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「食の安全安心をめぐる科学と社会―GMOBSEを例に―」10/17神里達博先生の講義レポート

2015.12.4

レポート:池 晃祐(2015年度 本科 対話の場の創造実習/北海道大学大学院農学院修士1年)

今回は千葉大学の神里達博先生に、食の安全・安心をめぐるトランスサイエンス問題を講義して頂きました。「『食』をめぐる安全問題は、『モダン』の急所」という先生の言葉にはどのような背景があるのでしょうか。

科学技術が食の安全性を間違いなく向上させてきた

「そもそも科学技術は例えば食の安全性ということを考えていったときにものすごくプラスの影響を与えているわけです。普通、科学技術社会論をやっている人はそういう話をしないのですけれども、私は理系の人に話をするときにはむしろまずその大前提をお話した方がいつもすーっと入ってくるので、私今日ちょっとそのことを強調しておきたい。つまり、技術のみならず科学技術を含めてですけれども、食の安全性をものすごく向上させてきたのだという、このデフォルトは忘れちゃいけないということを強調しておきたいと思います。」

有史以前から農業の発展と食品加工技術は長い時間をかけて食の安全性を向上させてきた。さらに近代以降の科学技術は食品の栄養を落とさず安全に届けることを可能にしてきた。我々の健康がここ100年で向上した理由は薬と医療よりもむしろ栄養と衛生が向上したためである。科学技術は確実に食の安全を向上させてきたのだ。

無視できない負の側面

科学技術が食の安全を向上させてきた一方、高度経済成長期では食品問題がどこの国でも起こってきた。日本も例外ではない。

1955年の森永砒素事件や1968年のカネミ油症事件などは死者や後遺症患者を生む食品事故であった。また公害問題として取り上げられる場合が多いイタイイタイ病や水俣病も、食品を介した問題、すなわち食品問題として考えることができる。

一方、近年の食品不祥事は必ずしも死に直結していない。遺伝子組換え作物やダイオキシンで死者が出ておらず、BSEの犠牲者も他のリスクに比べれば多くはない。だからと言ってそれらを無視することはできない。

食品問題はきわめて日常的であり、消費者も生産者も多様であるがゆえにリスクマネジメントが難しい。

トランスサイエンスの例1―遺伝子組換え作物をめぐる問題

「そもそも遺伝子組換え技術が出てきた黎明期っていうのはだいたい1970年代なのですけれども、この頃に専門家たちはどう考えていたかというと、我々が今考えるよりもよっぽど遺伝子組換え技術を恐れていたというのがあります。」

遺伝子組換え技術によって作物生産の省力化と効率化が可能になった。近年では消費者の健康を支える作物を作れるまでに至った。

しかし、このように人類への恩恵が多い遺伝子組換え作物は、初期の科学者たちからはむしろ恐れの目で見られていた。「科学者自身が研究に規制をかけながら進める」という遺伝子組換え技術研究の黎明期は、科学史的にも他に例を見ないものであった。

他方、研究が進むにつれ、科学者が当初思っていたほど生物を自在に操ることはできないことがわかってくる。

1980年代に入ると食品への応用が進んでいく。害虫抵抗性トウモロコシやジャガイモ、除草剤耐性ダイズの安全性が承認され市場に出回るのはこの頃からである。遺伝子組換え技術の食品への応用はこの調子で順調に進んでいくかのように思われた。

しかし1990年代中ごろから、BSE問題やヨーロッパの貿易における保護主義的な思想が組み合わさり、その進展に陰りが見え始める。EUを中心とした遺伝子組換え作物への不信が大きくなり、食品への規制が変容していく。

遺伝子組換え作物の安全性は実質的同等性によって説明される。すなわち、これまで安全に食べられてきた食品の場合新たに導入した成分についてのみ安全性を検討すればよい、という考え方である。実質的同等性は遺伝子組換えに特有の安全審査であり、しばしば遺伝子組換え技術反対派と推進派の間で議論の焦点の一つとなる。

一方、作物生産の省力化・効率化に伴う問題点として、遺伝子組換え作物「ラウンドアップ・レディ」は注目に値する。米国化学メーカー「モンサント社」が自社農薬「ラウンドアップ」に抵抗性のある作物として売り出した「ラウンドアップ・レディ」は農家が効率的に作物を作ることができる。

しかし特許で保護された不稔性の種を毎年買わなくてはならないという種子独占問題や、ラウンドアップ耐性生物の出現や複雑な遺伝子組換え構造を持ったラウンドアップ・レディが環境中でどのように振る舞うか予測できないという問題がある。これだけに留まらず、遺伝子拡散のリスクやラウンドアップ自体の毒性、耐性雑草の拡大など次々と問題点が明らかになってくる。このように医療・健康・農業・環境といった多岐にわたる分野に関係する問題領域は不確実性が高く、科学的アプローチだけでは扱いにくいことがわかる。

トランスサイエンスの例2―BSEをめぐる問題

BSEは哺乳類に広くみられる伝達性海綿状脳症(TSE)の一つである。BSEには科学的な困難さがある。感染メカニズムが不明であることや確定診断の難しさ、発生原因や感染ルートが未解明であることなどがそれにあたる。

1985年に英国で初症例となる牛が死亡する。その3年後にBSE問題対策としてサウスウッド委員会が設立される。しかしサウスウッド委員会が非専門家で構成されていたことやヒトへのリスクを甘く見積もっていたことが原因となり、社会不安の増大や英国内外でのBSE感染例増加を招く結果となってしまった。

BSE問題は単なる科学の問題として解決することはできない。それは信頼や公正、正義の問題と関わり、政治問題や社会問題に発展していく。そしてグローバル化が事態をさらに複雑化、悪化させていくことになる。

おわりに

「食をめぐる問題というのはモダンの急所である。モダニティ、近代を生きる我々の、近代というもの自体に対してですね、ある種の急所になっている。だからこれから先も問題が起こり続けるのではないかと思います。」

食の安全・安心をめぐる問題の背景には科学技術だけは解決できない様々な問題が横たわっており、決して一筋縄で解決できるものばかりではないようです。だからこそ、科学技術コミュニケーターが食の安全・安心にまつわるトランスサイエンス問題に大きく関与しうることが理解できました。

神里先生、どうもありがとうございました。