実践+発信

福島浜通り特別演習を実施しました

2026.9.24

サイエンスコミュニケーションは被害が起きた直後のクライシスの段階で行えることは限られてます。ただ、原子力災害を始めとする科学を巡る事故やリスクを記録し、伝える、クライシスのその後を丁寧に追っていくことは、サイエンスコミュニケーションの役割の一つ。

今回はクライシスのその後を記録するため、福島県で原子力災害を経験した浜通り地区をスタッフと受講生でめぐりました。

本演習は「福島県浜通り 大学連携フィールドプログラム」の一環で、ツアーは一般社団法人双葉郡地域観光研究協会(F-ATRAs)が企画してくれました。今回、私たちのガイドとなるのはF-ATRAsのトリシットさんです。

双葉町

トリシットさんの案内で、まず双葉町の駅前を回ります。双葉町は東日本大震災では地震と津波による被災後に、福島第一原子力発電所から10キロ圏内ということで翌日には全町避難が開始されました。その後、帰還困難区域として指定されました。2022年6月にようやく双葉町の駅周辺が避難解除になり、町内に住めるようになりました。ただ、震災から11年、長期にわたる避難期間は町民の生活基盤の変化をもたらし、帰還する人の数は多くはありません。

かつての原子力の町だった時代の標語が町の歴史を物語る
旧双葉町図書館の入り口には地震の地盤沈下の跡が。自身の大きさを物語る。

双葉町の妙見宮初發神社(そうまみょうけんぐうしょはつじんじゃ)は震災で傾いた社殿を2019年に町の方々を中心とした寄付で再建しました。震災前は地域の祭りと憩いの中心だったこの神社を再建することが、町の人が帰還したときのよりどころになるのではということで、いち早く再建されました。

神社の装飾は創建当時の江戸時代のもの双葉町の沿岸部には、東日本大震災・原子力災害伝承館が2020年に開館しました。ここでは未曽有の地震だけでなく、世界でも類を見ない悲惨な原子力災害を伝承するための資料、人々の語りが展示されています。

映像と資料が交互に見られる部分が多数。この施設は福島県が建設した伝承館。伝承する担い手によって、語り口も異なる。

伝承館と共に開業した町産業交流センター(エフ・ビック)には、かつて双葉町の駅前にあり、双葉町の人々のソウルフードであったファストフード店「ペンギン」が出店しています。かつて高校生たちに大人気であったというボリュームたっぷりのサンドイッチもいただくことができました。

カツとたまごのサンドウィッチはボリューム満点

そして、今年、伝承館の前にFtatabi Futabaというホテルも開業。ホテルだけでなく、新しい浜通りの暮らしを考えるふたばの本棚という図書館か併設し、6つのテーマの2000冊の蔵書と共に、福島の復興を考える場ともなっています。

図書室は宿泊客以外も利用可能。

富岡町

富岡町は事故当時の風向きの影響で町全体の放射線量が比較的低く抑えられたことによって、2017年には大部分が避難指示が解除されました。ただ、周辺の地域が帰宅困難区域に指定されているため、生活のインフラが十分ではなく、帰還した住民は限られています。早めの解除があった地域として、原子力発電所の廃炉作業の関係者が滞在する町としての一面も持ちます。

今回、CoSTEPでは富岡町にある廃炉環境国際共同研究センター、通称CLADSに向かいました。原子力災害後の廃炉という、人類にとって未知の事業に、研究的観点から取り組むのがCLADSです。

現在の課題の一つに、事故で溶け落ちた核燃料が炉内のコンクリートや金属を巻き込んで瓦礫となっている「燃料デブリ」があります。通常であれば、高線量の核燃料はぎりぎりまで減らして、処理に向けた対策が取られますが、燃料デブリは約880トンあると試算されており、これらをどのように安全に処理できるのかが課題です。少量の燃料デブリを取り出し、その成分を分析することによって、どのように処理するべきなのかを見極めていく、基礎的な研究がおこなわれています。

その他にも炉内を模擬的に再現し、炉内の核物質の広がり方を予測したり、核物質の他の物質への吸着の性質を調べたり、地道な調査を通して、廃炉作業を安全に、確実に進めていく知見が収集されています。

電子顕微鏡で放射性物質の特徴を調査。
事故当時の温度近くまで温度を上げて、当時の炉内の状況を再現するLEISANという実験器具。

大熊町

大熊町は福島第一原子力発電所がある町です。2019年に山側の地域が避難指示が解除され、2022年に大野駅周辺の地区が特定復興再生拠点区域に指定され、積極的な復興が進んでいます。

その町の復興の様子を大熊町の町の職員、被災者、移住者の立場から話を聞きました。

大熊町は現在進行形で復興計画が進んでいることを、大熊町役場の職員から伺った。https://www.town.okuma.fukushima.jp/site/fukkou/

移住者が増えている大熊町ですが、帰還者よりも移住者のほうが多い状況です。その移住の理由も様々。フランス人のエミリーさんは、大熊町で自身の夢であった「あまの川農園」をオープンさせました。自然の力を活かして育てるパーマカルチャー、新しいことにチャレンジできる大熊町だからこそ、エミリーさんの試みも自然に受け入れられています。

福島が好きで移住してきたエミリーさん

一方、スタートアップとしての移住もあります。FUN EAT MAKERS in Okumaは、IT企業が手掛ける新しい農業施設です。先端的なDX農業と商品化も含めた六次産業にチャレンジしています。大学で開発されたサンゴの砂で育てるトマトや水耕栽培の葉物野菜の施設、そして福島県内の作物を使ったお弁当作りを見せてもらいました。

農業にどこまでDXを取り入れられるか、IT企業ならではの取り組み

一方で、新しく変わるだけでいいのだろうかという問いも投げかけられました。大熊未来塾を主催する木村紀夫さんは、震災でご家族を亡くされ、その後の原子力災害でご遺体を十分に見つけてあげることができなかったという出来事を経て、今、復興について新しくするだけの復興でいいのだろうかと考えられています。かつての大熊町の暮らし、そして震災と原子力災害を風化させない町づくりは、より多くの人々の意見を聞いて進めなければならない、と語っていただきました。

問いかけることで生まれる木村さんの語り

また、移住者の中にも、原子力災害から学び、新しい自立した町づくりを志向しようという動きもあります。キウイの国は原子力災害を取材した大学生たちが立ち上げたキウイ農園です。元々、キウイが大熊町で栽培されていたことを契機に、国の補助金がなくても自律的な農園経営とはを若い経営者たちが考えていきます。原子力災害と農業を組み合わせると、新しい農業経営の姿が見えてくるかもしれません。

国産キウイの可能性を中腰で語ってもらいました

浪江町

浪江町は比較的放射線の線量が低い地区から2013年、2017年と段階的に避難指示が解除されています。ただ、まだ避難が続く地域があります。人口は震災前の半分程度。ただ人口には移住者も含まれ、震災で非難した方の多くがまだ戻ってきていません。

人口が増えないと、町のインフラが整わないという話を、浪江町社会福祉協議会の方から聞きました。浪江町はまだ医療施設、滞在型の介護施設が開設されておらず、高齢の被災者、ご家族がおられる方はなかなか戻ってきにくいという課題があります。町のインフラをどこから整えていくのか、復興の課題のひとつです。

また浪江町も含め、福島の浜通りは相馬野馬追(そうまのまおい)という伝統的なお祭りでも有名。甲冑をまとい、馬を乗りこなし、軍事訓練を模した様々な競技にチャレンジする野馬追は、地域のアイデンティティのひとつ。野馬追はとても体力がいる行事、そのスタミナを支えたのがニンニクでした。サムライガーリックは馬のたい肥を利用して、ニンニクを育てる取り組みです。一度、避難したのちに、もう一度この地に戻ってきて、今の浪江町の伝統である野馬追と新しい産業を立ち上げました。

ランドヒルファームさんは武士の末裔。貴重な甲冑がたくさんあります。

葛尾村

葛尾村は2016年に町の多くの部分が避難指示が解除されました。浜通りの復興を支える東北大学の取り組みがあります。東北大学は災直後の2011年4月に「災害復興新生研究機構」を立ち上げ、復興に学術的に取り組んできました。その活動のひとつに葛尾村で新たな農業活動を立ち上げるというプロジェクトがあります。東北大の加藤一機さんは葛尾村でマンゴーや加熱用トマトなど、人口が少ない中でみんなが持続可能に育てられる作物に関して研究されています。

色々な作物を効率的に育てられないかと実験中

Zine作り

浜通りの視察後には、3チームに分かれて、「音」、「手」、「説明書」というテーマでそれぞれの学びをZineにまとめました。

この模様はまた1月に報告会を行いますので、お楽しみに!!