竹村 昌江 (2024年度ライティング編集実習/社会人)
はじめに
今回の講義を担当された種村剛先生は、北海道大学大学院教育推進機構リカレント教育推進部特任教授、兼CoSTEPフェローです。元CoSTEPのスタッフで、さらにはCoSTEP10期選科A受講生でもあり、CoSTEPにご縁の深い先生です。講義では、コミュニケーションとは何か、さらに、科学技術コミュニケーションを改めて学ぶ「学び直し」の意義についても講義していただきました。
1. コミュニケーションの 2 つのモデル
さて、コミュニケーションとは何でしょうか。「人間が対人関係の中で互いの、感情、思考を伝達しあい、理解しあうこと。」です。ある人が誰かに向かって何かを言って、その言葉の意味をその誰かが理解したと思われた時、私たちはそこにコミュニケーションが成立したと考えます。
そのコミュニケーションについて説明するため、2つのモデルを解説します。1つ目は通信モデルです。シャノン1)が提唱した、情報理論に基づくモデルで、正確な情報の伝達にコミュニケーションの目的を置いているとされています。メッセージが正確に届くことが重要です。しかし、人と人のコミュニケーションの場合は、「理解」しあうという観点が重視されます。これが2つ目の理解モデルであり、通信モデルよりも妥当性があります。
2. コミュニケーションと理解・伝達
情報を「理解」するには、文脈(コンテクスト)が前提となります。文脈には、それまでの相互行為におけるやり取りの内容の参照や、場面状況の表情等の解釈、互いの知識・価値観・規範・役割などが要件となります。科学技術コミュニケーションにおいてもとても重要で、お互いの文脈を理解していないと伝えたいメッセージが正しく伝わりません。どのように文脈を作っていくのか、これは大事な要件となります。そして、相互行為ですが、これは、相手の行為に継続して行う自分のふるまいであり、双方向性が重要です。私たちは、相互行為の中で理解を紡いでいくことになります。科学技術コミュニケーションで対話が重視されるのは、こういう側面があるからだと思われます。
相互行為の中でわたしたちは何かを作っていく、このような考え方を社会構築主義と言います。社会構築主義によれば、この相互行為というお互いのやり取り、関係性の中で「感情」や「知識」が作られると考えられています。
では、ここで、生成AI(以下AI)と人間の関係を考えてみましょう。両者が言葉のやり取りを交わす場面、例えば、AIがスムーズではなく困っている台詞(言葉)を語るようプログラムされていたとします。「昔々、あるところに…えーと、何だっけ?」。言葉を受けた人間側は「AIが困っている」と理解し、「助けてあげたい」という感情が沸く、と予想できます。一見、そこにはコミュニケーションが成立しているかのように感じられます。このように、相互行為というお互いのやり取りの中で「感情」や「知識」が成立するという社会構築主義の考え方を取れば、理解モデルは一定の合理性があると言えます。
一方で、やはり人間対AIのコミュニケーションは人間同士のそれとは異なるものであるとも感じられます。理由は何でしょうか。ここで、「約束モデル」が登場します。約束モデルとは、「相互行為で約束を構成することがコミュニケーションの核」2)というものです。約束モデルの理解を深めるためには「事実」と「規範(ルール)」という概念理解が必要となります。人間以外の生き物は、今起きているあるがままの「事実」を受け入れて生きていますが、人間は、そうすべきであるという「規範(ルール)」を作ってその上で生きているという違いがあります3)。
先ほどの問いの回答は、AIと人間の間では「約束」が成立できないため、と考えられます。AIは膨大なデータからプログラミングされた妥当な文字列(言葉)を現します。これは「事実」です。もし、そこに間違いの文字列が現れても、私たちはAIが嘘をついたとは考えません。AIと人間との間には「嘘はつかない」という「約束」=「規範」を求めてなく、AI自体には「責任」が生じません。コミュニケーションの中に責任の生じる「約束」があるか否か。ここが、大きな差異であると考えられます。
「約束」で「信頼・責任」が生まれます。科学技術コミュニケーションには「信頼醸成」が鍵であり、科学技術コミュニケーターは、専門家と市民の間に適切な「約束」を結べるようコミュニケーションをファシリテーションする役割であるとも言えます。
3. コミュニケーションと公共
対話の場である「カフェ」は、17~18世紀のヨーロッパでコーヒーハウスが流行したことが発端です。コーヒーハウスには新聞等が置かれ、新興ブルジョアジーが集う政治経済や社会問題などの論壇の場でした。ここでの階級や職業を超えた人々の自由なコミュニケーションが、後の市民革命の原動力になったとも言われています。
公共圏の理論の説明に2名を挙げます。1人目は、世界の見方、考え方がさまざまであること(複数性)を認める、言論「活動」を通じた公共圏(public sphere)の実現を主張したハンナ・アーレントです。2人目は、当時、道具的理性と批判されていた理性について、人間には対話(コミュニケーション)を通じて人々を合意に導く対話的理性があると主張したハーバーマスです。ハーバーマスはコミュニケーション的行為によって制度を作りかえ、公共性を確立し、民主的な社会統合が可能になる、と述べました。アーレントはいろんな人が意見を出し討議しよう、ハーバーマスはお互い理性を持って対話により合意していこうというものでした。
このように、自分たちの生き方は自分たちで決めて行くという、民主主義という考え方は、科学技術も同様です。自分たちの生活に関わることを、専門家だけに預けず、自分たちが十分に考えて決定すべきですが、そこには新しい民主主義の在り方が必要となります。そこで、熟議(deliberative)(=話し合い)が重要となります。熟議により、全体で納得できる理由に基づく決定が可能になります。「数の力」に対する「理由の力」です。制度としては「市民討論会」などのミニ・パブリックスがあります。
コミュニケーション(対話)は公共についての考え方の基盤にあるものです。そして公共は民主主義につながっています。対話の場として、ミニ・パブリックによる熟議の場を作る活動があります。科学技術コミュニケーションとは民主主義を理念とした活動であり、新しい民主主義の形を構想することにつながっています。
4. 科学技術コミュニケーションを学び直す
学び直す(リカレント)ということについて考えます。ここでは、学び、学習(learning)の定義を「知識や技能の獲得」と定義します。学び直し、つまり、新たな知識を獲得すると、「今まで答えられなかった問い」の答えに近づけるようになります。「今まで答えられなかった問い」は2タイプあります。1つ目は他の人は持っているが、自分は「問い」に答えるための知識を持っていないため答えられない「問い」です。2つ目は、「誰も答えを知らない問い」であり、CoSTEPで出会う問いは、こちらが多くなります。この問いに答えるためには、仮の考えを置き、実際に試行錯誤して答えを見つける、という営みが必要になります。これが「研究」です。
1つ目の「問い」に答えるための学習方法は、人から教えてもらう、本やインターネットなどで調べるというもの。2つ目の「問い」に答えるための学習方法は、他の人と一緒に、試行錯誤しながら「仮説」を確かめてみるというもの。「問い」や「仮説」を立てるためには1つ目の学習による知識の獲得、学び直しが不可欠です。つまり、「問い」に答えるためには、どちらの学習方法も重要であるということです。
おわりに
種村先生の魅力溢れる講義に受講者は引き込まれ、質疑応答では多くの積極的な質問が挙がりました。今後残された課題の、異なるコンテクストの擦り合わせ課題、つまり、コミュニケーション齟齬の解決に関する質問に対し、まさに「誰も答えを知らない問い」であり、問い続け、試行錯誤する必要性があると回答くださいました。この講義も、新しい学びでリカレント教育と言えます。リカレントは新たな知識獲得だけではなく、新たな「問い」に立ち向かうために旧意識への変革を与えます。人々が学び続ける意義はここにあると考えます。今回の講義によって学びが一層深まり、私たちそれぞれが今後取り組むべき「問い」の輪郭が見えてきたのではないでしょうか。内容の濃く熱い講義をありがとうございました。
注・参考文献
- シャノン/ウィバー(著)植松友彦(訳)(2009)『通信の数学的理論』ちくま学芸文庫.
- 三木那由他(2022)『言葉の展望台』講談社.
- 岸田秀(1996)『ものぐさ精神分析』中央公論新社.