実践+発信

シンポジウム「なつかしい未来へ福島の再生と科学技術コミュニケーション~」および関連企画を開催しました

2015.3.20

2015年3月7日、北海道大学学術交流会館小講堂にて、CoSTEP修了式にあわせたシンポジウム「なつかしい未来へ~福島の再生と科学技術コミュニケーション~」が開催されました。

■福島の現状を映像でレポート

福島第一原子力発電所の事故から、はや4年目の春がきました。しかし今なお12 万人以上(2014年12月時調査)が故郷を追われ、避難生活を余儀なくされています。また、目に見えない放射能が、今も多くの人々を苦しめています。

福島の未来のために、科学技術コミュニケーションはそして私たちには何ができるのでしょうか。改めてこの難しい問題を考えるために、シンポジウムが開かれました。

左から本田さん 信濃さん 久保田さん

パネリストは、久保田直さん(映画「家路」監督)、信濃卓郎さん((独)農業・食品産業技術総合研究機構東北農業研究センター 農業放射線研究センター長)、本田紀生さん(NPO「元気になろう福島」)の3人の方々です。それぞれのプロフィール等はこちらからご確認ください。司会進行はCoSTEPの早岡英介がつとめました。

今回のシンポジウムの特徴は、CoSTEPの受講生が福島の現状を取材した映像を使ってパネルディスカッションを進行したことです。VTRを流す前に、各受講生が福島の方に取材して感じた気持ちについても一言ずつ話しました。

■4つの関連イベント

今回は、シンポジウムも含め「なつかしい未来へ」という共通タイトルを冠した、4回連続のイベントでした。それぞれのイベント概要と満足度に関するアンケート結果を示します(それぞれのイベントの参加者は一部重複しています)。

シンポジウム翌日に開催されたワークショップの様子

表 4つのイベントの概要

■シンポジウムをリスクコミュニケーション実習で企画

今年度はCoSTEPでリスクコミュニケーション実習という選択実習を設け、意欲のある受講生たちが本科と選科からあわせて8名集まり、上記4つのイベントを企画・運営しました。修了式・シンポジウムの企画・運営を受講生が担ったのは初めてです。

今回の一連の企画のために、2014年11月9~11日に3名の受講生が現地調査に赴き、福島第一原発周辺の空間放射線量の計測および関係者へのヒアリングと撮影を実施しました。調査の記録はこちらをご参照ください。

※これら一連のイベントおよびCoSTEPリスクコミュニケーション実習は、科学研究費(基盤研究C)「映像メディアを介した新たな科学技術対話手法の構築」(課題番号:24501085 代表:早岡英介)の助成により実施されました。

■映画「家路」上映会

シンポジウムに先立ち、前日に開催された映画「家路」は美しい福島の農村を舞台に、震災の影響で故郷が「戻れない場所」になってしまった家族を描きました。

上映会は、予想以上のお客さんが足を運んでくださいました。シンポジウムや科学技術コミュニケーションに関連した映画の上映はCoSTEPでは初めての試みでしたが、この上映会をきっかけにシンポジウムやワークショップに参加してくださった方もおり、様々な方に興味を持っていただくために映画というメディアは有効な手段になり得ると感じました。

©2014「家路」製作委員会

来場者からは「映像がとてもきれいだった。福島の現実がよくわかった。加古さんの音楽とエンディングも素晴らしかった」「故郷を失った福島の方々の心情は計り知れません。こういう映画を通して少しでも知りたいと思います。震災・原発を風化させない為にも継続が必要だと思います」といった声が寄せられました。

■久保田直さん(映画「家路」監督)のお話

まずは各パネリストからのお話がありました。久保田さんは「この震災の問題はあっという間に風化していくのではないか。その中で何かできないかと思ったのが発端となって福島の映画を作ることになった」と語りました。

当事者意識を持ち続けるのは大変だが、状況は事故直後からは何も変わっていない。原発反対とかではなく、実際に日本で立ち入ることができなくなってしまったエリアがあり、そこがもしふるさとだったら、その家族はどのように再生していくのだろうかと久保田さんは考えたそうです。

できるだけ普遍的な家族の物語として描くことで、こういう現実があったということを1日でも長く感じてほしいというのが久保田さんの願いだといいます。

■信濃卓郎さん(農研機構東北農研・農業放射線研究センター長)のお話

原発事故以降、2011年内は福島県では農業ができないのではという話も出たといいます。しかし、それでは農業県である福島は立ちいかない。とはいえ、当時は放射能が農業にもたらす影響の研究は非常に少なかったそうです。

土壌中の放射性セシウムが作物にどれくらい移るかという「移行係数」という概念があり、イネの場合は0.1をこさないという研究が過去にありました。そうした推定をもとに、最初の年は規制を進めたそうです。

その後、土壌中のカリウムが少ないと、似た化学的性質をもつセシウムを植物が吸収してしまうケースがよく知られるようになりました。セシウムの移行を抑えるために、今はカリウムを肥料として投入することが最も効果が高いとされています。他には震災直後によくメディアでもとりあげられたヒマワリなどの植物を利用した放射性物質の吸着技術(バイオレメディエーション)は土壌中の放射性セシウムの回収率が最大1%を超えることはなく、効果に疑問があるそうです。

ただ今後、カリウムを施肥する放射性セシウムの吸収抑制対策を継続的に行えるのかどうかは不透明だと信濃さんは指摘します。 玄米の放射能全袋検査に関しては2014年、基準値超えは一つもありませんでした。営農再開をどこまで進めるかも含め、まだまだ福島の農業には課題が山積みです。農業と放射能をめぐる問題はいまだ決して楽観できないと信濃さんは話しました。

■本田紀生さん(NPO「元気になろう福島」)のお話

福島市在住の本田さんは、NPO「元気になろう福島」を震災前から立ち上げて活動してこられました。いま福島の問題が急速に風化し、忘れ去られようとしている現状に愕然としていると訴えました。

中間貯蔵施設が建設され、常磐道が開通したことで復興はもう終わったという声も聞こえてきます。しかし福島では未だに12万人以上の方々が全国に避難しています。狭くて壁のうすい仮設住宅は住むのも3年が限度です。特に原発周辺の町にある自宅はどんどん朽ちていき、ネズミやイノシシに荒らされ、田畑は雑草に覆われています。5年目を迎える被災者の皆さんは、こうした現状を前に心が折れかかっている、限界にきているという深刻な現状を報告しました。

「未来や将来の夢が見えなくなると、人間が人間でなくなってしまう」。本田さんは、人出が足りない川内村の農家さんを、双葉地区の避難農家の方がサポートする等、農家がどんな形であっても土をさわり作物を育てる仕事を続けられるような仕組み作りを考えています。また避難地区の農家への聞き取り調査を進めて、営農コミュニティ作りも進めているところだそうです。

最後に、原発周辺の双葉地区を、バイオマスエネルギーや資源作物の生産拠点にできないか、日本初のロボット農業、IT農業を双葉で始められないかなど、未来へ向けた様々な取り組みを、構想段階のものも含めお話いただきました。

■パネルディスカッション

パネルディスカッションは、リスクコミュニケーション実習の田中泰生さんが代表して挨拶し、池田貴子さん、渡邉綱介さんによる映像レポートをまじえて進みました。

大熊町の仮設住宅で町民の皆さんに聞いた仮設住宅での過酷な暮らしを映像で紹介しました。周りの人から投げかけられる「働かなくても補償金がもらえていいね」といった心ない言葉。

強制避難を強いられた人には精神的賠償として月あたり1人10万円の補償が出ています。しかし、補償があったとしても自宅は線量が高くて住めない。またこうしたお金が地域の分断を生み、故郷に住めないことで家族がバラバラになってしまった世帯も珍しくありません。避難者の皆さんが抱える苦しみの一端は、仮設住宅を訪ねることで初めて実感をもって伝わってきました。

久保田さんは、映画の取材でいわき市最大規模の仮設住宅を訪れた時、昼も夜も全く人が外にいない風景をとても不思議に感じたそうです。同じ建物が並ぶ中で追い詰められていく人の気持ちを考えた時に、主人公(松山ケンイチ)の母(田中裕子さん)の認知症が進み、自宅が分からなくなって仮設住宅でさまようシーンを思いつきました。もしかしたら惚けてしまったほうがいっそ楽なのかもしれない、そんな気持ちでこのシーンを撮ったといいます。

また「自分の子供が友達と築いてきた関係がばらばらになってしまった」と涙を流すお母さんの映像からは、原子力という巨大科学技術が生み出すリスクの罪深さが伝わってきました。本田さんは「これらは全て大人の責任であり、罪のない子供にしわ寄せがいっている」と指摘しました。

川内村の農家、秋元美誉(よしたか)さんは「1センチの土ができるのに100年かかる。田んぼの表土を5センチ剥げというのは、500年の先祖からの汗と苦労を持っていくという意味だ」と話しました。

信濃さんは一見線量が低い地域であっても、汚染の状況はまばらであり、営農再開にあたりきめ細かい除染対策は欠かせないことを強調しました。5年目を迎え農家の皆さんの疲弊が深刻化している今、農業復興は時間との勝負になってきています。

一方で、人類史的視点でみれば、「農業は何万年もやってきている。運良く5センチ “たった500年分” を剥ぐだけですんだともいえる」と信濃さんは言います。これから500年かけてでも福島の農業を再建していくんだという長期的な視野も必要だと教えて下さいました。

■まとめ

科学技術コミュニケーターや札幌市民に何ができるのか信濃さんに聞いたところ、「まずはやっぱり福島に来て、福島がどうなのか見てほしい」と話しました。中間貯蔵施設の建設や汚染水の問題ばかりが全国的に報じられる中、本田さんも「現場を見て肌で感じることで、言葉にならない部分がよく伝わる」といいます。2015年4月26、27日にも福島県大熊町のスタディーツアーを実施しています。興味のある方は、ぜひこちらのサイトを御覧ください。寄付も受け付けています。

 

また信濃さんは、「食べ物の産地を不安に思ってしまう気持ち」と「福島の農業復興」と、どちらも尊重しないといけないと言います。このギャップを埋めるために、科学技術コミュニケーターと協働していきたい、そのためのバックアップは惜しまないと呼びかけました。

最後に久保田さんは支援のあり方について話してくださいました。かつてあるアメリカの大富豪がヘリコプターでチベットの貧しい村で子供達が裸足で遊んでいるのを見て、運動靴をプレゼントしたそうです。

それから何年後かに同じ地域を訪れた時、子供達は足から血を流しながら歩いていました。運動靴は一回しか送られてこなかったので、子供たちは朽ちるまでその靴を履き続け、その間に足の裏の皮が弱っていったのです。靴が無かったとしても子供たちは何の問題もなく強い足で元気に歩いていたはず。支援はやり続けなければ意味がないし、物をただ送るのではなく、その人たちの暮らしに長期的視点で寄り添い、何が最も大切なのかを深く考えることが大事だと久保田さんは話しました。

札幌の市民、そして科学技術コミュニケーターが、福島の復興のために何ができるのか、多くの気づきがあった有意義なシンポジウムとなりました。改めてご来場いただいた皆さんとパネリストの久保田さん、信濃さん、本田さんに感謝いたします。ありがとうございました。