劇団「弦巻楽団」と北海道大学CoSTEPが演劇を用いた科学技術コミュニケーションに取り組むコラボレーション企画の第3弾として、2021年11月10日、11日に『オンリー・ユー』が上演されました。初日は43名、2日目は42名の観客で満員御礼となりました。演劇のテーマは「ヒト受精卵に対するゲノム編集」。私も11日14時からの回を鑑賞しましたので、感想を記事にまとめました。
五十嵐 茉莉子(2021年度 選科/社会人)
舞台は、ヒト受精卵のゲノム編集が可能になってから20年ほど経った世界。
若い夫婦は悩んでいる。
自分たちの遺伝子の中に、発症すれば長くは生きられない病気の因子が含まれている。その遺伝子を受け継いだ我が子は、その病気を発症するリスクを抱えて産まれてくることになるが、受精卵の段階でゲノム編集すればリスクを大きく減らすことができる。だが、遺伝子に手を加えることに対して、夫婦で意見が分かれていて、決断することができないでいる。
受精卵のゲノム編集に携わる研究所では、彼らのような夫婦が経験者に悩みを相談できるよう、実際に我が子へのゲノム編集を「する」「しない」という選択をした夫婦から話を聞ける場をセッティングしている。
今回は、ゲノム編集を「しない」選択をした夫婦が、悩める若い夫婦の質問に答えてくれることになった。コーディネーターとして専門家が同席し、お互いのプライバシーに踏み込まないよう念押しした上で、両者の対話が始まっていく。
登場人物が放つ言葉はどれも共感せずにはいられないものばかりで、観劇しているうちに私も自分のことのように考えてしまった。
ゲノム編集を「しない」ことを選んだ夫婦の話を聞いている時は「確かに、遺伝子操作の影響が子・孫の世代でどんな風に現れるか分からないのに、踏み切るのは怖いな」と思う。
ゲノム編集を「する」ことを望む登場人物の話を聞いている時は「そうだよね、我が子には長く生きてほしいと思うのは自然なことだよね」と思う。
「ヒト受精卵のゲノム編集」というテーマが演劇という手法で語られることによって、生身の人間の悩みとして自分に共有されていくのを感じた。
上演会場となったのは、札幌文化芸術交流センターSCARTSのSCARTSスタジオ〈2F〉。廊下側の壁が一面ガラス張りになっていて、客席の私たちから見ると、外を歩く人たちが登場人物たちの背景になる。演劇の中の世界が、我々の生きる現実と地続きにあることを示しているようだった。
対話が進む中で、ゲノム編集を「する」ことを選べば、社会に差別や分断を生み出してしまうのではないか、という投げかけが出てきた。
それを聞いた時、正直それは絶対にあるだろう、と私も思った。
現在の日本では、出生前診断が普及してきている。母体から採血する新型出生前検査や、子宮内の羊水から胎児の細胞を取得する羊水検査などで、胎児に染色体異常があるかどうかなどを調べることができる。
以前、先天的な病気を持って産まれてきた子どもの親が支援を求めるネットニュースを読んだ時、コメント欄に「高齢出産なのに出生前診断をせずに産んだのだから自己責任」と書かれているのを見て愕然とした。出生前診断は、希望する親が受けることができる「権利」のはずなのに、選択肢として存在しているだけであっという間に「出生前診断を受けずに産むことを選んだのだから自分たちのせいだ」と自己責任論に裏返ってしまう。
この演劇の世界のように、ゲノム編集を受けられる時代になれば、ゲノム編集を「しない」で産まれてきた子どもが病気を発症すれば「親の自己責任だ」と言われてしまうのだろうか。
悩める若い夫婦も、ゲノム編集を選ばなかった夫婦も、我が子にとって何が幸せなのか(幸せだったのか)が分からない、と心情を吐露する。
観劇を終えた後も、その苦悩についてぐるぐると考え続けてしまった。
子どもが自分の人生を幸せだと感じるように産まなければならないのだとすれば、親が背負わされる責任はなんて重たいものなのだろう。突き詰めていけば「幸せな子どもしか産むべきでないのか」という問いにつながっていく。
そんなことを考えているうちに、新井素子のSF長編小説『チグリスとユーフラテス』(1999、集英社)を思い出した。人類の移住先の星で、最後の子どもとして産まれてきたルナ。その星の最年少であり続けたまま年老いて、ついにたったひとり残されてしまう。そんな未来が待っていると分かっていたのに、どうしてルナの親は産むことを選んだのだろう。これもまた、フィクションが提示する究極の選択のひとつだ。
今回の演劇『オンリー・ユー』は、2017年度のCoSTEP対話の場の創造実習で実施した討論劇『二重らせんは未来をつむげるか? : 討論劇で問うヒト受精卵へのゲノム編集の是非』が原案になっている。北海道大学学術成果コレクションHUSCAPで劇の動画や台本などが公開されているが、こちらはゲノム編集を受けて生まれてきた当事者が登場して、自らの心の内を切実に語っている。
だが、生まれてくる我が子が将来何を考え、何を幸福だと感じるか、出産前の親には知るすべがない。だからこそ『オンリー・ユー』の若い夫婦はなかなか答えを出せずに悩んでいるのだろう。そして、いつか成長した我が子に「こんな産まれ方、したくなかった」と言われたとしても、産まれる前に戻してあげることはできない。命を産みだすという行為は不可逆だ。
『オンリー・ユー』を観て私はこんな感想を抱いたが、観る人の数だけまるで違った感想がある作品だと思う。他の人の意見も聞いて、自分の考えを深めてみたいと感じた。
コラボレーション企画 弦巻楽団×北海道大学CoSTEP『オンリー・ユー』は、2019年度科学研究費助成事業「演劇を用いた科学技術コミュニケーション手法の開発と教育効果の評価に関する研究」(課題番号 19K03105)、2020年度公益財団法人日立財団 倉田奨励金「演劇を⽤いた科学技術コミュニケーション⼿法の開発および参与者の先端科学技術の受容態度の変容に関する調査」(共に研究代表者 種村剛)の助成を得て実施された。