実践+発信

実験室の幸福論 悩み多き大学院生への助言

2010.6.29

著者:落合洋文 著

出版社:20051200

刊行年月:2005年12月

定価:2310円


 実験室で過ごす研究者は,何に「幸福」を感じているのだろうか?

 

 

 ノーベル賞を受賞するような輝かしい発見や発明をすることが「幸福」であることは想像に難くない。しかし、こんな成功には,ごく稀にしか出会えない。目覚ましい成果を上げる研究者など,ごく一握りだ。

 

 

 本書は、これから研究者を志す学生が実験に「幸福」を見出すための手助けになれば,との思いで書かれている。3人の登場人物が,研究者の悩みや不安,喜びについて語り合う。大学院博士課程で学ぶA子が研究に関する悩みを語り、それに,製薬会社で研究した経歴を持つ著者と,A子の先輩N子が答えるという構成だ。

 

 

 科学史に造詣の深い著者がA子に対して紹介する、著名な科学者の素顔や、研究スタイル、発見の歴史などは、学生や一般の人々にとっても大変興味深い。

 

 

 研究に行き詰っていると打ち明けるA子に,著者が諭す場面がある。「理屈通りにならないのが研究だ。だからおもしろい。腕組みしている暇があったら手を動かせ。そうしたからといって直接成果に結びつくわけではないが、当てにできないことを当てにして過ごしているのが研究者だ」。

 

 

 その例として、著者はバイアグラの開発をあげる。もともとは狭心症の薬として臨床試験が行われていたのだが、ひょんなことからEDの治療薬として世界で広く使われるようになった。  筆者が考える「研究者の幸福」とは、ことの成否を気にかけることなく,自分の仕事をとことんまで突き進めることだ。ここでの「幸福」には,「実験を通した人生の充実」という意味が込められている。

 

 

 「そもそも研究は,虚構や虚栄の上には存在できない。だから研究者の多くは自分のできることをコツコツ積み上げていくべきだ。世に大きく認められることがなくても、これだけはやったという手ごたえが残ればそれで十分ではないか。」こう考える著者は,「名利を求めず、保身に走らず、高い志を持って、常に自分が正しいと信じる道を歩め」という井村元京大総長の言葉も紹介している。

 

 

 また著者は、一流の科学者が残した手紙や日記などを引用しながら語る。例えば、ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎が,研究がうまく進まないときにこう言ったという。「さて、そうなると一か月無駄にした馬鹿さがしゃくにさわる。急いでやらないと誰かが発表しそうに思えてイライラする。ああ、競争はつらいものだ。うまくいかねば腐るし、うまくいきそうだと、誰かがやっているような気がしてくるのだ。」

 

 

 あの朝永でさえも,普通の研究者と同じように悩みながら研究を進めていたとは驚きである。ぐっと親近感を覚えるではないか。

 

 

 著名な研究者でも様々な悩みを抱え研究を進めてきた。悩んでもいい,とにかく手を動かし進んでいくことが大事なのだ。今できることをコツコツ積み上げていくことが幸福へと繋がる道筋の一つだ。そんなことに気づかせてくれる書である。

 

 

 なお本書は,高校生や文系出身の人などにもお勧めしたい。理系の研究室における日常を垣間見ることができるからだ。600回以上の実験で梅毒の治療薬を発見した秦佐八朗の話や、ベンゼン環を提唱したケクレが実験のしすぎで体を壊したことを知れば、研究者生活というものをずっと身近に捉えることができよう。

 

 

渡辺悟史(2007年度CoSTEP本科生,札幌市)