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「科学と政策の間を可視化する:ELSIレギュラトリーサイエンス」(10/30)岸本 充生 先生 講義レポート

2021.11.14

深澤 寧司(2021年度 選科/社会人)

はじめに

モジュール4の2回目は、大阪大学データビリティフロンティア機構教授の岸本充生先生にELSIとレギュラトリーサイエンスについてご講義いただきました。岸本先生は大阪大学社会技術共創研究センター長も務め、日本のELSI研究と実践の最先端を行く方です。今回の講義では、新規科学技術が社会で実装される上での必要な考え方と、科学に基づいて政策などを決定する際に発生する問題点を中心に、ELSIとレギュラトリーサイエンスのこれまでの取り組み経緯や事例をお話し下さいました。

ELSIとは

ELSIとは、倫理的・法的・社会的課題(Ethical, Legal and Social Issues/Implications)の略称でエルシーと読まれています。新規に生み出された科学技術が、社会で広く使われるようになるまでには様々な課題を解決する必要がありますが、技術的な課題以外にも法律や倫理、あるいはその技術が社会に受け入れられるかなども検討しなくてはなりません。

「安全」に対する世の中の考え方は、1950年頃から180度転換され始め、人権保護等にも拡大されてきた歴史があります。以前は「分からないものは安全」とみなし、事件や事故が起きてから法規化が検討されていましたが、転換後の2000年以降では「分からないものは危険」とみなされ、事前に安全であることが説得できないものは社会では受け入れられなくなっています。そんな背景の下、約30年前にゲノム解析研究においてELSIという考え方が生まれました。

技術と社会の間の大きなギャップ

新技術と社会との間には、多くのケースでE(倫理)・L(法)・S(社会)に関してギャップが生じます。下図左のパターン1では、法的にはOKながらも、倫理的、社会的にはNGもしくは疑問符が付くようなケースです。法規制の改正は技術の進展に遅れを取ることが多いため、法を遵守しているからといって社会に受け入れられているとは限りません。

逆に、法的にはNGながらも、社会が新技術を求めている状況が下図右のパターン2です。このパターンは、ドローンや自動運転などのエマージングテクノロジーには、ほぼ全て当てはまるようです。本当に社会が求めている新技術に限ってのみ、後から徐々に法改正が進められていくことになります。

ただし、あくまで法の遵守は社会にとって必要最小限の条件であって、より変化が激しい現代社会では、L(法)以外の必要性に議論が及ぶことが多くなっています。そこで、ELSIへの総合的なアプローチが急務となり、正しくELSIを発見し、対処・解決していくための体制作りが必須なのですが、この点には未だ課題が残されているようです。

科学と政策の間の大きなギャップ

分からないものは分からないと言うことが科学者の本分であるため、科学は不確かな状況下でも「さらなる研究が必要である」と結論を延ばすことが出来ます。一方で、政策を決定する側には、不確実な危機的状況の下で常に意思決定を迫られるため、何もしないことも意思決定の1つとなり得てしまいます。すると、科学側が政策まで決めてしまう、もしくは政治家が専門家の意見を聞かずに直感で政策を決定してしまうなど、どちらかに無理を強いる手立てしか残されなくなってしまうのですが、残念ながらどちらも的確な方法ではないと考えられています。

このような科学と政策のギャップを埋めることができない状況下で行政が市民に政策を問う際に、その政策を「科学に従って決めた」という決まり文句が提示されることがあります。確かに、この決まり文句を言われると、問われた市民側に納得感と安心感が生まれ易いのです。しかし、これは、行政が自らの提示する政策を暗黙的に強制していることとほぼ同じです。この決まり文句は、社会が危機的な状況にある場合には、問う側と問われる側の両者にとって都合のよい“均衡解”として利用されることが海外でも問題視されています。

そこで、科学と政策の間のギャップを埋めるべく、両者を「つなぐ人」と「つなぎ方を研究する人」が必要となってきました。まさしく「つなぐ人」に相当する一例が科学技術コミュニケーターであり、存在の重要性が増すと同時に、つなぎ方の研究も必要不可欠となります。そして、このつなぎ方の研究におけるアプローチこそがELSIとレギュラトリーサイエンスなのです。

レギュラトリーサイエンス

「レギュラトリーサイエンス」に似た概念として、「トランスサイエンス」があります。どちらにも、科学技術をめぐる問題は科学者だけではなくて社会全体で決めていくべきだ、といった考えが含まれます。しかし、違いもあります。トランスサイエンスにおいては、科学技術をめぐる問題に対して、それらの問題を科学者だけでは解決できないという点に焦点が置かれています。他方で、レギュラトリーサイエンスにおいては、科学技術をめぐる問題に対して、回答を“生み出す”という側面が強調されます。

レギュラトリーサイエンスという言葉は第4期科学技術基本計画にも使用されており、直近の具体例で言えば、上図で示されているように、新型コロナウイルス感染症対策に対する各種評価が挙げられます。

安全に対する線引き問題

「安全」に対する線引きでは、科学的ファクトに従った基準値が用いられます。安全とは「許容できないリスクがないこと」と定義されることから、例えば、毒性や発がん性の摂取量や自然災害発生時における防潮堤の高さに対する許容値の算出に、科学的アプローチが用いられることになります。ただし、詳細な算出過程が示されないまま、数値だけが提示されるケースが多いのが実状です。

講義では、東日本大震災以降に実際に宮城県であった防潮堤設計に関する一例が紹介されました。当初、防潮堤計画は県からの一方的なものだとして、住民は環境・景観の観点から防潮堤の低背化を求める反対の声を上げたのですが、県は適切に計画を見直すとの見解を示し、改めて住民の声に応える形で低背再案を再提示したのちに合意形成に至った、という内容です。

ここでの問題は、県が防潮堤の高さを再考した際のアプローチにありました。様々な観点から総合的に考慮を加えたものではなく、将来起こり得る地震の規模を小さく見積もることで、津波シミュレーションという科学的ツールを通して導出される津波高さを低く想定し、「住民の要望にも科学に従って応えた」という姿勢とともに低背化案を提示したからです。科学的根拠に基づいて安全面は確保されつつ、民意も反映されるとあれば、住民は反対の声を出し辛かったのではなかったか、というものでした。住民以外にも漁業や観光業など様々なステークホルダーが存在する中での政策決定であることを踏まえて、岸本先生からは「一定の理解は得られる反面、やはり科学リテラシーの健全さという観点からは疑問を拭えないプロセスだろう」との見解が示されました。

おわりに

長年ELSI研究に携わり、数々の社会問題にアプローチしている岸本先生ならではの豊富な事例は、我々にとっても身近に感じられるものが多く、大変理解しやすい講義内容でした。科学と政策はそもそも相性が悪く、そのギャップゆえにレギュラトリーサイエンスが必要である、とのご説明なども大変納得感があるもので、映画『シン・ゴジラ』のワンシーンも例に取り上げられていましたので、これまでとは異なる観点で映画をもう一度観てみようと思っています。一方で、安全の許容値の説明では考えさせられる部分が多く、大変興味深い内容であった反面、自分がもし利害関係者で意思決定をしなければならない立場だとしたら、果たして正しくリスク評価出来るのだろうか、という一抹の不安を禁じ得ませんでした。