一般的に、私たちは情報を得る際に、自ら情報を収集し自分で判断をするという「中心的ルート処理」ではなく、他人の意見を参考に直感的に判断する「周辺的ルート処理」を行いがちだと言われています。そのような「他人の意見」の一つがマスメディアであり、科学においてその役割を果たす中心が科学ジャーナリストです。
わが国の科学ジャーナリズムは大手メディアの科学専門記者が中心であり、需要に対して人材が不足している状態が続いています。その原因として、科学ジャーナリストを育てるためのシステムが整備されていないことを隈本先生は指摘しています。現状では、OJT(On the Job Training)で育成されることが多く、科学ジャーナリストとしての質が担保されていないため、育成のためのシステムづくりが期待されています。
トランスサイエンスとこれからの科学ジャーナリズム
現在の科学に関する社会問題の多くは「トランスサイエンス」であるといわれています。トランスサイエンスとは、科学に問うことはできるが、科学だけでは応えることができない問題のことで、この言葉を提唱したワインバーグ博士は、トランスサイエンス問題に対して科学者は誠実な態度を取るべきだと言っています。つまりどこまでが科学によって解明でき、どこからは解明できていないのか、その境界を明確にすることが科学者の第一の使命であると隈本先生は考えています。
しかし、日本の科学ジャーナリズムは「第一の使命」を果たすよう科学者を促してきたと言えるでしょうか? 福島第一原発事故の問題や、スモン病の例などをみると、これまでの科学ジャーナリズムは、むしろ政府や科学者が本来トランスサイエンスである社会問題をサイエンスの問題として疑似的に解決しようとしているのを手伝ってきたのではないでしょうか。
科学コミュニケーションの本来のあり方は、専門家と市民の中間に科学技術コミュニケーターが立ち、相互の対話を促進していくことです。専門家と市民、双方の立場からフラットな立場で科学に対する誠実さを実現できるような科学技術コミュニケーターがこれからは求められていくのではないでしょうか。
まとめ
1回目、2回目の講義で「科学技術コミュニケーション」や「コミュニケーション」の概念を学んできた私たちですが、今回は具体的に社会で科学技術コミュニケーターがどのような役割を果たすべきかという問題を考えることができたと思います。残念ながら、今回の講義はリアルタイムでの聴講ができませんでしたが、大変リアリティのある重要な問題提起となりました。
今回の動画の講義からは一年が経ち、その間にCOVID-19の流行というまさにこのテーマに関わる大きな社会的な変化がありました。そこでは、専門家と市民だけではなく、ジャンルの異なる専門家間、あるいは専門家と行政などの中にもコミュニケーションの問題が見受けられました。また、情報選択のチャネルがテレビや新聞からSNSや動画配信へと急速に移行しつつあり、科学者と市民が直接話し合える場面も目立ちました。このようなドラスティックな変化の中で、科学技術コミュニケーターがすべきこと、できることも変化していくのだろうと思います。しかし、その中でもあくまでフラットな目線であること、科学に誠実であることという基本は変わらないのではないでしょうか。そのようなことを今回の講義で考えさせられました。
隈本先生、今回は直接お話しできなかったのが残念ですが、貴重な問題提起をありがとうございました。